理解と信頼と絆

きちんと話したつもりでも自分の伝えたい事が完全に相手に理解されているとは限らない。

いいかげんな聞き方をしているわけではなく、きちんと聞いてくれていてもだ。


違った理解の仕方をしても納得している場合も有り得るということだ。

それはそれでいいのだが、何かの拍子にピンポイントでその部分に触れる機会があった時に
あの時、理解してくれていたのじゃなかったのか、となる。


その時はこう納得していたのだと説明したところで相手にしたら言い訳にしか聞こえない。

どちらが悪いわけでもなく納得していた事そのものが違っていたに過ぎない。


お互いにわかりあえると言う関係であっても、いやそれだからこそ陥る落とし穴かもしれない。


信頼は成立しているのだ。

信頼できる仲であっても慎重さが必要なのかもしれないが、そればかりに気を付けているとお互いに
ぎこちなく、息が詰まる。


理解の違いを後からの言い訳と疑われないでいられる関係が『信頼』と言うものならば、それこそ『絆』が
築かれていてこそだ。

こういう風に理屈で言うと難しい。

それでも簡単に築ける相手もいるのも事実だ。


すれ違いからの別れはほとんどがこれだと思うのだがいかがか。

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恋愛依存

恋愛依存症というのは誰かを好きになってないと不安な体質なんでしょう。

もちろん思われていないと寂しくなる。

しかし殆どの人がそれに当てはまりますよ。

不安になるところまでいくかどうかが「○○症」と病気の症状のような扱いをされるかされないかのラインですね。

重度な人はその寂しさに耐える力のほうが弱くて、本当に好きかどうかも定かでない人にまですがってしまう。
                                                                   


恋愛をしていないから寂しくなるのと、寂しいから恋愛をしたいと思うのでは同じようであってもこれは違いますね。


恋愛をしてないから寂しいと言うのは、はっきりと恋愛を目的に定めている上の言葉であり、寂しいから恋愛と言うのは恋愛に逃げ場を求めているように思います。


だから後者の場合は、恋愛したとしても必ずしも寂しさがなくなるとは言い切れないでしょう。

こういうのは恋愛依存から外れると思いますね。

こう考えると、こんがらがってしまいがちですね。

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