無料ブログはココログ

« april 2012 | Main | juni 2012 »

maj 2012 posts

2012.05.28

気付く事

何かに気付くと言うのはどんな事に於いても重要な事だと思う。

人の話す事を聞いてある事に気付くと言うのもしかり、何かをしていてふと気付くと言うのもよくあることである。

気付くと言う事は、今まで自分が知らなかった、或いは知ってはいてもはっきりと認識できていなかったと言う事になる。
知らなかったとか、理解を間違っていた事を認めない人は気付くことがない。
それは頭ごなしに言う人や人の話を聞かない人によくみられる。

恋愛においてもそれは随所に現れる。
自分の思う事を常に最優先させる人は、自分の満足感のために恋愛をしてしまう。
相手の気持ちは自分の気持ちを優先させた後に持ってくる。
それが亀裂となることにさえ気付かないのである。

そのうちに、先に相手がこれは求めていた恋愛ではないと気付き始める。
するとその事を相手の心変わりだとしか捉えない、なぜなら自分を優先させてしまっているからである。

自分の事に気付かない人が相手の事に気付くはずがない。

恋愛するにあたってまず重要な事は、自分に気付くことから始めるべきである。


2012.05.07

恋人の存在価値


彼女が欲しい、彼氏が欲しいと言うのは何を求めての事なのか。

どこかに一緒に遊びに行きたいとか悩みや愚痴を聞いて欲しいとかだけなら、それは同性や友人であっても事足りるはずなのである。
しかしそうではない、と言うのはどういう部分がどう違うのか。

知り合いや家族や友人と過ごす時間はもちろん楽しいし、有意義にも感じるし、大事であるとわかってはいるが、同じ事をしてもそれとは別の満足感がある。

恋人と言う存在に対しては、楽しさとか満足感とか充実感と言った言葉で形容しきれない何かの感情が湧いているはずである。
そうでなければ特別な存在にはなり得ない。

特に目的もなく何をしているわけでもにのに一緒にいられるだけで嬉しいと言う感情がそれを証明している。

つまり何かをするにしても時間の共有ができることを目的以上に嬉しく思えるからこそその存在価値があるのだろう。
どこかに行きたいとか何かをしたいと言う目的そのものはその次に位置すると言うところが違うのである。

だから会えない時には電話やメールで時間の共有をしたいと思うし、会いたいと思うのだろう。


恋人の存在価値とは、一緒に何かをしたい相手が欲しいのではなく、その存在があるからこそ一緒に何かをしたくなる相手でないと見い出せないということだろう。

2012.05.03

男らしさ・女らしさ

男らしいとか女らしいとは一体何か?

時代や地域性によってそれは違うのだろうが、そういう言葉を使う時の心理としては何か定義を持っての事に違いない。
つまり自分が思う「らしさ」と言うものがあるのだろう。

一般に男らしさと言えば、頼もしいとか強いと言うような、女性から見て守ってくれそうなイメージを思わせる形容詞が並ぶ。
それは能動的な行動を感じさせるものである。

かえって女性らしさとは、おしとやかであるとか可愛らしいと言ったような弱さを表す言葉が使われる。
あくまで受け身的であるような印象を受ける。

好みの違いはあるが、その「らしさ」を望むところはおそらく芯の部分にあるのだろう。
いざと言う時、或いはふとした時にそういう芯の部分を垣間見た時にこそ、男らしいとか女らしいとかの評価がされることになると思う。

もちろん常に男らしい男、或いは女らしい女もそれは素晴らしいものであることは否定しないが、思わぬ所でふと発見した時などはほぼ感激に近い喜びがあるのではないだろうか。


長く付き合っていて、そのかけらも一度も見たことがないと言うのであれば、ひょっとして芯から「らしさ」など持ち合わせて無いのかもしれない。

« april 2012 | Main | juni 2012 »

Categories

  • 恋愛
oktober 2017
søn man tir ons tor fre lør
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        

Recent Trackbacks