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marts 2012 posts

2012.03.29

受け身の真相

相手に対して好意的な事は隠さないが、好きであるとなれば隠すと言う傾向が女性にはよくある。
男性にもあるのだろうが、比較すれば女性に多いと思う。

積極的な性格の人には考えづらいのだが、これは多分に自分の方から好きになったと言う事を引け目にとらえると言う感覚になるのかもしれない。

引け目と言う表現はいささか語弊があるが、要は女は自分が好かれた方の立場であることを美徳のように扱うのだろう。
さらに言えば積極的であることを男好きのように捉えられがちなのを嫌うと言う事でもある。

今の時代はそう捉える人は少ないだろうにも関わらず、やはり根底にはそういう意識があるのに違いない。
だから女性によっては相手に告らせるようにもっていくと言う強者も出てくる。

最終的には男の方から好きになったという形を取ることに拘るのは、その恋が続こうが終わってしまおうが、周りの人達に対しての防波堤なのだろう。

受け身で恋愛が始まったと言う形が女性の立場として理想とする観念がそこにある。
これはあくまで日本の女性の伝統的特徴かもしれない。

男が逆に受け身の立場を取って、女性の方から告って来たから付き合ったんだと言えば、それは逃げる時や別れた時の言い訳に使ってるように聞こえる。

それを公言する男は女からの評価を下げることになりかねない。
例え真実がそうであってもそこは封印しておくのが得策である。

2012.03.19

鬼に金棒

鬼に金棒と言う言葉を使う場合、何か特定の事柄に対して既に優位であるのに加えて、さらに優位性が増した時に用いられる。
例えば団体のスポーツの試合で、ずば抜けた選手がいるチームにさらに実績のある選手が加わった時などはそう言う表現をする。

はたして恋愛にこれが通用するだろうか、恋愛に関しては優位性と言うのが見極めにくいと思うのだが。
なぜならそれは才能や特技ではなく、相手が魅力と受け取るところに金棒が存在するからである。

つまりある人に対して金棒であったとしても、違う相手には爪楊枝でしかなくなると言う事もあり得るわけである。
それをいつでもどこでも通用する金棒だと思い込んでいると恥をかくことになる。

女性で言うなら、誰しも認める美貌に料理も上手な人がいるとする。
これだけそろっているのであるから、ここまではすでに「鬼」である。

さらに仕事をてきぱきとこなす才女であったなら「金棒」なのかと言えば、確かにそのように思えてしまうのであるが、そういうできる女っぽいのは嫌いだと言う男にとっては必要ないのである。
むしろ無い方がいいくらいの無用のものとなる。

しかし仕事をてきぱきとこなせる才女であったとしても、プライベートではそういう部分を感じさせない無邪気な楽しい子であったなら、それが逆に「金棒」となってくる。

鬼に金棒と言うのは強さの象徴なのであろう。
恋愛に関して言えば、力と言う意味だけの強さではなく、相手に対して魅力を感じさせることのできる強さを代弁している。

まずは鬼の部分を磨くことが先決に違いない。

鬼の部分がないのに金棒だけを持って振り回している人もいるが、全く相手に当たらないのでは無用の長物なのである。

2012.03.12

切り札

恋愛と言うのは多かれ少なかれ駆け引きがある。

カードゲームでは強いカード、弱いカードがあるのはご存じだろう。
自分の持ち札が全体的に弱い時、当たり前の事だが大抵が弱気になってしまう。
しかし、使う順序や出し方によっては勝つこともある。

相手のカードは見えないわけである。
もしかして自分よりさらに弱いかもしれない。
結果はやってみなければわからない。

自分の持ち札の中での切り札をどこでどう使うか、ここがポイントとなる。
切り札を跳ね返されたら、その時はその回のゲームは捨てる覚悟も必要である。

恋愛での捨てゲームはその恋を諦めることではない。
同じ相手にまた挑戦すればいい。

ただゲームと違うところは、自分の持ち札は配られたものではなく、自分で強くしていくものだと言う点にある。
さすがにいつまでも弱いカードばかりのままだとほとんど勝てる見込みはないだろう。
一つでも切り札を作っておくことは最低限必要な事だろうと思う。

要は自分の持ち札の中での切り札の強さを把握して、最良の場面で使える人が優位なのである。


2012.03.01

恋愛の才能

天才は持って生まれた才能で、秀才は努力によるものだと言われる。

では恋愛における天才と秀才はどうなのだろうか。

全く努力なしに、持って生まれた才能だけで恋愛をこなせれると言う事は、相手の気持ちが完璧に読めると言う事に近い。
スポーツや芸と違って、恋愛は人を相手にするわけであるから、経験なしに対処できるとなればまさにそういう事であろう。

しかしおそらくは有り得ない話なのではないだろうか。
万が一でもつまづけばそこでパニックになる事は想像できる、それは天才の語意から外れてしまう。
いうなれば「天才的」と言う方が正しいように思う。

秀才は努力あってのものだとすれば、経験や体験から習得する能力が人より数段も優れているのだろう。
つまづいてもそれを克服する力はこちらの方が優れていると言える。

天才的な人は感覚でできてしまうゆえに、本質な部分は理解できていなくても良いと言う利点のような欠点がある。
秀才は壁に跳ね返されることはしばしばあるが、それを克服する力を備えてると思える。

恋愛するのは天才的な人が上手なのだろうが、恋愛相手に選ぶのなら秀才の方がよりベターではないだろうか。

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