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januar 2012 posts

2012.01.26

恋愛のショートカット

髪型の事ではなく近道と言う意味のショートカット。

何事でもつい近道を選びたくなるのは仕方ないように思う。
しかし得てしてショートカットには落とし穴がある。

近道をすると言う事はいくつかの手順や努力を省くという事になる。
そうするとその手順や努力をした場合の経験値が手に入らない。

それは前にやったからわかっていると言う論法にはならない。
経験値は、相手が違っても自分の状況が違っても得るものが常に変わってくるものである。


恋愛をするのに回り道をして着実に距離を詰めて行こうと考え、それを実行できる人は確実なのかと言えばそうとも限らない。
だから結果が悪かった場合に回り道をしてまで辿り着こうとしたことが無駄に思えてしまうのである。

ショートカットでうまく行った時に味をしめて、これからはこれで大丈夫と思い込むのも危険である。
その確率の方が低いはずであるからたまたま幸運だったのだろう。

その上、ショートカットで楽をして手に入れただけに、相手を軽んじてしまいがちなデメリットもある。


ショートカットは恋愛に熟練してから、ここぞと言う時だけ使う程度でいいように思う。


2012.01.24

恋愛のマ行


マ行の『まみむめも』に当て字をはめ込んで選んではいけない男を考えてみる。

間「ま」 間の悪い男
未「み」 未熟な男
無「む」 無知な男
芽「め」 芽の出ない男
模「も」 人の模写ばかりする男

次に選んでみたくなる女を考えてみる。

魔「ま」 魔性の女
魅「み」 魅力的な女
夢「む」 夢中になれる女
女「め」 女らしい女
母「も」 良い母親になれる女

いかにも男は具体的で女は抽象的である。

こうやって男女は選ばれるのかも。

2012.01.23

出会いの基本姿勢

恋するという立場になることは相手を知ることから始まる。

知るという意味の範囲は広くて、例えばテレビや雑誌で写真や映像を見た事がきっかけと言う場合もあり得るが、その場合は実際の相手には会っていない。
それから会ってみたくなるという順序になるのだろう。

実際にどこかで見かけたとか、よく顔を合わせるとかになると実物に会っていることから次は話してみたいという現実めいた願望になって、話すことや知り合うことが当面の願望となる。

そこから相手を知るという段階に入るわけであるが、ここまではあくまで外観上のお気に入りに過ぎないのである。

それならば現実的に恋をすると言う意味で考えれば人と知り合う事が近道に違いない。
どんな形であれ知り合っていく人との縁を保っていくと出会いの確率は上がると思う。

実際に仕事や家庭の環境などの事情で、束縛されない時間が少ない人に彼氏や彼女ができにくいと言う現実がそれを物語っている。

少ない時間を有効に使う方法は間接的にでも出会いを増やすことである。
出会いの基本は人と知り合っていくことにあり、その先に恋の出会いも無きにしも非ず。

そういうこと自体を面倒臭いと思うならば、もし恋する相手に出会っても、恋愛が始まったとしても何かにつけて面倒臭い事は避けてしまうだろう。

恋愛相手を探すのに簡単な近道ばかりを求めていると、例え相手を見つけて恋愛にたどり着いたとしても恋愛そのものを歩んでいくのにも簡単で近道ばかりを行こうとしてしまうのである。

最初の姿勢は基本ではあるが大切な事なのである。


2012.01.18

重い想い


ダジャレ風なタイトルにしてみました。


本来、恋はお互いが心地よくいられることが理想なのだと思う。

好きすぎて相手に構う度合いや願望や拘束などがエスカレートしてくると、逆に相手の気持ちの心地よさが失われていく。

挙句に気持ちの押し付けと受け取られるようになると避けられるようになってしまう。

それは気持ちは有難いながらも重いと感じるからである。

相手の事を常に把握したいと言う気持ちが大きくなるのは当然ではあるが、相手が重く受け取り始めるまでに修正しないと危ない。

自分では付き合っているのだから当然と思ってしてるから気付かないところに落とし穴がある。

その事によって相手にストレスが溜まると相手の態度や言動に表れる。
そうすると今度は自分の方が不満を持ち始めるという悪循環となる。


重いかどうかは自分の基準だけでは決められないと言うことである。


2012.01.12

明るい日


使い古された言葉だが明日と言う字は明るい日と書く。

明るくありたい、あって欲しいと言う希望を込めての言葉だと思う。
そう考えないと楽しく生きれない。

明るくいれば人は寄ってくる。
いつも暗い顔をしていたり、仏頂面の人には好んで人は寄ってこないだろう。


恋愛に関しても人とのつながりは重要である。
恋愛の対象になる人だけを条件にして捜してみても、逆に出会う確率を狭めるだけだろう。
それなら婚活パーティーなど、そういう趣旨の会に参加すればいい。

人から人へとつながっていく中で恋する相手が見つかる、たとえそれが偶然であろうと紹介であろうと自分でつけた道には違いないのである。

そのためにも常に気持ちは明るくなければならない。
辛い時や苦しい時も人と接する時はそのように振る舞うことで好転することもある。

マイナスのオーラを発している人には近寄りたく無いと言う事は、自分がそうであると人は近寄ってくれないという事なのだ。


明日が明るいかどうかは自分次第なのだと思う。


2012.01.10

冷める時


恋愛は相手への興味であると思う。
それが失われるとテンションが下がっていく。

恋愛に至る気持ちのスタートラインが同じではなくても、始まってしまえば同じモチベーションで上昇していけるから問題はない。

困るのは下がる時の時期が一致しない事である。

相手の気持ちが失くなった時にこちらの気持ちも同時に消えれば楽に違いない。
逆にこちらの気持ちが失くなれば相手もトーンダウンすればと言う都合のいい一致を望んでしまう。

だからこそ別れを切り出された側は無理やりテンションを下げて行かざるを得ず、その間の行動や言動に未練が残る。
気持ちの切れてしまっている側からすれば重く感じるのである。


恋から恋愛へと発展していくのは簡単なようであっても、その恋愛が終わらされて恋に戻るという選択肢がないのだろう。

本当はそうしたくないのに理詰めで気持ちを下げていく事が苦痛なのである。


気持ちの下がり方の不一致は冷酷である。


2012.01.05

人の心


心と言うのは気持ちとか感情と言うものを総括して表現したものだろうと思う。

人の心は変わる。

それは考え方とか周りの環境とかが影響する事もあるはず。

しかし純粋に『心』と言うならば、何物にも影響されないものである事を信じたい。


何かが影響して変わった心は『心』ではなく、そこに価値というものの見方が変わった為に評価が変わったに過ぎないのではないだろうか。

『心』に総括される前の『気持ち』だけが表面に出てきたように思う。

恋愛の別れの理由がどんなものであれ、しばらくは気持ちが引きずる。
その根底には気持ちを上回る『心』があったからであり、人間らしさの証明でもある。

時間とともに嫌いになっていく、或いは嫌いになったと言う場合であっても『心』が残っているからだと思う。

なぜなら完全に風化したなら好き嫌いの対象にもならず、どうでもいいと言う対象になるはずだからである。


『心』はそう簡単には変わらないのだと思う。

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