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juli 2011 posts

2011.07.30

誘惑とリスク

あそこに100円が落ちているぞと言われてその場所を見れば切り立った崖であったとしたら、誰も取りに行こうとはしないだろう。

それは大怪我をするリスクを背負ってまで手に入れようとする価値がないとの判断である。

それでは一億円らしきものが落ちていたらどうするか。
厳密に言えば拾得物は自分のものにはならないのだが、少々の危険を冒しても取りに行こうとする人はかなりいると思う。


浮気をすることにはリスクが付き物であることは誰もがわかっているはずだが、何故しようとするのかと言う問いに対する一つの回答である。

一億円らしきものと書いたのは、実際に近づいて手にするまではっきりとは判らないからで、もしかしたら一千万くらいかもしれないし、ともすればすべて偽物である場合もある。

いやしかし本物であったら、と言う誘惑の方が強い人は危険を冒して手に入れようとする。
たぶん大丈夫じゃないかと言う楽観も手伝うわけである。


一度失敗して怪我をした人は実際にリスクを負ったわけであるが、死ぬ寸前までいった人を除けばまた繰り返す。
今度は大丈夫、もっと慎重にやるからと違う方向に学習する。


それなら浮気される側は一億円の価値がないからなのかと言えばそうではない。
すでに十億円を持ってる人でもさらに一億円を得ろうとするかも知れないし、いらないと言うかも知れない。

要はその一億円に魅力を感じるかどうかだけである。


この例えだと、浮気相手となった人は一億円の価値があると思われているのだからある意味すごい事だと思うのだが、それを言ってしまうと浮気を推奨するつもりかと叱られそうなので止めておく。


2011.07.15

転ばぬ先の杖

何かにつけて人はまず自分を守ることを考える。

恋愛においても同じことが言えるはずで、自分を守らなければ愚痴や不満も生まれない。
自分にとっての相手という大前提があるからである。

ただそこに自己主張ばかりがはびこってしまえば恋愛という意義を失うことになる。
恋愛に一方的な主従関係は必要がない。


男は最終的には女を守る立場に立つことになる。
それが家族となり、自分の愛する者たちを守るということにつながっていく。

自然と女は守られる側になる。
これは本能的に女はみんな知っている。
だからこそ最終的に女は自分を守ってくれる男という条件を優先する。


難関はその条件をクリアできる男なのかどうかを見分けられるかにある。

女のほうがシビアになるのはここで転んでしまうのは愚か、つまづきたくもないからである。


2011.07.09

賢い女の定義


賢いというのは男も女も勉強ができるとか教養があるとかには全く関係がない。

可愛らしさを前面に出せる女も、誰に対してもしっかりした対応ができる女も、空気が読める女もみんな賢いには違いない。

ただそれは他人から見ての一般的な評価であって、どこかに流石と思わせるような神技を持っているのだろうと思う。


先読みするのに長けていても度が過ぎると鼻に付く。
立ち回りがうまくても計算高く見えてしまえば逆に嫌な女に見える。


そう考えると立ち居振る舞いではなく、良い男を見分けるのが上手な女は賢い女だと思う。

男の足りない部分を補えて、その男を実際以上に良い男に見せる事が出来る女。

男からみて理想的な定義だが、そこにはさらに鋭い刃も隠されている。


自分に合わない、自分の基準に満たない男だと判断した時に一刀のもとに切り捨てる事が出来る女が賢い女なのではないだろうか。

2011.07.06

絶望からの脱出

絶望の淵に立つと言う言葉がある。

今まさに崖から落ちてしまいそうな状態を指すのだが、落ちてしまってはいないと言う事だ。
ならば落ちる前に立ち去らなければいけない。


恋に破れた時や新しい恋が見つからない時にこう言う表現を使うが、人は自分を追い込む動物である。
それが好きなわけでもないだろうにそうしてしまう。


高い所に立つと下を見てはいけないと言う。
吸い込まれてしまうからだろう。


恋の崖っぷちから脱出するには、敢えて一度覗きこんでみたらいい。
但し、恐怖を感じる事である。

そこで恐怖を感じる事が出来たなら、その場を離れるはずである。

崖下を見ることを止めて歩ける道を探す。


それは過去を振り切ると言う事に等しい。
過去は微笑んで振り返れるものだけを思い出せばいい。

まだ浄化できてない過去は振り切る事以外にない。


一度その恋の過程を順に振り返って、一気に断ち切ることが一番の脱出方法だと思う。

大事なのは淡々と映像を見るように思い起こしていく事なのだ。
振り返る過程で落ちてしまわない事である。


2011.07.01

しあわせと賭け

「君を幸せにする」「幸せになろう」 お決まりのセリフなのだが、言われた側はどう捉えているのだろう。

単なるプロポーズの言葉なら言うのは簡単なのだが、具体的にどうするのかと聞かれたら幸せの定義が答えられないと難しいではないかと思ってしまう。

「ずっと一緒にいるのが幸せだと言えるように君を愛するよ」と言いかえれば今度は愛の定義が難問となる。

こう考えると口頭での保証をどう信じるかと言う事になってしまうが、言われた側にとっては賭けるか降りるかしかない。


恋愛の中で裏切りを経験してきた人にとって簡単に乗れる賭けではない。

特に女性にとっては若いうちなら取り戻せるかもしれない時間が、年齢とともに無駄に使いたくない時間に変わっていく。


結婚が一世一代の賭けと言われるのもそこにあると思う。


ただ結婚によらず、すべての恋愛も賭けの連続である。

吉と出た結果は幸せと感じた時にわかるが、次の日には凶となるかもしれない。
それは誰にも予想がつかないからギャンブルであり、だからこそ勝っている間は楽しくいられる。

ひとたび裏目に出た場合はそこで終了のきわどいギャンブルをしているのだ。


幸せは自分が感じた分だけ相手に感じてもらわなければ本来の幸せではないのではないだろうか。
なぜなら、相手が幸せならその分だけ自分も幸せでいられるような気がするのである。

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