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februar 2011 posts

2011.02.10

魔性の女

男にとって魔性の女とはどんな女なのか。

美人なのに根性が悪くて気が強くてどうしようもなくあばずれな女。
それは魔性ではなく悪魔だな。

美人と言う点は間違いないと思う。

おそらく男が自分でそう感じる相手を言うのであって、その女は何も特別な事はしていないのではないか。
本人が意識して男を虜にしようとして振る舞うと、何となく悪女ってイメージになる。
魔性と呼ぶ事には男側からして悪というダークなイメージは持っていない。

男が自分の感性で相手の女を魔性と思えばそれは魔性なのだろう。
そしてそう感じる男が多いほど、その女の魔性度は高いと言える。
誰もが感じると言う事はそれだけ真実味がある。

魔性とはある意味で魅力であるから先ほどの悪魔や悪女とは全く違うのである。
怪しく惹きつけるという事を自然の振舞いでできてしまう、そう言う女を魔性の女と呼びたい。

では魔性の女になろうと努力すればなれるのか。

意識してやっている事を自然の振舞いになるまで昇華すれば可能かもしれないが、おそらく真正の魔性になるまでには何年もかかる事だろう。

持って生まれた気質か天性のものかも知れない。
だからこそ惹きつけられる魅力なのだろう。


2011.02.04

現代の恋愛事情

恋愛に行きつくまでには競争がある。
大げさな話、勝った負けたの世界が天国と時地獄を分ける。

最近、日本の教育の現場では運動会でのリレーはみんなで一緒にゴールイン、学芸会はみんなが平等に主役をやる、作文は全員がはなまるにするだとか、ばかばかしい事がまかり通っているらしい。

順位がついてはいけないという「平等」の解釈がおかしい。
勝ちたいと言う意欲があるから頑張るのであって、どうやってもみんな一緒なら努力などしなくなる。

その元凶は子供たちの親がそういう風に文句を付けるらしいのである。
モンスターペアレンツとか言うらしいが、そういう風に育った人間が恋愛をまともにできるだろうかと思う。

途中で自力で気付いて大人になった人はともかく、そのまま気付かず育った人は恋愛の非情な競争世界に順応できるとは思えない。

相手に断られてもどうしてだめなのかを考える事はないだろうし、だめな点を指摘されても理解できない。
自分がこんなに好きなのにどうして、という自己主義な思考がストーカーチックな人間にしてしまう。

その時、モンスターペアレンツ達はどう文句を言うのだろう・
なぜうちの子じゃだめなの?と言うのだろうか。

あなたに育てられた子だからです、と言ってみたらどうなるだろう。

仕事や生活は他人からあきれられながらも何とかなるかもしれない。
しかし恋愛はほぼ絶望である。

それほど恋愛の競争とは冷酷であると言える。

2011.02.03

恋愛の必須アイテム

付き合ってみたら思ってたイメージとは違ったと言うことをよく聞く。
実際に違っていたのか、実は見抜けなかったのか。

だいたいにおいて人は外では実像と違った顔を見せる。
ある意味演じる事があるわけである。

ドラマの役柄がその俳優のイメージに直結するのと同じようなものだ。
そうなると悪役の俳優などはみんな悪い人になってしまう。


現実の世界では毎日を四六時中、虚像の自分を演じるのは無理がある。
だから安心できるところでは実像の自分をさらけ出す。

実像があまりにかけ離れているとそのギャップに不満が募る。


しかし見せる方があるならば、見てとる側もあるわけである。
こう見せようと思っている相手の実像を、付き合う以前に見ようとすればできない事はない。
それよりも先にイメージを作り上げるから崩れた時に落胆するのである。


一緒にいて安心できる人、落ち着く人がいいと言われるのは、その実像がイメージに重なったということだろう。
最終的には男も女もそう言う人を求める傾向がある。
しかしそれを求めながらも外見や外面にも理想や好みを付け加えるから印象が先に理想のイメージを作ってしまう。

恋愛にはお互いに「見る側」の眼力も必要になってくるのではないかと思う。

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