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december 2010 posts

2010.12.29

恋心の正体


好きになると言う事に「考える」という要素が入っているのだろうか。

この人のこういうところが好き、ここがたまらないと言うのはあっても考えてから好きになるとは思えない。
要するに考えて好きになると言う回路があるだろうかという意味である。

何がどうかはわからないが、好きになると脳の中心から感情が湧きおこり、脳全体に浸透していくような感じである。
それに反して好きであると口説かれて、この人がいいかなと考えてみて付き合ってみた場合、脳の外側から中心へ向かって感情を植え付けていっているような感じがする。

そのまま中心へたどり着けばそこでやっと好きであるという事に一致するかもしれないが、途中で頓挫してしまうようなら、好きであるというはっきりした感情が掴めないまま終わってしまいそうである。

押しに弱い女性にはこの傾向が多くみられる。

おそらく好きになると言う感情は湧き上がってくるものであって考えるものではないのであろうから、理屈ではなく考えるより先に脳の中心に火種がともるのだと思う。

それが徐々に、或いは勢いよく脳全体に広がっていくから別れる事になった場合に鎮火するのも時間がかかる。

周りから焚きつけられて付き合ったり、好きなのかどうか曖昧なまま付き合っていった場合は、外側からの火がついた状態だから芯まで届くまでに消えてしまう事が多いのかも知れない。


恋愛は男女ともはっきりと相手を好きだと自覚できてないと短命に終わる可能性がありそうである。


2010.12.23

隙の効用

隙がある女と隙がない女。

男から見てどちらも魅力がある。


隙があると感じたら、そこを攻めて落としたいと言う策略を練る。
はたしてそれが本当に隙なのかどうかも定かではなく、根拠は勘だけである。
だからと言って、隙だらけだと攻略は簡単だろうが魅力ではなくなる。

わざと隙を作られてるのではないかと言うくらいの微妙な隙が魅力だ。


隙がないと言うのは難攻不落に感じる。
しかしそれでもどこかに僅かでも隙を見つけようと挑むのが楽しい。
その気持ちを起こさせてくれるのが魅力に感じる。

まったく人を寄せ付けないのとはまた違う。
普通に会話も楽しめてコミュニケーションには欠いていないのに簡単に隙を見せないところに意欲を感じる。


隙をうまく逆用されれば男は手の平で泳がされる。

たぶん男は隙だらけなのだろう。


2010.12.18

自分のレベル

男として女として自分のレベルがどの程度なのか、どの位置にあるのかを知っている人は、相手を探す際にも自然と相手のレベルを読めているのだと思う。

おそらく下過ぎる相手は選ばないだろうし、背伸びしても届かないような相手には怖気づいてしまう。

それは外見の事ではない、外見のレベル等は大したことではないからだ。


その差がありすぎる組み合わせは長続きはしないように思う。
レベルの低い方が急速に同レベルまで近づいて来ない限りは無理だろう。

上手く付き合っていく二人はどこかで平均されたそのレベルが近いのではないか。
例えば、優しい、強い、可愛らしい、楽しい、と色んな要素でレベルが構成されているとすれば、一つが飛びぬけていてもそれだけでは高レベルにはならない計算である。


自分のレベルをあまり認識できてない人は、そう言う事に無頓着であるかうぬぼれが強いかであるから、自分とかけ離れた相手を選ぼうとする。

それでも相手が選んでくれればいいが、それこそ自分のレベルを上げるチャンスなのであるから、いつまでも気付かないままだとその相手はいつか離れていく。

そういう人は得てして相手が悪いのだと言わんばかりに相手を非難する。


レベルの低い相手とはなぜ釣り合わないのかと言えば、それは周りから見てもその低いレベルの人と同様のレベルだと見られるからであり、自分のレベルが落ちていくのを嫌うからである。


人をレベルをと言うもので格付けする議論ではない。

恋愛を語るのにどうしても必要不可欠となる相手選びの基準は、自分で認識すべき自分のレベルであることはおそらく間違いないと思う。

ただ自認していない人が多いのも事実である。


2010.12.15

恋は下心か?


恋と言う漢字を取り上げて下心があるという俗説だが、なるほどなと思う。
では下心とは何なのか?

裏にたくらみがあるのだと言う根底には身体を狙うと言う事が言われるのであろうが、それのみを目的とするならば、それは恋ではない。

しかしそれが始まりで恋に発展したのであれば、それはそれでよしなのだろう。
とすれば、下心がある事自体は問題ではないはず、。

問題なのは恋に発展しない場合に下心だけが結果としてクローズアップされてしまうところなのだろう。

そもそも好きな相手を抱きたい、抱かれたいと思うのは自然であって、そこだけを目的にする事が下心なんだと結論付けるならば、その結果は後にならないとわからないから厄介なのである。

そこを用心して、慎重になる事は致し方ないかもしれない。

しかし男に限って言わせてもらえば、SEXという要素を切り離して女性にときめくことはほとんど無いと言う事だ。
男にとって恋には必要不可欠なものの一つである。

だから恋は下心なのではなく、下心があって始まるという意味では正しい解釈かもしれない。

女性側からすれば下心を持ってもらうのも魅力の一つだが、下心で終わらせない別の魅力も必要になってくるのだろうね。

2010.12.08

氷の中の傷


氷は透明でダイヤのように美しいイメージを持つ。
しかしよく見れば細かな気泡やゆがみがある。

何の加減か、たまに亀裂のような傷があることがある。


恋の傷とはこんな状態なんだろうなと思う。

その傷を取り除こうとしてもそれだけを取り出す事が出来ない。


周りの氷が冷えた心なのであり、傷は心の一部なのであって、傷と言う物体はないのである。

氷を割ってしまえば傷は見えなくなるが、氷そのものを手荒く砕くと言う事になる。
それは心を砕くと言うのと同意語にはなるまいか。


どうすれば傷を消す事が出来るのか。


冷えた心があるから傷が見えるのであって、氷そのものが溶けてしまえば傷も同時に消えてしまう。
割ろうとせずにゆっくり溶けるのを待つしかない。

氷がある事、それを見てしまったからこそ氷を壊すことに躊躇する。
しかし、そもそも恋愛に氷は要らなかったのである。


氷の中から傷だけを取り出そうとする事が到底無理な事なんだと気付く。


2010.12.01

相思相愛の奇跡


相思相愛とはただ単に付き合うことができたと言う時点でそう言えるものだとすれば、どのくらいの確率で起こりうるのだろう。

同じ自分であっても年齢や経験、男として或いは女としてのレベルによっても相手側からの好感度が変わってくるはずである。

そうであるなら、今現在の自分が見ている相手は過去や未来に出会っていたらどうなるかという仮定が成り立たない。

それは都合のいい部分だけを過去や未来に持っていく理屈だからだ。


仮に2割の確率で相思相愛が成立するとすれば、100人にアプローチすれば20人と恋愛できる事になる

一言で20人といってもその人数はすごい数字だ。


だがしかし80人は駄目だったことになるから、こちらも数字的には相当なものである。


ずっと断られ続けて、どうして好きな人には好かれないんだと思っていても、そこで諦めてしまってはその確率は得られない。
81人めに当たるかもしれないからだ。

20人までまったく断られることなくても、その後の80人立て続けに断られることもある。


つまるところ確率と言うのは最終的にはじき出す数字であって、病めるまで永久に続くのである。

1000人で例えると800人目で諦めたら801人目を逃すことになる。


要するに諦めない姿勢がある限り確率は上がると言う事である。


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