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oktober 2010 posts

2010.10.27

恋愛への道しるべ

誰が恋の先へと導いてくれるだろう。

おそらくは指くらいは指してくれるかもしれない、だが所詮その先へは一緒に行けない。


すべては手探りでも自分で進むしかない。


友人や仲間や身内の人達はその途中の道しるべになってくれることはある。
こちらへ行けば道が細くなっているかもしれない、こっちは落石があるかも、そちらはカーブになってますよ、と言うくらいの事は教えてもらえても、注意して進むのは自分なのだ。


今、大きな広い道路をゆっくり進んでいるからと言っても安心し切ってはどんな事が起こるかわからないよ、と言う案内だと思えばいい。


こう言ってしまうと恋愛の先には悪い事ばかりが起こると言わんばかりだが、そうではないのだ。

いい事があると言う道しるべは必要がないのだろう。


それは用心とか注意と言うよりむしろ心構えだと受け止めればいい。


楽しい道を進んでいる時こそ気を緩めるなと言うことのように思うのである。

2010.10.21

愛と金

お金があれば幸せを手に入れられる、愛だけで幸せは掴めない。

そう言う声をよく聞く。

そう言う人達の愛の定義はどういうものだろうか。


何でも手に入り物欲的に満たされれば愛は湧き上がると言うのなら悲しい理論だ。
自分の欲を満たしてくれる相手なら愛を感じれるとは思わない。

お金が大事かどうかの理論とは全く別物である。


逆に愛があってもお金がなければ幸せになれないと言うのも違う気がする。
幸せは自分だけが感じられればいいというものではないはずだ。


苦労しても幸せな場合もある。
裕福でも不幸せな人もいると思う。


要は自己満足的に欲求さえ満たしてくれれば幸せなのだと勘違いしているように思えてしまう。

愛がすなわち幸せと言うわけではないかもしれない。
が、お金がすべてであればお金がなくなれば幸せが消えるというならば愛は最初から存在しないのではないか。


愛は消えて無くならないものだと思いたい。


2010.10.20

迷いの次元

気になる相手だとか好きな相手がなかなかこっちを向いてくれないとなると、そのまま頑張り続けるか諦めるかしかないのだが、どこでその決断をするのか。


諦めると言うのは気持ちは残ってのことに違いない。
であれば、自分の限界で断を下すのか、相手の気持ちを読み取って引く決心に至るのかとなる。

どちらにせよ、相手に気持ちを伝えてからでないと引くに引けないというのが男の心理である。

しかし女にはそうでない引き方がある。
伝える前に先読みして想いを閉じ込める場合がそれなのだろう。


そういう状態にいる時に、例えば別の相手が近くに現れたら、そしてその相手が自分の基準内であったらどうなるか?

通常と言っては語弊があるが、それだけ真剣に想う相手がいるならばまずはそっちに目がいかないはずであろう。
それは失恋した後の弱っている時とは状況が明らかに違う。

ただ自分がその弱り切ってしましそうな状況を作り出しているにすぎない。


最初に記した状況は迷いの状態である。

どっちがいいかと言う迷いではなく、自分がどう進むかの迷いだから第三者は絡んで来れない。


ここでその第三者に気を取られるならば、最初から大した想いではなかったという事である。

決断を下した後ならともかく、結果が出てもいないうちに目先が変わるのはただの惚れ症に他ならない。

どちらも手に入れてやろうとするならしたたかであるかもしれない。
ただし、それなら悩まない。

浮気とも違う。
誰とも付き合っていない立場なのだから。


迷いとは違ってもっと次元の低いものと評価される。

結果は目に見えるのである。


2010.10.09

恋の意義

恋はしている事に意義があるのじゃないだろうか。

恋をする事さえできないと思っている人には、恋ができるだけでもうらやましいはずだ。


相手がいるいない、現れない、出会いがないと言う問題ではない。
恋ができると言う事は、現実の相手であろうがバーチャルであろうが、その気持ちが持てるという事には違いないのだから。

その恋が成就できるか否かはもちろん大事な事だが、その前に恋ができると言う事は可能性があると言う事になるからである。

心の高揚と言う感覚を自分で感じられると言う喜びがそこにはある。

つまるところ恋はしているだけで楽しいものだと言う気持ちを持って欲しい。
苦しい恋など経験としてはあってもいいが、繰り返したり続けたりする必要はないと思うのである。


恋の意義とは、生きてる喜びに等しい。


2010.10.07

恋愛中の視点

恋愛中は相手の粗も多少は打ち消す事が出来る。

好きだからこそ合わせると言う事が恋愛中なら苦にならない。

そこはやはり奥深くはわからないという事もあるのだが、結婚となると違ってくる。
或いは一緒に住むと言う時にも違った事情が顔を出す。

深くかかわるという事には周りの諸事情や環境など、生活としての世界が待ち受けるからである。


この複雑な難敵は一言で「価値観だ」とは言えまい。

違うのが価値観なのではなく、違いを受け入れるかどうかがある意味で価値観なのだと思う。


恋愛中のテンションをそのままに結婚に結び付けても上手くいく場合とそうはいかない場合とに別れるのは、おそらく見えなかったものが相手の性格や態度だけではないからなのだろう。


良いとこ取りをしていけるのが恋愛なら、悪い所を浮き出させるのが結婚かもしれない。
ただ、それをも享受していけるのが愛となっていくのではないか。


恋愛は大胆に、結婚は慎重にと言いいたい。


2010.10.01

探りの一手

ドキドキもしない相手で付き合ってもいない、なのに手を繋いでこようとする心理は何ですか?

女性からの質問である。


当然相手は男であるが、その男の方がドキドキもしないとはっきり言っているらしい。


結論から言えば「探り」としか思えない。


若いうちなら勢いもあってノリですることもあるかも知れないが、年齢を重ねてしまうとそんなノリでは通用しなくなる。
と言うかノリでやるのも気恥かしい。


これが肩を抱くとなると意外とできる、親しみを持って気軽にできるのである。
手を繋ぐのとは似て異なる行為なのだ。


女性側からしても、手を繋ぐという行為はかなりな好意の証だろう。
そこからすれば、手を繋ごうとした時の女性の反応は本心がリアルに反映されると推察できる。

であれば、計算された行為と取れるのである。


女性の反応を見て次の手に出る。

それはある意味、女性の顔色や気持ちが読める男と言う事でもある。


さらに上をいく女性はそれさえも読んで反応を演技できてしまう。

狐と狸のごとし。

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