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maj 2010 posts

2010.05.29

心理戦

自分の好きな相手に気持ちを伝えると言う事は、直接的なら告白と言う事になる。
そうではなくその雰囲気を醸し出すならアピールとなる。

どちらの方法であっても相手にわかってほしいということには違いない。
しかし受け側からすればズバリ伝えられるか、行動で来られるかでは少し対応が違ってくる。

ズバリ告白されるなら相手の気持ちははっきりしている。
アピールの場合はもちろん気付かせることが前提なのだから気付くには違いないのだが、100%の確信が持てないのである。
うぬぼれかなと言う懸念もぬぐえないから、迂闊にそれには乗れないという気持ちも併せ持ってしまう。

直接的に告白しないのは性格もあるが、振られた時にそれまでの縁が切れてしまうのを恐れる。
ならば平行線のままでいいかなと考える。
どちらかと言うと女性的な行動心理だと思う。

アピールするというのは相手が気付いてからどう出るのかを窺うという心理戦である。
直接的でない分、その行動に表すラインが難しい。
ラインに届かないと気付いてもらえず、度を過ぎると相手が引くと言う事もあるからだ。

アピ-ルするだけなら簡単なように思えるがその場合は、相手に微妙なラインで気付かせ、その反応で相手の感触を読み取り、前に出るのか引くのかの断を下すという事後の行動に重要なポイントがある。

気軽にやってしまうと後で手詰まりになるのもお忘れなく。

2010.05.20

ずれゆく感性

よくフィーリングが合うとか合わないとか言う表現を使うが、フィーリングとはそもそも何なのだろう。
直訳すれば「感覚」と言うことだが、好きである理由を抽象的な伝え方しかできないからその一語に託すのかもしれない。
自分の好きな人の事はおそらくそのすべてが好きなのであって、突き詰めればそこにたどり着く。

その感覚、とらえ方と言うのはその時の自分の感性によるのだとしたら、たとえば10年前に好きだと思った人とその時に出会う事がなく、今現在に初めて出会ったとしたら同じように好きになるのだろうか。
同じように今現在好きな人ともっと昔に知り合っていたら恋をしているだろうか。

現実には相手も変わってきていると言うのもあるが、もし変わってなくても自分の方が変化しているならフィーリングという感じ方も違ってくるはずである。

感性が常に変化していくのだとしたら、人は人を好きになってもいつしか別れていくのは理不尽なことではないのだろう。
ただお互いに変化していく感性が同じような同調のグラフを描くなら気持ちは長く続いていくのかもしれない。
そうでなければ一生をともにすることなど不可能だ。

さらにその中でもお互いを認め合うという要素が必須なのだろう。
これは我慢とはまた違った感情であって、ストレスを感じることなく消化できてこそなのである。

フィーリングが合うと言うのはそこに負担と言う感情が殆ど感じられない状態なのだと思う。


2010.05.06

女のトゲ

綺麗な薔薇には棘があると言う。
よく綺麗な女だからと言って不用意に手を出すと怪我するという意味に使われる。

しかし、女は少々棘のある方が楽しいとも思う。
我儘であったり、無茶を言ったり、やきもちをやいたり。その程度の棘は扱いを間違えなければ怪我もしない。
それが度を超すような棘であるなら用心の域を超えてしまうから触れようとも思わないが、チクッとするくらいなら笑って済ませられる。

何の棘も毒もない花だと扱いが無造作になってしまうかもしれない。
あるいは逆にもっと丁寧に優しくなるかもしれないが。

いずれにせよ花そのものには棘などないのである。
要は扱う側、この場合は男の心づもり次第だということだ。
女の側からすれば棘を持っている方が男の慎重さ、優しさを引き出す武器になると言える。

棘が隠れていればそれを知らないで怪我をする、それよりむしろ棘は明らかに見えている方がいい。
それだと多少の痛さは覚悟できるのである。

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