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marts 2010 posts

2010.03.26

恋をしなくなる時

人は年を取り、老いていくと恋などの感情がなくなってしまうものだろうか。
いやそれはないと断言したい。

日常の雑事や仕事、家庭の事などを抱えて生きていてもそれはただ義務をこなしているように思う。
それらのことに翻弄されてしまって、恋をすることが煩わしくなってしまうだけにすぎない。

現実に恋愛をするとなると色んな事を考えたり思ったりする。
その事を考えると「いまさら」となってしまうのだろう。

がしかし、恋はそうやって考えて行うものではない。
美しいとか、楽しいとか言う感情が消えてなくなるわけがないのと同じく、恋する気持ちは失せないと思う。

ただ恋愛をしていくのが煩わしく、困難となった時に人はそこから自身を遠ざける。
恋をしなくなったわけではない。

不思議なもので、恋をしていると日常の些細なことも楽しくなる。
周りの景色も生き生きとして見える。

経験がお有りかと思うが、自分の気持ちがポジティブになると視線が変わるためか、周りまで明るく感じられるものである。

雑事や忙しさに忙殺されて恋を忘れてしまうという事は、ネガティブな環境を自ら作り出すに等しい。
恋をするからいいと言っているのではなく、恋など忘れたとかいまさら等と思うことそのものが下向きなベクトルとなると言えるのではないか。

忙しいから、日常が煩わしいからこそ恋をしていたい。

本末転倒な生き方はしたくないと思うのである。

真に相手を認めるという事

若い頃は相手を大事に思うことが嫉妬や束縛につながると思っていた。
しかし今は本当にそうなんだろうかと思う。

度を超すと相手の友人や大切な物事にまで嫉妬しだすが、そういう事にまで制限を加えると相手の世界を狭めることになる。
好きな相手や大事な人にそういったマイナスになるような強制をすることが果たして純真な想いから来るものだろうか。
恋愛を優先にすると言うことだが、優先にするのと他の事をシャットアウトしてしまう事とは全く違う。

恋愛に未熟だと、恋愛によって犠牲にする事の取捨が見極めにくい。
特に女性は腑に落ちない気持ちがあっても従ってしまいがちである。
自分が本当に大事に思う相手の築いてきた縁を切るような事を望むことは、真の意味で大事に思っていないからできると言う矛盾が起こる。

好きであり大事にしたいが、過去にそうしてきてくれた人との縁は否定する行為に走る。

要するに自分が嫌だと感じるから、という理由でしかない。

極端に言えば、お前の事が好きだから俺の言うことだけを聞いて欲しい、俺の嫌なことは何一つするなというに等しい行為である。

これは全くの自己中心的な暴挙であると年を経てから気付いた。


男性は自分の好きな人の男性の知人にいい顔をせず、女性は好きな人の周りの女性関係に嫉妬する。
しかし、そういう関係があっての相手を好きになったことを忘れてしまっている。

その人達と関わった時間が相手の魅力を作ったのだと言う事を切り捨てていては、本当に相手の事を大事にしたいと言う想いの真実味は薄れてしまう。
それに気付いて、尚且つ受け入れる事ができなければ、おそらくその人は相手に興味が無くなった時に、感謝をもって手放すという事が出来ないだろう。

2010.03.23

感情の速度

好きと言う感情が一気に冷める場合と徐々にトーンダウンする場合とがある。

嘘をつかれたり裏切られたと感じた時に、もうこの人とは一緒にやっていけないと誰しも思う。
しかし好きと言う感情は消えてしまわずにまだ残っているはずである。

周りから見てそんな相手をどうしてまだ好きと思えるのと首をかしげても、当人からすれば説明がつかない感情が残っている。
理論でわかっていても感情が消え去らないという状態である。

充電されてパワーが満開の電池があとひと目盛りになって弱っていても、それはシャットダウンには至っていないようなものだ。
もしこの時点で充電器で充電することが出来れば、ひょっとして回復することも不可能ではないかもしれない。
相手が起死回生の充電器を用意できればの話だが。

おそらく一度下がってしまった恋の感情は元通りに回復するのは難しい。

徐々にトーンダウンすると言ってもマイナスの方向へ向かっている事に違いはない。
感情は理論より早く上昇し、遅れて下降する。


これに対して一気に感情が冷めると言うのは、充電の余地がない。
一瞬にしてシャットダウンされてしまう。

理論と感情が即座に一致した場合である。

しかしながら感情が徐々に下がっていくより、当人にとってはその方がずっと楽であると思う。
これが意図的に出来ればみんな楽なのだろうがそうはさせてはくれないのである。


2010.03.14

見栄

見栄って言うのは若さの特権ではないかと思う。

若いうちなら見栄を張っていても、それが「まだまだ若いな」で見逃してもらえる。
それがいい年になってくると「馬鹿じゃないのか?」っていう風に見下される。

それを本人が気付かないところがピエロなんだろう。

年月が経って自分が成長した時に振り返れば恥ずかしくなってしまう。
それでも気付いたならまだよかった方なのだろう。

一生気付かない人は救いようがない、ただ本人は幸せなのか不幸なのかどちらとも言えそうだな。

見栄に気付いている人から見れば憐れんでしまう。

これは男とか女に関係なく言えることだと思うが皆さんはどう考えるでしょう?


2010.03.06

異性から学ぶ事

男と女が交流を持つ事は同性同士の付き合いとは違った感情を学ぶ。

恋愛としての付き合いでなくても、異性の発言や行動の根拠を実感できるのは貴重である。

もちろん学ばなくては意味はないわけだが、実際に体験できていると言う点では、異性との交流が少ない人よりも後になっての分析の材料が多いという事が言えそうだ。

自分の彼氏や彼女が異性の友達と交流が多い事を嫌がる人は少なくないが、それは全く無意味な嫉妬であって、むしろその事を誇るぐらいであって欲しい。

二人きりになる必要が無いではないかと言う人もいるが、二人きりだからこそ言える事もある。
それぞれ相手によって話す内容的にも色んなジャンルやレベルがあり、どこかで区分けしているはずである。

異性と交流する事は、同性の目からは判断に窮する感情や考え方を紐解くヒントを得やすい。

その異性と恋愛していないからこそ素直に受け止めたり理解できたりすることが多々あると思う。

恋愛してしまうとそこが見えなくなるから理解できずに悩む事もあるだろう。

ただ同じようなレベルの似たような異性とばかり交流していても、それが逆にあだとなり男(女)とはこんなものだと言う固定観念を生む。

タイプの違う色んな異性の友人がいると心強いことだろう。

但しせっかくそう言うことに恵まれていても何も感じ取らないのでは宝の持ち腐れである。



2010.03.04

恋愛の弱点

恋愛の弱点は自分の気持ちや相手への不安や疑問が客観的に見れないことにある。
だから迷いと言う道に入り込んでしまう。

もっと最悪な事は迷う事もなく泥沼に入っていくことである。
それは危険な状況に気付かない冬山の登山者のように気付いた時には手遅れとなり立ち往生してしまう。

自分の恋愛を客観的に見ることは簡単なことではないのもまた然り。
それはすべての状況が辛く苦しく悲しくとも、たった一つの嬉しさに帳消しにされてしまう事があるからである。
しかしそれは帳消しになるほどのことではないことにさえ気付いていない。

人はどん底の状況に置かれた場合、わずかな救いがどれほど大きな喜びになるものかを考えればそれが理解できる。

そういう状況だからこそ大きな喜びに思えるのだが、そうではない場合は当たり前の事であることが多い。
「優しさ」を例えに出せば、誰しもがするであろう事でもその一点にすがる事ができるくらいの「優しさ」に見えてしまう。

自分の恋愛を客観的に見るには、その恋愛の始まりからのストーリーをずっとたどって綴っていけばいい。
そこに自分の感情や主観が入ってもそのすべてを書き留めてみればいい。
書き綴っている間、或いは読み返した時にひとりの読者としての感想が得られるはずである。

自分の恋愛は主役であるが、読者になることも無意味ではない。








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