無料ブログはココログ

« maj 2009 | Main | juli 2009 »

juni 2009 posts

2009.06.28

理解への第一歩

頭ごなしに物を言う人は自分の考え方や理論が最高、最良であって他の意見には耳を貸さない。
その考え方そのものが間違いではなくともその伝え方に間違いがある。
相手の意見を受け入れないと言うのは自信なんかではなく余裕が無いだけとなる。
自信があるならば相手の考えを聞いてなおかつ覆せるはずだからである。

恋愛の中では男にその傾向が強い。
男の言うことだから従えと言うのは暴挙でしかない。
男には女の事を理解できてない部分の方が多いはずであるから、より一層の理解を得るためにはきちんと聞かないと無理なのだ。

男が女の反発に切れるというのはほとんどの場合が理論詰めで納得させる自信が無いからであって、そういう時に男は『女は何を考えているのかわからない』と愚痴る。
考えようとしないから解らないのは当然である。

考えたから必ずしも解ると言う単純な物でもないのもまた確かである。
しかし考えることは、想定であっても色んな状況を作り出し、自分の考え方の幅を生み出すことに通ずる。

女が理解できないというのは当たり前であってもそれを放っておく事は当たり前にしてはいけないと言う事だ。

まずは自分の考え方にもまだ肉付けしていける余地があると言うことに気付くことが第一歩である。

2009.06.17

空気のような存在

人と人の関係に於いて空気のような存在とは、あって当然という意味でよく使われている。
無ければ生きていけないと言う意味ならば最高の誉め言葉なのだがそういう風には使われていないように思う。

特に恋愛では無ければ生きていけないではなく、あるからと言って特に常に存在を意識しているわけではないという状態を表現する場合が多いのではないか。

しかし、そう表現されて嬉しい人はどのくらいいるのだろう。

そのくらい打ち解けた、お互いを認めたと言う意味合いも含めての事だが、普段は存在感を感じない位にあって当たり前だと言うのである。


恋に堕ちると貴方なしでは考えられないと思うようになり、もし失うと自分の存在も有り得ないと感じるようになる。
その高揚した想いを自分の気持ちの中で鎮めていくことができれば、テンションは下げることなく穏やかな想いを維持していける。

そのときに本当の意味での空気と感じられるようになり、そして相手にとっての空気のような存在であるためには、良い意味でも悪い意味でも苦しめる存在であってはならないということである。

空気は常に新鮮であってほしい。


  

2009.06.12

予兆と対処

にわか雨というのはその言葉通り突然にやってくる。
前もって予測していないから準備が無い。
突然と言う事態への対処の仕方も人それぞれである。
走り出す人、軒のある所に避難する人、平気でそのまま歩いている人もいる。

突然と言っても厳密にはその予兆はどこかに現れている。
雲が一面に広がるとか暗くなるとかポツポツと雨粒が落ちてくるとかであるが、気付いても間に合うかとか対処できるのかは別にして、予兆があると言うのが大事な点である。
その予兆に気付くかどうかに重要性があるのだ。

恋愛に於ける場面でのにわか雨とは、急に不機嫌になるとか怒り出すとか悲しそうな表情を見せる事であるが、すべてに予兆はあったのではないだろうか。

天候のように空が暗くなると言うような視覚で捉えられるようなものではないだけに見落としがちだが、全く突然に何の関連性も無く怒り出したりする事は有り得ない。
そう言うことがあるならそれは病気の疑いがを持った方がいい。

自然の天候と違う点は、予兆に対して気付きさえすれば対処できると言うことである。
雨は気付いたところで降らさないようにはできないが、恋愛の場合は不機嫌になるとか怒り出すことを未然に防げると言うことなのだ。

つまり恋愛に関しては雨宿りするとか、走って先を急ぐとか言うような対処はすでに手遅れであって、予兆に気付いて降らさないようにすると言う最も根本的な対処がより大切だと言うことになる。


2009.06.08

落とし穴

人に対して新たな一面を見つけた場合、新鮮な印象を受ける。
ところが最初から知っていると当たり前になる。
これはいい意味の場合である。
新たな一面が酷いと感じる場合は新鮮どころか一気に冷める。
この場合は意識的に隠していたかのような扱いを受ける。
最初から知っていたら付き合わなかったと言われるほどにもなる。

相手の色んな面を知ることの重要性や楽しみは時にはこういう怖さもあると言うことである。
知る順序によって恋愛の行方が違ってくる。
恋愛になっているかどうかさえ左右されているかも知れない。

新鮮な一面は素直に喜んでいいと思う、その反面落胆した一面は慎重に捉えるべきだろう。
思っていた印象とよほどの格差がある場合を除いて、それは単なる一面であるかもしれないし、たいしたことではないと考えていたら本性だったと言う場合もある。

すべてがあばたもえくぼと言う状態が一番注意すべき心理の落とし穴である。



2009.06.04

いい女

男が女を見ていい女だなあと表現する時に共通するのは視覚的な判定基準である
人がいい女だと評した女性を見て、容姿に極端な疑問符がつけば首を傾げてしまう。
しかし見た人の基準で普通かと言うレベルならばそこから内面の評価に入る。

容姿で疑問符がつくならいい女と評せずにいい子、或いはいい人と表現することになる。
内面の評価が加わってもそういう表現になる。

ただし男も単純ではあるがまったく馬鹿なわけではない。
容姿の判定でいい女と評しても中身の伴わない相手にはいい女とは表現しない。
その場合は見た目はいい女なんだがうんぬん、と残念そうな表現になる。
これで容姿の良さを捨てきれないと言う心理がよくわかる。

女もそれは同じだろうと言われそうだが、たしかに同じ様なことを言ってるのもよく聞く。
しかし切り捨てるのが男より数倍も早い点で違いがある。
男にはそれを切り捨てるのに多少の未練が残るということだ。

男から女を見るときに容姿がこれだけ影響していることは蔑視ではなく本能がさせる事実なのだろう。
普通と言う基準は曖昧だが極端でさえなければ普通と判定しているのだと思う。

だからこそダイエットだ美容だと女性は敏感になる。
どういう手段を選択するかは別にして、敏感になると言うことがいい女への第一歩ならば男は大歓迎である。

しかし残念がらせないためには内面の磨きは必須である。
ダイエットや美容では内面は向上できないからであり、最終判定はそこにあるからである。


« maj 2009 | Main | juli 2009 »

Categories

  • 恋愛
oktober 2017
søn man tir ons tor fre lør
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        

Recent Trackbacks