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september 2008 posts

2008.09.30

満点の条件

テストで100点満点を取れる人は100点以上の力を持っている可能性があるということである。
100点を一区切りにして一つのテストを作っているからそういうことになる。
もし、100点が満点でなく200点が満点なら120点で終わっているかもしれない。
しかしながら100点満点のテストで99点しか取れなかったなら、それはそこまでの実力と見なされる。
だから100点と99点では雲泥の差があるのだ。

恋する相手に100点を求めてもそれは無謀な欲である。
しかしながら90点の人なら100点に届くまでに10点も楽しみがあるはず。
実際のテスト同様、80点の時もあれば、99点の時もあるだろう。
上に行けば嬉々とし、下に落ちれば落胆するのは贅沢である。
平均して90点以上の評価があれば充分すぎるほど充分ではないだろうか。
いや80点でさえ充分だ。

評価が下がるときと言うのは80点の平均点を持っていたのにもかかわらず、どんどん70点60点と下降して行った場合なのである。

そして全ての評価は相手が決めるという事を忘れてはいけない。
自分の自分に対する評価は甘口であれ辛口であれ、それは相手から見た評価とは基準そのものが違う。
満点の条件とは、満点以上の実力を持つ事にある。

2008.09.20

疑惑の処理

疑惑と言う時点では確信ではない、それは自分の気持ちが納得できない事による。
真実を追究すると、もし真実であったならもちろん落胆し怒りも込み上げてくるだろう。
しかし真実を知った事にある種の安堵感を覚える。

逆に真実ではなくただの疑惑であったなら、疑惑であった事に安堵するであろうが、疑惑を持った自分に後悔する。
相手を疑ったと言う信頼の絆を自ら破った事に対して自己嫌悪に陥る。
ただ単に真実を知ったからそれでいい、気持ちが晴れたから満足できたならいいと思うだけなら、その人はおそらく何度も相手を疑う事を繰り返す。

但し、少し気になるから相手に聞いてみると言う程度の事なら、ほとんど疑惑と言うに足りない。
それまで疑惑だの信頼の裏切りだのと言っていては相手と向かい合えない。
嫉妬を自分の中で膨らませて重要な問題にしてしまうと疑惑が起こることになるのだろう。

ならば見過ごすとどうなるか?
何も知らないのが幸せならその時点では楽である。
それが繰り返し起こるようなら気持ちが曇りだす。
そこで気持ちのもやもやが蓄積されていくようならば見過ごす事にストレスが溜まる。
そうなればもはや見過ごしている事にはならないと言えるだろう。

見過ごすと言うのは、もやもやとした気持ちが蓄積せずにまったく気にせずにいられる状態にないと難しいかも知れない。
しかし不可能ではない。
心の余裕の範疇であると思う。


2008.09.18

別れの意味

今の自分があることの意味を考えた時、すべては過去を土台にしている事は拒めない。
消してしまいたい過去があったにせよ、本当に消せば自分自身が消えてしまう。
都合よくその部分だけと言うわけには行かないのだ。

恋愛に関しても過去に付き合った相手を想い出にしようが、否定しようがそれは自由であるが、その恋が無ければ今の自分とは違った自分があるはずである。
良いも悪いも、その恋がその時点では何らかの影響を与えているには違いないからだ。

辛かった恋には、二度と辛い恋はしたくないという思いが次の恋を探す条件的なものとなり、楽しい恋を経験した人はその楽しさを再び味わいたいと思う事が恋に積極的になれる。

何らかの理由で別れた恋もまったく無駄ではなく、付き合ってきた期間の色んな思いが全て今の自分を作り上げてきたと言う事に気付くべきである。
それが無ければ恋なんて、安全に自分の気持ちを満足させるだけのマスターベーションになってしまう。

今更ながら、なぜ恋をするかと言えばそこに癒しを求めるからであり、癒されなくなったと思ったならばそこには自分の成長が垣間見られる。
別れと言うのは相手の成長速度と食い違ってきただけであり、悲しく寂しい思いはあっても必ずしも悪い事ではないのだと思う。

2008.09.05

心の行き場

愛にすがると言う表現はありうるのだろうか。
与える事が愛だと言うならば与えられた愛を受け止めるのは自然だろうが、すがるというには程遠いように思う。

恋愛における愛と限定すれば、愛するあまりに愛される事を切望するという状況だ。
他の何をおいてもその愛の元へ走れば全てが満たされる。
その愛と言うのが今の自分の全てであるという事に他ならない。

恋ならば「すがる」という表現を使っても不自然ではない。
恋するからこそすがるのである。
そこに自分の癒しや安堵を求める。
恋なら求めてもごく自然な事だろうと思う。

愛にすがると言うならば、恋愛の分野は外して考える方が的確だろう。
対象が親や兄弟、友人なれば与えてくれる愛を求めて「すがる」と言うこともありうるかもしれない。

恋愛に関して愛を求め、すがると言うことは自分の気持ちに耐え切れず、その行き場を相手に持って行く。

それはすなわち愛に依存しているのだ。

2008.09.02

未来の回避

気になると言うのは感情の芽生えだろう。
何かに没頭している時、集中している時には邪魔をしないように収縮されて隅っこに押しやられていても、ふと一息つくと膨れ上がってくる。
気付かないうちに思い浮かんでくると言うのが「好き」の始まりだろう。
好きになると言う感情がわからないと言うのはこういう状態を知らないに等しい。
だからこそ何かの条件や障害によって、好きになる事を回避しようとすることは困難、いや不可能かもしれない。
それは無理やり押さえ込んで行動に出さないようにしているだけの事である。
感情のコントロールは所詮は我慢に過ぎない。

回避する事の方が楽であり、いい関係を保つ事ができるならばその選択もありなのだろう。
それは女性の多くに見られる抑制力なのだと思う。
それでも既に好きと言う感情は生まれたと言うのは事実である。
だが、もっと強い「好き」と言う気持ちになった時に回避できない事を知っているから、女性はもっと前の時点でこの勇気ある選択をするのだろう。

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