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juli 2008 posts

2008.07.30

立場の意識

恋の相手に対して「自分のもの」と表現するのは何を持ってそう言うのだろうか。
結婚したら?身体の関係を持ったら?付き合う事の宣言をしたら?
いずれの場合も一つの望みが叶った事には違いないかもしれない。
しかしそこから生まれる安心感が緊張感や努力を遮ってしまいがちになる。

二人の恋の在り方は変化していく。常に良い方に成長するとは限らない。
恋愛をする限りは二つの心が存在すると言うことを忘れがちだが、安心感は自分中心な方向に向かう。
それは「自分のもの」であると言う意識が、相手が自分の配下にあるような勘違いを引き起こすのだろう。
本来は二つの心は対等な存在であるはず。

もし「自分のもの」と言う意識を認めるにしても、そこからの取り組み方がより大切なように思う。
手に入れてからの大事さは忘れられがちである。
去られてから思い出しても手遅れとなる。

ぬるま湯に浸りながら「自分のもの」を強調するなら、いつ「人のもの」になっても文句は言えない理論にはならないだろうか。

2008.07.25

恋がしたい時

恋そのものの「恋がしたい」と言う欲は、そういったものとは少し違うような気がする。

恋愛の中での欲は相手に対する欲求というものが根底にあって、相手と言う対象があるという意味では物欲に近いのだろうが、恋がしたいと言うのは漠然とした想いである。
もちろん人間と言う対象、通常は異性と言う対象があるのだが、それはこれが欲しいと言う明らかなものではなく自分の心が癒しを欲すると言うことだろう。

誰しも「恋」を想い描く時に最初から悲しい恋や苦しい恋をしていきたいと思う人はいないはずである。
「恋がしたい」と言う人にどんな恋がしたいのかと聞いて、こんな恋をこんな風にこうしていきたいと具体的に明確に言える人はほとんどいない。むしろ言える方が義務的で理論的な印象を受けてしまうくらいだ。

「何かこう言う・・・」「何ていうかなあ・・・」こう言った表現で答えてくる事が九割を超えるだろうと思う。
自分の「恋」に対する想いがそこにあるからだ。
そこには自分の気持ちがこう動いて、こう感激し、こんな風に感じていきたいと言う理想がある。
この理想こそが自分が癒される事の条件であることは間違いないだろう。

人は相手と言う対象に恋をするわけだが、その心層の奥底には恋に対するそれぞれの想いがあって、その想いを満たしてくれる人を求めるわけである。
この人と恋をすれば自分の癒される条件や想い描く理想を満たしてくれるだろうかと言う期待を同時に描き、求めるからこそ相手にも応える。

「恋がしたい」と言う欲は、恋愛の中の欲よりずっと広域に渡っての、恋愛に想い描く理想を実現したいと言う究極の欲なのかもしれないね。

2008.07.21

逃げの恋愛術

男は都合のいい女を選ぶのに少なくとも好きなタイプを大幅に外れている相手は選ばない。
なぜなら、大半の「都合」の中には抱くという事が含まれるからである。
だから相手に対しても好きだ大事だと言える事に何も不思議は無い。

女がその状況に甘んじるのは、都合のいい女と言う立場をわかっていながらも都合のいい女でなくなると男が離れてしまうことを恐れるからだろう。
男は都合のいい女としての存在だから繋がっているわけである。
極端に言えば、都合よくないならいらない事になる。

前にも書いたように何らかの形でも繋がっていたいと思うのが女の特徴であるから、寂しさや不満や悔しさを感じてもなおその立場にしがみつくのだろう。
もしかして都合のいい女と言う立場から抜け出て、もっと望むような関係になれるかもしれないと言う思いもある。
しかし言葉は悪いが、男は都合よく使っていた女を本命の彼女にする事はほとんどありえない。
そういう扱いをする時点で男の中では区別ができているからである。
男にすれば一筋縄ではいかない彼女がいても、そういう女を口説くにしても、都合よくいかない事を他の女が応えてくれるなら楽なのである。
それは男の「逃げ」の戦術であることも否定できない。

恋愛の中で、相手がいつもこちらの意のままに従い、思うように動いてくれることなど望む方が厚かましい。
そこを認め認められ、包み包まれしていく事に楽しさがある。
これを楽しめずにわずらわしく感じてしまうと「逃げ」の一手に走ってしまうのだが、逃げてばかりいると相手に向かうことを忘れてしまう。
いつかは通用しなくなる手なのだ。

2008.07.18

心のタイムカプセル

タイムカプセルと言うものがある。
現在の宝物や想い出の品をカプセルに入れて埋めておき、何年か後に取り出してその当時の気持ちを振り返ると大抵が微笑ましいものだろう。

恋する気持ちを言葉や文章にするなら今ではブログやメールを保存する事が出来る。
それでも人の記憶は時間と共に曖昧になっていくから、当時の気持ちそのものは鮮明、明瞭に思い起こす事はなくなっているのだろう。

それならばこの時の気持ちだけは鮮明に思い出せると言うものを残しておきたいものだ。

この一瞬、この瞬間に感じた事、好きだった想い、嬉しさに感動した言葉。
出来るならそう言った良い事を記憶に留めておきたい。
その想いは恋の経歴の中で同様な気持ちがあったとしてもまったく同じものは無いと思う。

言葉や文章で書き留める以上に、誰にも覗く事の出来ない瞬間の感情はあるはずである。

それはぜひ自分の心の中のタイムカプセルに入れておいて欲しいと思う。

その事は、決して過去を振り返るとか、現在や未来の恋の相手と比べると言うようなものではない。
人生の中で恋をする姿勢や恋に対する取り組み方が変わっていくとしても、恋を感じる気持ちそのものは永久不変だと思うからである。

2008.07.14

居心地

相手に合わせて付き合っていくと言うにもパターンがある。
合わせるのか、合わせられるのか(受身の意味ではなく可能かどうか)だ。

合わせると言うのは多少なりとも自分を抑えてと言う意味を含むとすれば、それは厳密的にはまったく気遣いも無い本来の自分でいるわけではないと思う。
それでも不満や欲求を蓄積すること無しにこれが出来るならば問題はない。

合わせられると言うのは、何の苦もなく出来ると言う意味で表現したのだが、自分のリズムや波長が相手に自然に迎合できると言うことになる。
これには無理な部分が無い。自分としても一番楽な相手となる。

しかし、これは全て自分サイドで見た感じ方であり、相手側からも同じ事が言える。
合わせている事が相手に伝われば、相手側の遠慮や気遣いを呼び起こしてしまう。
合わせられると思っていても、相手側が合わしてくれている場合もズレが生じる。

どちらもが苦も無く自然に合わせられると言う状態がいわゆる「フィーリング」の一致と言う事になる。
この状態は合わせられると言うより「合う」と言った方が適切である。

お互いにそういった状態であっても恋愛の中ではすれ違いや感情の行き違いが必ずある。

その時にどこまで無理なく元に戻せるかが一番の合う合わないの基準になるのではないだろうか。

2008.07.10

恋愛であるからこその不安

誰でも今の恋がずっと続くといいな、と思うのはすごく当然の事だ。
しかし一度でも恋が終わった事を経験していたら、終わる事の辛さ、終わった時の悲しさ、苦しさを知っている。
だからこそ今の恋に不安もあり、次の恋が始まる事に迷いも出てくる。
この想いを恋愛に変えてしまってもいいのだろうか、いや恋愛より恋心のまま永く続く方がいいはず、と考えてしまう。

一般的な見方をすれば男より女の方がそれを強く思ってしまうのだろう。
男にはそれが無いのではなく、そう言う風に考える機会が少ないのだ。
なぜなら男は次の恋が始まれば、それが新鮮で一番楽しくなる。そしてよもやその恋が終わることなど頭に無いのである。
恋が終わるかどうかなんて誰にもわかるはずも無い、男はわからない事に自ら予想を立てて進む事が苦手なのだ。

女は恋が終わるかどうかわからないのに、終わった時の事を考えてしまうと、そこに「不安」を感じてしまう。
だから女は恋を恋愛に変えずとも満足できる一面を持っている。
恋心を抱いていても「大好きな友達」と言う関係の方を選択できるのだ。
男がその選択が出来るようになるには相当な恋愛経験や恋愛年月、もしくは学習能力がいるのだと言っても過言ではないのではないか。
何度もここに書いているように、男はいつまで経っても単純でわがままな子供だからだ。

恋することに不安は無くても恋愛になると不安なのは自分ひとりの感情の問題では無くなるからなのだ。
女は恋人である事への選択より、大好きな友達で続いていく事の選択ができる。
それは恋愛するよりもっと永く一緒に居れるから、と言う選択である。
言わばそれは、恋愛になると恋愛であるからこそ「終わりがくる可能性」の不安が消えないからだろう。

2008.07.08

好意と負担

恋心を描くのは自由である。
相手に伝わろうが伝わるまいがそういう気持ちを持つ事に制約はない。
しかし、それを押付ける事になると話が違ってくる。

相手も恋心を持ってくれるように努力するのは当然ではあるが、そこにある種の制約が出来てくる。
その想いが相手にとっての負担になるような言動に走ると押付けになる。

相手がまったく寄せ付けてくれない場合、或いは嫌われている場合、向こうは避ける方向に動く事になる。
この状態で追えば精神的な負担を強いる事になってしまう。

相手が好意的に接してくれている場合、避けられる事はないはずだが、好意と恋心は同一ではないから追い方を間違うとやはり負担を感じさせてしまう事になり兼ねない。
かと言って相手の好意を恋心にまで持って行きたいと言うのは誰しも望む事であるから、何もしないままだと悔いも残る。
人は結果を求めてしまうのだろう。

考えてみれば、好意は持ってくれていると言う状態での自分の動き方が一番難しい。
相手にしてみれば好意は壊したくないものであろうから、こちらの動き方次第で悩ませる事にもなる。
恋心を伝えても好意は消えないだろうが、そこからの接し方を間違えれば好意そのものも消しかねないと言う怖さもある。
ただ押せばいいと言うものでもなく、控え目が必ずいい結果を呼ぶわけでもない。
相手との心の距離や相手の性格、タイミング等、どれか一つを外しても崩れてしまいそうなピラミッドパズルである。

2008.07.03

どちらに見えますか?

硬貨にも表と裏があるのをご存知でしょう。
よく十円玉や百円玉の10とか100と書いてある方が表だと勘違いしている人も多いのだが、実はそれは裏なのです。
改めて見てみると、やはり表っぽくみえる。
鳳凰堂や桜の絵は裏の柄に使われそうなイメージがあるのだろう。
こうやって人の感覚的なイメージは思い込みを招くことがある。

絵柄やデザインだけでなく人に対してのイメージと言うのも同様、最初の直感でそうだと思い込むと、その固定観念が幅を利かせてしまう。
恋心が絡むとなおさらである。
人は人に対していい顔をしたいと思うものであるから表には印象のいいものを持ってくる。
普段見せない顔に気付いても、それはそういう一面もあるのだなと表の一部にしか見えない。
裏を見ようとする事にばかり気が行くと素直になれないし、自分自身もいい気がしないからそんな必要はないと思う。ここで疑心暗儀を触発しても仕方が無い。
それでもいい印象面ばかりを見せ続けるのは難しいであろうから、一瞬の表情に気付くと言うのは思いのほか大事な事に違いない。

硬貨のように表裏どちらであっても問題はないと言う程度のものなら安心である。
心の表裏はそうは行かないように思う。
怖いのは思い込みである。

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