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maj 2008 posts

2008.05.29

「なぜ」の思考

物事が上手く行かない時には人は「なぜだろう?」と考える。
しかし上手く行った時には「なぜ?」とはあまり考えない。
恋愛に於いても然り。

「なぜ?」と言う疑問は人を前進させるのに不可欠である。
人と人が付き合うのだから疑問な点は山ほど出てくる。
疑問が完全解決しない場合であっても、その回答を得る事は納得に向かう。
解答ではなく回答が必要なのである。
回答を受けて自分が導く結論が解答となる。

それはその人独自の解答である事に違いはないが、「なぜ」と言う疑問を増長させない為の防波堤の役目を果すように思う。
疑問が疑問のままで先を急いだ所で、その疑問が核となって雪だるま式に新たな疑問を巻き込んでいく。
その状態に陥ってから慌てて解決して行こうとしても、中心にある核を取り払うまでに相当な気力と体力を使う事になるだろう。
おそらく多くの人はその途中に挫折してしまいがちである。

「なぜ?」の疑問は軽微な事であっても軽んじては危険であると思う。
雪も積もり積もれば家の屋根を押しつぶすほどの重みを持つのだ。

2008.05.27

不安への対処

一つの事に気持ちが引っ掛かると、それが次々に妄想を駆り立てる。
恋で悩む事の多くは相手の心の領域まで踏み込むからだが、入っていかなければ恋など出来はしない。これもジレンマだ。

仮に何か不安な事象が起こるとする。
その時の相手の行動はどういう気持ちから起こったものだろうと考える。
すぐに相手の口から説明が聞けることができれば、いかなる理由であってもまずは落ち着く。
次の対応に向かえるからだが、それが出来ない時にマイナスの連鎖が広がっていく。

空想や妄想は実際の像としては見えないから、同じ空想や妄想で対処するしかない。
それはしかし現実には何一つ触れてはいない。

心に引っ掛かる事は人を臆病にする。
実像と対峙してマイナスの妄想通りに進んでしまうことを恐れてしまうからである。
しかし引っ掛かった物は外していかないと、それが増えていくほどに前へ進むのに邪魔になる。

結果はどうあれ、相手と向かい合う事が最短の方法だろう。
もし引っ掛かった物を外す時に自分の身を傷つけても、いずれ傷は癒える。
そのまま引きずって行くよりもこの先はずっと楽ではないだろうか。

2008.05.23

迫る断崖

恋する相手の表情は自分の心を一喜一憂させる。
人は楽しい時はにこやかな表情をする。自然と微笑みの回数が増えている。
相手のそういう表情を感じ取ると心は癒される。
当然ながらこちらの表情もほころんでくると、それがまた相手の安堵感を生む。
微笑みのキャッチボールである。

辛い事があったり悲しみの中にいると微笑が失われる。
その辛さや悲しみが自分達の恋愛に無関係な事であれば、それは外的要因によって一時的に影を潜めているに過ぎない。

もし自分といる時の相手の表情から微笑みが減っていったならば、その要因に注意がいる。
他の外的要因が無ければその恋愛に起因していると言う事だからだ。
そんな時、人は気付いてもつい目をそむけてしまいがちだが、そむける事は余計に事態を悪化させる。
病気と同じで早い処置で進行を食い止める事が出来るかもしれない。

表情は正直である。
一緒にいて微笑みが消える時、断崖が迫っている。

2008.05.17

臆病の足枷

もしこういう結果になったらどうするんだと考える時、悪いほうの結果を想定して物を言う。
用心とか慎重に何かをすると言う意味では大切かもしれない。
しかし、良い方の結果を持ち出して、こうなれば良いじゃないかと考えると楽天的だとか、都合よく考え過ぎだとか指摘される傾向にある。
確かに良い事ばかり考えるのは悪いほうの結果になった時に落胆は大きいのかもしれない。
だが、考えているのはどちらにしても自分自身であり、自分がはじき出す可能性でしかない。
そうであれば良い方の結果を想定して進む方が楽しいし、意欲も湧く。
そう考える事で自分の取る行動や向かう気持ちそのものが変わっていくかもしれない。
悪い結果ばかりを考えると、尻込みしたり躊躇したりで本当に悪い方に向かうんだろう。
気持ちが「打ち消し」になっているんだからそれも当然ではなかろうか。
用心や慎重になる事と臆病とは違う。
これを混同するとあと一歩が踏み出せない。
一歩先に微笑んでいたい。

2008.05.14

一つの選択

恋愛の相手を年下、同年代、年上という分類の仕方を考えた時、その組み合わせは何通りあると思いますか?
男と女に分けても6通りあるのだが、さらに同年代にも幅があり、年上年下にも幅はある。
ひとつ上であっても同年代であり、年上には違いない。
そうなると、組み合わせなんて無数になる。

男側から年代別の大雑把な心理を挙げると、若い男が年下の女に対しての接し方は常に上から見た観点で自分が優位なような錯覚で見る。
ところが男が年齢を重ねると優位ではなく余裕で見る事が出来る。
若い男が同年代と恋愛すると、自分が同位に見られることを恥のように勘違いして、背伸びしても優位に立とうと言う意識がどこかにある。
それも年齢を得ると対等であっても何ら問題は無い。
そして若い男が年上の女と付き合えば、自分が年下である事に安堵して、甘える事さえ自然なように思ってしまう。
それが男と女を入れ替えると、また違った感情が交錯し、年齢を細かく区切っていくと微妙に感情も変わってくる。
年齢だけの組み合わせの可能性でさえ無限と言えるくらいの数になる。
その一つ一つに加えてさらに各々の立場や状況が絡んでの感情が入り混じる。

恋愛なんてあらゆる可能性がありうるのである。
恋愛をしている人はその一つを選択しているに過ぎない。
他と比べる事も無意味である、比べる対象の方がはるかに多いのだから。

2008.05.11

自分が作り出す限界

筋力をつけようとして、腕立て伏せをやってみる。
自分が今現在100回が出来ればいいと目標にする。
そして何とか歯を食いしばってフラフラながらも100回をやれた。
大半の人はそこで達成したとばかりに終えてしまう。
しかし本当に筋力がつくのはそこからたとえ2回でも3回でも余分にやった時なのである。
その場合、自分の目標はそこが今の自分の限界点だと決めてしまうからである。

それを恋愛の話に移行させると、もう自分の気持ちが持ちきれない、続きそうも無いと思ったら、それは限界の一歩手前だということだ。
実際には、本当に限界を超える前に人は踏みとどまる。
本能的に自分の限界はわかっているはずだからだ。

限界を超えての恋愛など出来るはずもない。
今が限界だと思ったなら、それは自分が作り出した、本当の限界の一歩手前の状態だと言う事だ。
そこからまだ2,3の余地はある。
その余地のあるうちにやめてしまう事が正解なのかどうかはわからない。
ただ、それ以上に向かうのなら、本当の限界が来た時に残るのは「辛さ」でしかない。

恋愛に「辛さ」は似合わない。

2008.05.10

恋ならでは

癒しを求められれば癒しで返す、優しさを求められれば優しさで返す。
求められている事に気付かないとしてあげられない。
恋だからこそ出来る事だ。
求められると言う事そのものは愛には存在しないから。

愛は恋より深いとよく言われているが、そうは思わない。
似て異なるものだと思う。
本質的に違う種類のものだ。
求めるとか返すとか言う表現そのものがふさわしくない。

恋ならでは求める事にエゴも出し、返すことで満足する。
全ては自分中心なのかも知れない。

2008.05.09

魔の空間

ブラックホールはあらゆる物を引き寄せて飲み込んでしまう磁場である。
その磁力に逆らって逃れられるほどの強力な力を持つものは無い。

恋をするとそのエネルギーは磁力となって魅力と言う名のブラックホールに惹きつけられる。
気持ちが膨張すればするほどエネルギーは大きくなり、さらに深層へと吸い込まれる。
魅力と言うのは自分が感じるものであるから、そのブラックホールは自分が作り出しているものであると言える。

そこから脱出するには磁力をなくす事しかない。それは恋するエネルギーを消すに等しい。
それは同時に魅力を失う事であるから、ブラックホールそのものが消滅する。
人は消滅させる事より、その魔の空間に漂う事の方を選んでしまう。

宇宙のブラックホールの中がどんな物かは知らないが、少なくとも魅力と言う名のブラックホールは、そこに惹き込まれていても居心地が良いのだろう。

2008.05.08

無限大の欲

こうしてくれるだけで満足、これが叶ったら言う事は無い。
こういう思いがその時の願望である、もし叶った時には満足感や幸福感で満たされる。
しかし、その満足感をずっと持続する事が困難なのは、より新たな願望が生まれて来るからである。
不満になったわけではない。ひとつ欲が満たされると次の欲が浮かんでくるだけの事だ。
理想とは100%の満足であるが、それに向かって全ての欲が次々と顔を出すのである。

恋を持続させるにはお互いのバランスがとれていないと難しい。
欲求にしても、自分の満足感が70なら相手からの満足感が70でないと欲がクローズアップされてしまう。
自分の欲に相手がついてきてくれるうちはいい。
我儘であってもそれが相手の満足感の範囲内であるからだ。
それを超えての欲を出せば、自然と相手からの欲が対抗してくるようになる。
それに答えられるならば堂々と欲を出せばいい。
そうでないなら自分のレベルアップが先だろう。

欲には限度は無い。

2008.05.05

傷ノート

恋愛中の男女が喧嘩をした時、どうやって仲直りしたのかを聞くと、SEXしたら消し飛んじゃったと言うのがよくある。
若いカップルが大半だが、いやちょっと待てよと思う。
喧嘩中にどうやってそんな状況が生まれるんだと不思議に思う。
まあ、取るに足りない原因が元で起こった喧嘩なんだろうが、その収め方がSEXとはとんでもない。

男は性欲と言う感情を独立させる事が出来る。
つまり怒っていようが呆れていようが、その感情を押しのけてそういう行為ができる。
しかし女は愛情表現と密に連鎖するから、喧嘩の謝罪や許しの表現と勘違いする。
喧嘩にはなったけれど、自分を愛してくれる気持ちが上回るから抱いてくれるんだと。不器用で素直でないから謝れないだけね、と思い込む。゛
男がずるがしこく悪用すれば喧嘩の原因や追及から逃れるためにそういう風に持ち込むことも可能なわけである。
しかし良く考えてみればわかることだが、原因や理由が解決されていない限り、その場しのぎのごまかしに過ぎない。
おそらく同じような事が原因となる喧嘩はまた繰り返される。
うやむやというのは上手くごまかせたと思ってはいても、それは男の甘さである。

女はその場は収めても必ず心の傷ノートに書き留めている。
男が忘れていても、女はあぶり出しのように思い出すのだよ。

2008.05.02

操り人形の糸

操り人形にはたくさんの糸がついている。
それを巧みに操れる人が思いのまま人形を動かす。
しかし人形には意思が無い。
恋の相手にこれをしようとしても通用しない。
どうしてもつい自分の意思で操ろうとしてしまいがちだ。
相手につけることのできる糸はあったとしてもせいぜい一本か二本程度だろう。
それさえもこちらの意思で動かしているのではない。
こちらの意思に沿って相手が自ら動いてくれているのである。
ここを勘違いすると思い通りに動かない時に苛立ちを覚えることになる。
そうすると糸を力任せに、乱暴に引っ張ろうとする。
大抵の糸はそこで切れてしまうだろう。
切れてしまった糸は人形の糸のように修理すると元通りになるというわけにはいかない。

恋の相手につけてる糸とは信頼の糸であるからだ。
自分にも相手からの糸はついている。
それは繋がっているだけで充分なのだ。

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