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april 2008 posts

2008.04.27

男から見た女の分類

男が女に対してこういう事を言うことがある。
「たとえ裸で横に寝ていても変な気持ちになることは無い」
これはそれを言った時に本心で言っているかどうかは別にしてもありうる話である。

男が女を見る時、好きか嫌いかに区分し、さらに好きである部類では女性として見るか同性と同じ感覚で見るかに分かれる。
嫌いと言うのはこの際まったく除外して、好きである事にも本来はきちんと区別がついているのである。

女性が男性を誤解している点は、状況によっては男は女を「抱ける対象」にしてしまえると思っている事である。
だから裸でいたら絶対に我慢できないはずだと口を揃える。
しかし、男が女を同性として見ると言う分類では女であっても例えば親や兄弟、もっと言えば母親や姉、妹の類と同じく、裸さえ見たくないのである。
さらに同性として見るという事は男の裸を見るようなものであって、うっとうしいと言ってもいいくらいである。
だから横で裸で寝ていても「何か着ろよ」と言ってしまうだろう。
ある意味失礼かもしれないが、それは嘘ではない。
ただ、女性からすると男が自分の事をどの分類にしているかの確信がないから危険を感じてもそれは当然のことである。
男が女を本当に友人として分類した場合は何も起こらない、但し女のほうは友人である男性の前でも裸にはならない。
それは女性としての恥じらいであって、男の場合の友人の捉え方と同じであっても微妙に異なる部分である。

「たとえ裸で横に寝ていても変な気持ちになることは無い」男が言った場合のこの言葉はその女を卑下しているのでも何でもない、友情の証である。
但し、男には見境いの無いヤカラもいるから要注意でもある。

2008.04.26

上昇気流

冷たい空気は下に降りて行く。
どこまで下降すると底辺にたどり着く事になるのか。
地面より下の事までは言わないであろうから地表が最下点だろうか。

気持ちが沈むことはこれと似たような現象である。
どん底だと思ってもまだ下がありそうな気がする。
気持ちが下へ向かうと地表よりさらに下へと向かってしまう。
地表にまで堕ちてしまえばその熱に温められ、今度は上に向かうはずなのだ。
自分でいつまでも最下点にとどまる事はきっかけを掴めないからである。

温まった気持ちは上昇する。
天には地表のようにぶち当たるものは無い。
上に登る気持ちには際限がないということである。
まだまだ上には満足の行く安堵感があるのではないかと思う気持ちは現在を物足りなくさせる。
しかしそれは上限が無い限りいつまでも続くのである。

恋をする気持ちは欲張りであってもいいのではないか。
上昇気流である事が望ましい。

2008.04.24

伝説に例える恋愛像

西遊記の話はご存知でしょう。
孫悟空の傍若無人な暴れっぷりも所詮はお釈迦様の手の平の上だったと言う話です。

恋愛は男は孫悟空、女はお釈迦様と言うのが一般的な例えでしょう。
男は好き勝手して女がそれに従ってるようであっても、賢い女にとっては自分の手の平の上で動き回っているようなものなんです。
「いや、俺様はそう言う風に女に思わせているだけだ」と男は強がる。
「まあ勝手にそう思ってなさい」と女はほくそ笑む。
どちらが余裕なんでしょうね。

話の中では時々三蔵法師が孫悟空の頭のワッカを締め付ける場面が出てくる。現実でもありそうな図です。
こういう恋愛は理想でもあるはず。
女は心配や嫉妬は消えないまでも、いつでも全てお見通しだと言う余裕が持てる。
そのためには男はワッカを締め付けられれば反省もし、喉元過ぎればまた悪さを繰り返しながらも手の平から出れない。
お互いこれを自覚できると言う事は素晴らしいのではないかと思う。

男にはしかし孫悟空であるためには、いざとなれば女を助ける力や度量がなければならない。
それも無しに好き勝手しているなら、それは孫悟空ではなくただの雑魚である。
どうせなら強がっていようが、手の平から飛び出してやるぞとイキがっていようが、最終的には相手の為に身体を張る孫悟空でありたい。

2008.04.21

恋のオークション

女の人が「愛され度」を最重要のポイントに挙げるならば、男はそれを競わなくてはならない。

恋のオークションは値段ではない。
男が自分の中でいくら高価な価値をつけようが、それは落札の基準にはならない。

それぞれの男は、みんな自分が一番相手の事を想っているはずと言う思いがある。
しかし「愛され度」を感じ取るのは女性当人だけであり、男の想いの度合いは公開されない。それゆえ男には他の人の数値は見えないと言う事になる。

想いを言葉や態度で示すは難しくもあり、伝わり方もその度合いが正確に通じるかと言えばそうはいかない。
通常のオークションのように明白に数字が現れないからこそ、その努力は評価される。
しかし「想い」がトップで通過してもダントツで無い限り、その他の要素も加味されて落札される事は間違いない。
その要素が何なのかは人によっても違ってくるだろう。

ただ、それ以前にオークションには参加資格があるかもしれないよ。

2008.04.17

見極め

波長が合うとか息が合うと言うのは、物事に対して同じような感情を持つ事が頻繁にある場合に使われる。
表面に現れやすい喜怒哀楽の同調である。
それは「本質」に理解を求める価値観とは異なる。
この感情が同じようなウェーブを描く人同士は惹き合うことになる。
男女なら恋愛に堕ちる可能性も高い。

しかし要注意なのは、この感情の波は常に変化する事である。
それは喜怒哀楽の「喜」だったものが突然「怒」に変わると言ったようなことではない。「喜」は「喜」のまま変わりはしない。
もし同じような事が起こっても、その人のその時の心の状態によって波の大きさに変化があると言うことだ。
それはテンションに通ずる。
相手のテンションに気づかなければ、相手の波長が自分の波長と違ってきたように映る。何かがズレてきたように感じてしまうがそれは一過性のものである。

ただ、心の状態を左右する外的要因が恋愛自体にある場合、つまり自分が絡む場合はその限りではない。
恋の感情は喜怒哀楽をも支配する。

見極めは大切だ。

2008.04.13

空白の時間

好きな相手の24時間が気になるというのは見えない時間があるからだろう。
家に居て睡眠をとっていたと言うと安心し、外に出ていたとなると「どこへ」となる。
それは相手が自分以外の人間と接触する事になるからである。
それが異性であるか同性なのかでまた不安が増す。
嫉妬と言うにはあまりにも範囲が広すぎる。

人は人と交流する事で何らかの影響を受け、成長する。
嫉妬によってそれを制限してしまう事は相手のレベルアップをも止めてしまう。
自分の手の届く範囲にとどめようとするのは、影響によって自分の繋ぎとめる能力を超えられるのを恐れるからである。
信頼の薄さよりもむしろ自信の欠如と言える。

自分の知らない空白の時間に嫉妬して制限する事よりも、自分自身の魅力をさらに高める事の方が実は束縛力がある。
なぜなら制限されれば窮屈になり、逃れようということに気が行くのに対し、魅力は受身ではなく自ら認めるものであるから、さらに近づいてくる事になるからだ。

魅力と言う土台に建てられた自信は空白の時間など気にならなくなる。

2008.04.08

築かれる未来

人は恋に何を求めるのか。

好きになるという気持ちは一方的なものであり、その気持ちに対して相手が同じような感情で応えてくれる事がまず最初の望みとなる。
これが叶うと恋愛が始まる。
ではここからは何を望むか。

相手の事をもっと知りたいとか、自分を知って欲しいと言う願望が溢れてくる。
色んな事を共感したいとか、一緒に感じて行きたいと言う事もすべて楽しさを前提としている。
それらはすべて現在進行形でありたい。
つまり今日も明日もと言った、すぐ目の前の未来もおのずと含まれている。
それが続くと今度は更なる先を思い描く。
もし今が不安だとこの先も不安だと感じ、今が楽しいものであっても、この先この幸せが続くのかと不安になる。
贅沢な不安である。

今の恋をしている事によって、未来の自分が築きあげられていることに気づかないといけない。
この恋をしていないと未来の自分は違った自分となっていると言う事である。
今、自分が恋をする事、或いは恋を避ける事、全ての選択は未来の自分を選択することである。
そうであれば、恋をすることで自分がステップアップできると考える方が楽しい。
未来を考えるよりまず今の恋をいかに有意義なものにするかなのだと思う。

恋に求めるものは今を楽しめることだ。

2008.04.07

順路

恋愛の中で頭に描く通りの事がその順序の通りに進んでいくことはない。
一二三四五と思い描いても実際には一五三二四と番狂わせになることも往々にしてある。
そこには相手の感情や状況が関わってくるからである。
しかし、五が最後ではなく次にどこかに六があるのだからそれほど順序にこだわる事もない。
この順序にこだわりすぎると前に進めない。

一の次は二と言う固定観念が邪魔になる。
例えば二が抜けたままの状態で十も二十も進んでいくと抜けたところが気になる。
本当は二がなくても進めているのだからそれほど重要ではなかったのかもしれない。
そこがどうしても気になるというのであれば、途中で再び立ち寄ってみるのもいい。
その時に思っていた二の部屋のあり方とは違っているかもしれない。
そこだけが飛んでしまってどうしてもたどり着けないというなら、その恋にはそこは不要なのではないか。
あるいは相手にとってそこへ立ち寄る事が無意味か避けたいかだろう。

いずれにしても今そこにこだわり過ぎることはないと言うことだ。
百の後にそこに進めるかも知れないのだから。
二だと考えたのはあくまで自分の思った順路である。
順路は一通りしかないわけではない。

2008.04.04

油断大敵

話をする事は聞く事でもある。
だから相手の話の内容や状況に応じた聞き方がある。
聞く姿勢は話す側にも影響すると言う事である。

親しい仲間同士が雑談している中でさえそういう場面があるのに、それが彼氏彼女なら尚更となる。
きちんと聞いて欲しい話をいい加減な聞き方をされると話す意欲をなくす。
答え方にしても同じ事が言える。
話した方は確かに話したわけであるから、後にその内容に関わる事に遭遇した場合には、あの時言ったはずだとなる。
内容が重要かどうかは別にして、ちゃんと聞いていたかどうかに比重がかかるのである。

他愛ない冗談や雑談には許されても、忘れた、聞いていないでは済まされない話と言うのは判別しておかないと後で痛い目に合い兼ねない。

男にとって最も手強いのは、話し手が女性の場合には、さてこれから重要な話をしますよと区切りを付けない場合であっても、話している流れの中で重要な真意を含む言葉を吐き出す事があると言う事実である。
慣れた仲であっても油断大敵なのである。

2008.04.02

想いの波

胸の中の想いは膨張していくにつれて苦しい。
希望や願望は一度にすべてが叶う事はない。
それゆえ切なさやもどかしさが胸を苦しくする。
ひとつの願望が満たされても次々に小さな望みは後を絶たない。
それが恋しているという実感である。

望む事が満たされ、次の欲望がなくなってしまえば静かな海のような状態になる。
それでも時おり小さな波が水面に走る。
その小さな波を受け止めてやれば恋は持続していける。

望む事もなくなり、小さな波も流され続けると、その変化の無さはやがて大きなストレスの波を引き起こす。
静かな水面であっても常に僅かな変化は必要としている。
想いが膨張している時には「些細な事」と後回しにされた事も、拾っていかなければ海に浮かんだままとなる。

恋心は常に海のごとく波が立っている。

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