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februar 2008 posts

2008.02.29

「恋」の原点

ここで色々と述べている事の原点になる問いかけがある。
それは「恋」とは何か?と言うことだ。

自分が楽しい事の根拠は相手に楽しんでもらえるからである。
逆に相手が楽しいという事は自分も楽しいという事になる。
それは自分と一緒にいる相手には喜んでもらいたい、つまらなくさせたくないと言う事の裏返しだろう。
つまりどうでもいい相手にそのような事は思わないはず。
と言うことは「恋」は常に自分自身が楽しいと思える状態にあるべきである。
これは片想いであろうと相思相愛であろうと不変であると思う。

ワクワクするとか、ドキドキするとかの表現を使うのは、自分の気持ちを表す。
これは心の躍動感である。
多少の悩みやすれ違いがあっても、それはそれ以上の躍動感で打ち消せる。
悩む事の多くは相手への負担や、その負担を掛ける自分への罪悪感にも通ずる。
負担と言う言葉が出る時点で「恋」は終わっている。
何故なら躍動感に負担などありえないし、あっては心のそこから躍動する事が出来ないと言う根拠からそう言える。

ワクワクやドキドキと言うテンションの高い躍動感はやがて静まっても、一緒にいたい、何かをしたい、どこかに行きたい等の期待とか希望とかは静かな躍動を伴って残る。
そしてそれがいつも癒される結果となれば次もまた求める事を繰り返す。

純粋に「恋」とは何かを語るなら、何度か書いたようにやはり「心を躍動させる感情」と言いたい。

2008.02.28

潮時

恋には別れと言う不安はいつも付きまとうものである。
そこを先に考えてしまったら恋は出来ない。

別れの理想的な展開は、お互いが好きな気持ちのうちに恋人と言う関係から離れて友人になれることかも知れない。
しかし、これには矛盾もある。
好きな気持ちのうちに別れる必要などないではないか、と言うのがそれである。
別れるからにはどちらかの気持ちが冷めると言うのが一般の考えであるはず。
ところが世間で言われる不倫などは当てはまってしまうのである。
難しいのは、気持ちが消えていないうちに相手を離すということに未練が残るところである。

そういう恋に限らず、大きな捉え方で恋愛の終末を考えた場合。
自分の気持ちが残っていて、相手が冷めた場合を考えると、これは辛く悲しい。
とどのつまりが一番楽なのは自分が冷めてしまった場合と言うことになる。
しかし相手側からすると、気持ちがあるうちに相手が冷めたわけだから、楽なのは自分だけなのである。

これを認めてしまうと、相手より先に冷めてしまえと言わんばかりの理屈となるので、別れる事を推奨するような理論になる。


結論的に、お互いにとってやはり一番最良なのは気持ちのあるうちに別れることなのであるが、この別れの決断に最も必要なのはお互いの気持ちのテンションの状態を常に感じる事である。

相手のテンションが下がってきたなと言うことに気付かなければ、この最良の決断を下す事は出来ない。
一時的なテンションの下降であるか否かの判断も大切である。
そしてこの決断には未練を断ち切る勇気がいる。

これを先延ばしにしたところで、テンションが下がり切った時には相手が冷めてしまっている。
そうなると、結局は相手側から離れていく事になる。

気持ちがあるうちに別れる、誰にとっても最も困難な方法である。
とことんまで付き合って嫌になって別れる、最も楽な方法である。
ただし、先に嫌われる可能性もある。その場合は最も辛い。

この恋は潮時だなと思った時、どの選択肢を取りますか。

2008.02.26

男の「美」学

男は粗雑、女は綺麗好き。
一般概念ではあるがこう言うイメージに捉えられている。

実際のところ美と言うものに関してより敏感なのは男なのではないかと思う。
なぜなら女性が綺麗に化粧し、着飾ることの根底には男性の視線がある。
もちろん同性の目と言うのもあるが、それは同性からも認められるほどの美しさを男にアピールすることにもなるからだろう。

世の男性が全く美に無関心で、そんな事が女性に対する評価に無関係なら女性も美しくあろうとはしないかも知れない。
美しいとかセクシーとか、或いは魅惑的だとか言うのは全て男性の願望に応えるべくして女性が求めている。
と言うことになると、本質的に美と言うものをより求めているのは男性であり、女性はそれに応える為に実行している事になる。

例えば美しい女性であっても部屋が汚いとか、行儀が悪いと男性は幻滅する。
美しい女性はすべてに於いて美しいと想像し、それを望むからである。
それを知っていても外観だけは美しさに手を抜かない女性もいる。
本来、美意識が強いならそんな矛盾な事は出来ないはずである。

美を求める事だけに関して極論すれば男性の方がより強く、女性は求められている美を競っているように思えるのだ。
但し、男性の美感覚と言うのは求める事に偏っていて、自分がどうかと言う事は棚に上げるような身勝手なものだろう。

2008.02.21

判断のための判断

相手に気持ちが入っている場合にはあらゆる事に於いて、その判断を誤ってしまう事がよくある。
些細なことであってもそれが表面化しないだけのことであって、間違った判断による言動はどこかで相手を傷付けている。
つまらない原因による喧嘩などはほとんどがその類であると思う。

好きだからこそこう言うんだ、こうしたんだと言うのは後からの言い訳であり、相手の為と言うよりは自分の不満が判断力を超えただけである。
同じ事が起こってもその相手に対して恋と言う感情がなければ違った結果になっていたかも知れない。

いつもなら冷静に分析、判断できるはずの事も相手に気持ちが入り込んでいるだけで正常に機能しないと言うことである。
その状況に自分が存在してしまうからそうなるのだと思う。
自分が否定したい場合には自分が否定する理由を正当化し、肯定したい場合は自分の希望に添うから認める方向に後押ししてしまう。
肯定にせよ、否定にせよ、そうしたいと言う主観が入るわけである。

もちろん自分の気持ちを排除して第三者的な判断を伝えることは勇気と度量がいる。
しかし自分の都合に合わせて判断したものは化けの皮が剥がれるのである。

ただコンピュータのように常に冷静且つ機械的な判断ばかり出来ていても人間味に欠ける。
感情が入る余地があってもいい場面なのかそうではないのか、瞬時にその判断が出来る事の方が先決である。

2008.02.20

理論の使い方

理論と言うものは通常は色んな公式や実際の結果などを踏まええ組み立てたものだろう。

恋愛に関する理論はすべて分析である。
なぜなら恋することは理論があって行動するのではなく、その心の動きを説明したいが為に理論付けるだけのことだからだ。
つまり心の動きが常に先に起こり、それを後から詳細に伝えようとすると理論っぽくなるだけのことだろう。
だから法則のような理論の通り行動しても結果は全て違ってくるはずである。

もし同じような結果が出たとしてもそれはその一点に関してのみであり、次から次に起こってくる感情をすべて理論に当てはめて行動できるはずもない。

理論を頭に詰め込むのではなく、恋愛に関しては予期せぬ事態に対処できる思考の幅を広げるべきである。
それは理論とどこが違うのか。

数え切れないほどの理論を憶えてそれを持ち出すことより、ひとつの反省をするほうが早い。
反省した経験は実績となる、それを分析した結果が理論となる。
使う順番が逆なのである。

恋は反省できる人の方が有利なのじゃないかな。

2008.02.17

1億通りの表現

ひとつの気持ちを伝えるのに言葉を繋ぎ合わせて何とか心に忠実に表現しようとする。
それは千も万も通り越えて1億通りあってもおかしくない。
伝えたいものはひとつであってもそれほどに感情は表現しにくい。
ただ、どの表現を用いても間違いなどは無く、おそらく気持ちのかけらは相手に伝わってるはずではある。
想いを伝えると言う役割は果たせていることになる。

しかし、伝えるのと相手の気持ちを動かすのでは雲泥の差がある。
恋の気持ちを伝えるのみで完全に満足できる人は稀ではないだろうか。
どこかに答えて欲しいという願いはあるはず。
しかしそれには心を動かす違う表現があることに気付く必要がある。
同じ表現で繰り返して伝えても徒労に終わる可能性が大だ。

相手の心を動かせる表現は必ずあると信じる。
3通り目に当たるかも知れない、千通り目になるかも知れない、或いは一億通り目まで見つけられないかも知れない。
それでも気持ちが本物なら、例え一億であろうと探し続けることが情熱の証になる。

今やめてしまって次の表現が心を掴む表現だったら悔しいではないか。

2008.02.14

ジョーク

ジョークというのはその種類によっては使い方が難しい。
特にジョークに聞こえるように言っておいて、その実、自分の気持ちを込めている場合などはそこを読ませるためであり、しかし完全には読ませない言い回しができないと誤解を生む。

この傾向が顕著なのが恋の駆け引きに使われるジョークだ。
駆け引きといっても浅はかな策略的なものは薄っぺらな意図が見えて敬遠される。
ジョークと言うくらいだから楽しくあるべきものである。

このジョークは反応を期待してのものである。
自分の想いを込め、それを気付かせるのだが、あからさまでない分だけ『おやっ』『ひょっとして』と言う半信半疑の部分を残す。
しかしここに受け手の精神状況が絡む。

同じことを言っても受け側の取り方でジョークはただの皮肉や嫌味にしか聞こえなくなる。
空気を読む、場を読む、さらには相手の気持ちのテンションを読むことが必要となってくるわけだ。

ジョークがうまく使えると言う事はそれだけ相手の心情を読めると言う事でもある。
つまり相手の気持ちが読めない人は自分の気持ちを伝える事も下手だという事なのだ。

ただし、下手なジョークは身を滅ぼす。

2008.02.11

チャレンジャー

ある目的を達成しようとすると、常に前に壁があった。
いつもその壁に跳ね返されていたとしたら、その人は目的に向かうことを諦めるのだろうか。

恋に向かう時、目的とはいったい何かはわからない。
しかし、まず最初の第一歩を踏み出さなければ何も起こらない。
壁に遮られる前に向かうことをしなければ、もちろん壁にはぶつからなくとも済むが、乗り越えることは決してない。

壁を乗り越えた人だけがその方法を知っていると言うが、乗り越えた人は最初から知っていたわけではないだろう。
1回で乗り越えた人もいるかもしれないが、何十回と挑戦した人もいるはず。
その最初の壁を前にして諦めるなら、その先に夢見るものを全て捨ててしまうに等しい。

壁の次には落とし穴が、或いは切り立った崖があるかも知れない。
それをわかっていても恋したい気持ちは捨てられないはず。
たとえ何度も跳ね返されていたとしても、おそらく少しづつは進んでいるに違いない。

恋に対しては常にチャレンジャーでありたい。

2008.02.10

心の感触

どんな場合であっても相手とコミュニケーションをとる時には、相手の感情を読もうとするはずです。
こちらが言った事に対しての反応が表情や動きから見て取れる、それはたとえ相手が悟られまいとしても本来のものとは微妙に違うはず。
何も考えないならそれはコミュニケーションとは言えないだろう。

男女間で言えば、例えば相手の肩に手を回して引き寄せようとしたとしよう。その時、相手の力が逆の方向に入っているならたとえ笑顔であっても気持ちは「拒否」だ。
あからさまでなくとも自然と踏ん張る動きになるものである。
逆に寄りかかる場合はすんなりと力を抜いている。
体の動き、力の入り方の場合はこのようにしてわかり易い。

心の動きにはこの触覚で感じ取る方法が使えない。
しかし同じように相手は踏ん張ったり寄りかかったりしている事は間違いないはずである。
頭ではわかってはいても恋愛している相手にはつい油断してしまいがちだ。
相手の気持ちが納得いかない方向にあっても無理に引き寄せようとすると、反対側に向かう相手の力はさらに強くなる。
それに気付かず同じような事を重ねると、相手は肩に手を掛けさせる事さえさせなくなる。

つまりやがては心を見せなくなると言うことだ。
恋愛は見えやすい所より、見えにくい所に、よりいっそう感覚を研ぎ澄ませる必要があるのだと思う。

2008.02.06

特殊な分野

以前に書いた「分岐点」と言う記事で、一時の愛の感情より、友達として長く付き合っていける友情を選びたいと言う女性からの気持ちを考察したものがあった。
最後は疑問符で終わっているが、それは男にしてみれば白黒はっきりしない事がはがゆいからである。
男側から言わせると、恋と言う状態になった後でも友達と言う関係にはなれるではないか、と考える。
女はそうは考えない、逆にそちらの方が難しく感じてしまう。

実際にはそういう状態になってみないとわからないのだが、そこに踏み込む前に考え付くのは現状の「好き」である感情を持続させることである。
男はその感情が燃え上がらなければ物足りない、女は静かに持続させる事が出来る。

前の記事で?だった分岐点は「現実性」か。
その恋に関して女は本能的に先が読めているのかも知れない。
恋愛になってしまうと終わりが来る、そしてその後には恋心も消える。恋心を持ったままの友達の状態は維持できても、恋心がなくなれば友達としての魅力も同時に失ってしまう。

女には恋心を抱く友達と言う特殊な分野が存在するのではと考えてしまう。

2008.02.03

期待の枠

恋は我慢比べではない。
常に相手に何かを期待して話したり行動したりする事は全く問題ないと思う。
しかし、その期待に添ってくれなかった場合にどうするかで道が分かれる。

一つ一つを我慢として心のどこかに溜めていくのか。
また新たな期待を込めた言動に移って行くのか。
その都度不満をぶちまけるのか。

それは期待度によって違ってくるのだろうが、それらを全て満足したいと思うのは欲になる。
日常の些細な事は相手も気付いていない場合もある。
反対に大きな課題となる場合は気付かないふりをしている場合もあるだろう。

どんな事であっても期待をしていいのかどうかが一番の争点となるのではないか。
逆に言えばその期待は外されたときに我慢することになるのか、こんな事くらい気付いてよと言う程度に軽くスルーできるのか、それによって期待を持つ側に是非が問われることになる。

期待することに我慢は必要なくても、欲になっては恋とは言えなくなる。
わがままな奴だなと笑えるうちが恋だ。

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