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oktober 2007 posts

2007.10.29

余裕の裏付け

優しいさを求める気持ちには自分への理解が根底にあり、理解と言うものは相手を思いやる余裕が必要となる。
その余裕が強さの根源となり、それが感じられると信頼を得る。
甘える事は信頼があるからこそ出来得るのであるから、相手にもたれかかれる安心感は優しさや強さを感じた上で生まれる。

それらの円が重なる部分に包容力が存在する。
相手の過去も現在もすべて認めて受け止める事が包容力の深さなのだ。
この全ての要素は誰でも重なり合っているものであり、切り離して考える事は出来ないように思う。
しかし人によって違うのは、その重なりの大きさなのではないか。

この部分が広く大きくなるほど人には「余裕」が生まれる。
この余裕に比例して男の器の大きさが見えてくる。
一つの事象に対して、ある角度から見ることを価値観だとすると、別の角度から見る事があることを認めることも器の広さなのだろう。

女性に男に求める要素を一つ挙げよと尋ねても無駄だと思う。
どれを挙げても全ては重なっていることを考えれば、答えは「全て」が本音なのである。
「器の大きい男」その言葉だけで統括できる。

2007.10.27

価値観の裏付け

価値観については以前にも触れたが、全ての事に対する価値観が全く同じ人など存在しない。
要は相手の価値観を認める事が出来るかどうかである。
しかしそれは従うとか、その価値観に移行するというものでもない。
自分とは違った感じ方と言うものが存在する事を知るということである。
自分の価値観を話す事は良い事であると思うが、押付けることになると相手にとって苦痛にも感じる。
違う価値観があるからこそ、自分の価値観も生きてくる事を学ぶべきなのではないか。

「価値観が合う人がいい」と言うのは、全く同じ人がいいという意味ではない。
自分の価値観だけで全てを片付けようとする相手には耐えられないと言う意味だと思う。
そこには相手を尊重する心が感じられないからである。
お互い違った価値観であっても、それを認め合いながら自分の価値観で進んでいくなら、それはただの自分勝手とは違ってくる。
なぜなら、そこには相手のことを視野に入れる余裕もあるからである。

しかし、この価値観の違いも譲歩できる限度もあるかもしれない。
全ての事がまったく噛み合わないとなると、一緒にいること、話す事が疲れてしまう。
認めようとすることに疲れてしまうのだ。
その限界はどこだというラインはない。
そのライン内にいる事が「価値観の合う人」と言うことになるのだと思う。

2007.10.24

強さの裏付け

女はか弱き、男は強い、と言う図式は現在の男女の立場に当てはまるかどうか少々疑問ではあるが。
女性が「強い男」と表現できる人を求める傾向は変わらないようである。
それは女性が弱いという相対的な見方ではなく、人間として芯の強さを兼ね備えている人という事だろう。

物事に対峙した時、どう切り抜けていくのか。
それが大きな出来事に対してだけとは限らない。
日常の些細に映ることに対しても対処の仕方で、その人間の器は垣間見える。
時には強引であっても無茶に見えても、その事態から抜け出そうと言う意図が根底にあれば評価される。
結果ではなく、そこに至る判断力・決断力・行動力がすべてである。
逃げに走っての結果がたまたま良い方向に行っても、運の強さが証明されるかもしれないが、女性の求める「強さ」は見られない。
「逃げるが勝ち」と言う言葉は、逃げ出すのではなく「回避」するのがベストと判断した結果の行動なのである。
いつも逃げを打つのは、強さよりむしろ弱さをさらけ出す事になる。

強さとは、背を向けない姿を問われる。

2007.10.22

信頼の裏付け

「信頼できる人」 その根底にはどんな気持ちが込められているのだろうか。

嘘をつかないとか、自分を裏切らないといった表現で挙げられるのは例えであって、その意味する範囲は広い。
誠実であるともまた違う。
誠実である事そのものは、あらゆる社会行動に照らし合わせて生まれる表現となる。
そうではなく、自分が安堵感を得られる裏付けが欲しいということである。
女に対して怒ったり、行動に制限を加えたり、文句を言うなどの反論的な言動に於いては、根拠がずれていてはただの自分勝手に映る。
男の言動が自己中心的なものではなく、こちら側の立場や事情を察していてくれている事が見えれば納得できるという事だ。
それが乱暴な言い方であっても、表面的には冷たく見えても、感覚として真意は伝わるという事である。

男側からすれば、それをする為には相手に対して「優しさ」がなくてはできない。
信頼と優しさと包容力の円はそこでもまた重なることになる。

2007.10.20

包容力の裏付け

「包容力がある人」と言うのも女性が男性に求める要素である。
自分を包み込んでくれると言う意味では、その存在によって安心感を感じたいのだと思う。
しかし、ただ包容力だけがある人なんてのは考えにくい。
包容力を感じさせる人は、その言動に余裕や優しさがあるはずである。
そうすると、女性の求める男性像の要素を図形の円にしていくと、包容力の円は優しさの円と一部が重なる事になる。

自分を受け止めてくれると言う事は、自分の事を考え、理解してくれなければ出来ない。
女性の望む包容力は、すべて自分の思うようにさせて欲しいと言うものではない。
叱咤も制限も、自分の考えや言動の経緯をわかった上でされるなら納得できると言うことだろう。
そこには自分を見てくれていると言う安心感がある。

男性が女性に対して自分の考えや理論をすべて押付けて従わせようとすると、そこには相手への尊敬は存在しなくなる。
そして、押付けられて不本意に従う女性からしても、相手への尊敬の念は薄れていく。
お互いの尊敬の気持ちが消えると「信頼」と言うものが成り立たなくなってしまうと思う。

「包容力」には「信頼」と言う円も重なっていく事になる。

2007.10.18

優しさの裏付け

女性が男性に何を求めるか。
よく「優しい人」と言う。
これは簡単な表現がそれしかないから使うのであって、その「優しさ」の意味するものは深い。

単に言う事が優しい、何でも聞き入れてくれる、買ってくれる等は行動を表面的に捉えた表現であって、求めるものはそうではない。
その裏付けになっている「気持ち」が欲しいのだと思う。
どう考えてそういう優しい事を言ってくれるのか、なぜ聞いてくれるのかと言った心の深層の部分に迫る。
それがなければ、ただ単にこういえば喜ぶから、こうすれば納得するから、と言うだけの動機でしているだけに過ぎないからだ。
自分の言った事や行動をどう受け止めて、どう言う判断で優しい言葉が出たのか、聞いてくれたのかを理解したい。
そこに「優しさ」を感じたいと言う事だ。
よく優しいだけではダメと言うのも、叱咤や反論があっても当然な事を知っているからであり、その叱咤や反論のやり方にも「優しさ」を感じたいはずである。

「優しい人」の言葉の裏付けは、自分の言動を理解した上できちんと断を下してくれるかどうかと言う事なのである。
それは次項「包容力」に繋がる。

2007.10.11

不完全消化

不完全消化の状態のまま恋を続けていくのか、それとも見切りをつけて終わらせた方がいいのか。
その前に、不完全消化な状態とはどんな状態のことを言うのだろうか。
自分の気持ちのあり方には違いない。
自分が望むような恋の形になっていないと言うのもその一つだろう。
それは相手に対する要望でもある。
しかし厳密に言うと、相手の自分に対する気持ちを推し量る事ができなくなった自分の気持ちが消化不良を引き起こしている。
原因が相手にあるのか自分にあるのか、そう考え出すと答えがわからなくなる。

女性はこういう状態のままで恋を続ける、あるいは続けてみようとする努力ができる。
それがその先に改善されるかもしれないと言う希望を持ってみるからだ。
これはしかしこの時点から限定期間に入るのかもしれない。
相手に対して自分が努力を続けている間に気付いて欲しいと願いつつも、ある意味では覚悟も固まりつつある。
男からすれば、まだ間に合う期間であろう。

本題に戻れば、不完全消化の状態のまま恋を続けていくには限定期間をクリアできると言う条件がつき、見切りをつけると言うのはすでにその時点で限定期間が過ぎてしまっているのだろう。
本人に限定期間の意識があるかどうかはわからない。
そしてその期間も人それぞれだ。

2007.10.09

ひとりよがりな口説き

男がよく口にする言葉で、女を口説いている間が楽しいと言うものがある。
男も女もこの言葉を勘違いしがちなのは、口説き落とせば楽しみは終わりだと解釈してしまうところだろう。
そのように考えている男の恋に対する意識は薄い。
そしてそう思ってしまう女の方は、そういう男に対する防衛本能が芽生える。

この言葉の本質はそうではない。
口説くにはもちろんそれなりの成果も求める。
しかし結果がだめであっても、その経過上で相手を今以上に知り、さらにやり取りの中で距離が少しずつでも近くなる事を楽しめることが重要なのである。
成果とか結果だけを目標にしてしまえば、そのことを求めるあまり気が急いでしまう。
結果自体を問わなければ、それは遥か先にあれど、また見えなくとも自分が相手を好きであるからそれができるという事に気付く。
自分だけが酔ってしまえば、相手を軽んじる事にもなる。

常に相手との距離を考え、自分一方的にならないようにしなければ相手は楽しくないのではないか。
相手が心地よくないなら、冒頭の「女を口説いている間が楽しい」と言う発言はただの独りよがりになってしまう。

2007.10.05

守りの重み

将棋やチェスは相手の大将である駒を取るために攻める。
マージャンは自分があがることが勝利に繋がる。
囲碁も自分の陣地を占拠していくゲームだ。
他にも例はあるが、大抵は自分の攻撃に目が行きがちである。
しかし守りがしっかりしていないと攻めだけでは勝てない。
相手はじっとしているわけではないのだ。

恋愛で言うと守りとは何か。
自分の心の油断を見直すことではないだろうか。
なぜ相手はこう動いたか、相手の動きの意図を読めなければ自分の攻撃ばかりに気を取られて見逃してしまう。
相手と対峙すれば、どんな動きや言葉にも意図はある。
自分の動きや言葉だけで事を運ぶのは守りがおろそかになるということだ。

将棋やチェスでは相手が駒を動かした意図があるし、マージャンでは通常は三人もの敵の動きを読まなければいけない。
必ずしも自分が考える通りに相手は動いてはくれまい。
常に大局的に流れを把握して、守りの隙間を点検しながら攻める。
いつまでも自分の思うように動いていると言う油断が守りの隙を作ってしまうのだろう。

2007.10.02

待ちへの挑戦

これを書いても上手く伝えられるかどうか自信は無い。
口頭で説明しても非常に解説しづらいのである。
好きな相手をいつまで待てるか、また待つ間はどういう風な心境でいられるかと言うことなのだが。

男側に立った観点であるが、例えば男が30歳、好きな相手は20歳の女の子としよう。
彼女には現在好きな男がいるとしたら、男は挑戦者という立場になる。
その彼女とは普通に会話もしあえる関係にある場合、そういう言う関係を保ちながらも「待つ」という表現にしてみるとしよう。
彼女が好きな男と遊びに行く時はそれが最優先される、当然の事なのだがそのことが気になるだろうし嫉妬する。
しかしそこで究極のポディティブな考えがある。

仮に2年間待って彼女の気持ちを手に入れる事が出来たとすればどうだろうか。
20歳の彼女に出会わず、2年後の彼女に出会っていたなら、今彼女のしている事すべては過去の話である。
今実際に出会ってしまっている事を消し去る事はできないが、1年先でも2年先でも待てるというのであれば、その時までは彼女の行動は過去の出来事と思えばよいのである。
しかし思い込もうとしたところで簡単にはできないのも事実だが、今彼女が何をしようが慌てず騒がずでいられたら楽であるのもまた事実だ。
とは言っても10年も20年も待てない。
或いは2年の間に彼女が結婚してしまうことだってありうる。

自分の方に気持ちを向かせるまで、どこに目標を置くかを決めて最後は総力で挑戦することだ。
待つというのはその時期を待つということに他ならない。

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