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februar 2007 posts

2007.02.24

価値

ウニやイクラ、数の子など高価とされる食材は、大量に獲る事が出来ないからというのがその理由でしょう。
しかし人の食感には違いがあって、美味しいと感じるかどうかは別である。
美味しいと思わなければその人にとって特に価値はない。
高価と価値はイコールではない。
かって鯨の肉は牛肉が高くて給食に頻繁に使えない為に、その代用にされていた。
料理法の違いもあるだろうが、その頃は決して美味いとは言えなかった。
今は捕獲が制限されて、鯨肉は高価な食材となっている。
世間的な価値とは所詮そういうものだ。
鯨が変わってわけでも何でもない。
価値とは本人に取って美味しいかどうかであり、高価になったから価値が出てくるものでもない。
不味いと感じれば価値は無いし、安いものでも美味いと感じればそれだけで価値はある。

恋愛にしても、本人にとって価値のある相手であればそれだけで充分なはずである。
ただ、どこでその価値を決めるかというのは人によって違ってくるわけであり、好みというのもその要素のひとつになる。
高級なトロステーキよりサンマの塩焼きの方が美味い、というのもありなのだ。

2007.02.14

告白

バレンタインデーと言うと「告白」と言う事になる。
今や告白なんて日常茶万事だろうから、ただのイベントでしかないかも。
告白と言うと重いニュアンスだが、気持ちを伝える事は自分の気持ちを軽くする。
相手の想いに期待すると、期待に反した場合にがっくりする。
それは当然なことだが、最初から期待しない告白もある。
自分の気持ちを知ってもらう事だけで、想い悩むことからずいぶん開放されるものだ。
気持ちを伝えずに想いを膨らませていると、心地良い状態のうちはいいのだが苦しくなってくるとそこが限界だろう。
いずれにせよ心地良いもどかしさや苦しさを自分で消化できるラインの内側にいることが、楽しめる片想いの条件となる。
もっとも誰しも、相手から同じ想いが返って来ればそれに越したことは無い。
しかしそうでない時でも、心地良い想いでいられる事が出来るのは幸せであると思う。

2007.02.09

心地よさ

優しさに飢えている人は優しさに惑わされる。
寂しさを人一倍感じる人は人との触れ合いに寄りかかる。
優しさを感じ、触れ合いを感じられると恋のような気持ちにさえなる。
繊細な人ほど感情が複雑に絡まって、辿っていく途中でこんがらがってしまうのかもしれない。
オレなんかは単純だから、優しさに触れて嬉しさを感じても恋に変わることは無い。
優しい事を優しさ以上に感じる事が無い。
もちろん最初から恋心がある相手なら別だが。
寂しい時に人と触れ合って和むことはあっても、それ以上に寄りかかる事は無い。
好きである対象が自分の心の状況で左右される繊細さが無い。
子供と同じで好きなものは好き、そうでないものはずっとそのまま変わることは無い。

自分の気持ちがわからないという人は多い。
そういう人は自分の事をあまり好きではない人に多いと思う。
好きになると言う着火点がわからない。
だから火がついているのかどうかもわからない。
優しさはそれに触れると心地よい。
自分の気持ちがわからない人は、優しさに甘える自分が恋の感情と交錯してしまう。
自分の事を好きでない人が、自分に優しさを感じさせてくれる人に寄りかかってしまうのはごく当然であると思う。
だが、恋だと言い切れないことがもどかしいのだろう。

2007.02.07

エンディング

恋愛の種類と言っていいのかどうかわからないが、自分が独身でフリーである場合、大きく3通りに分けてみる。
一つが相手も同じくフリーである場合。
二つ目は相手に付き合っている人がいる場合。
もう一つは相手に家庭がある場合。

まずフリーな場合は何も問題はない。
二つ目の相手に付き合っている人がいる場合、人によって闘争心を燃やす人と最初から諦める人に分かれる。
闘争心を燃やすと言う事は当然ながら競争に勝って自分の方に向けたいと思うからであるはず。
三番目の家庭がある場合と違うのはそこである。家庭がある場合は「奪う」と言う表現が使われるが、それは誰しも倫理的にいいとは思っていない。
しかしそれでも付き合う場合もある。

ではフリーの場合も含めて、付き合う過程に於いて何が違うのか。
仕事や住居の関係で一緒にいれる時間は必ずしもフリーの相手が一番長いとは限らない。
デートにもそれぞれの種類やパターンがあってどの場合を取っても遜色ない。
フリーでない場合はあまり人目につく場所は避けると言うのはあるだろうが。
恋をしていると言う意味では何も変わらない。
どこで何を判断して区別するのかを考えると、倫理的なもの以外にあるとすれば、行き着く先なのだろう。
恋愛はその先がわからないから楽しいとするなら、結果がわかっているのはつまらないと言う理論になる。

しかし恋愛そのものを楽しむのにそういう理論は必要ない。
行き着く先はどのパターンの場合でもわからないし、そればかりを考えると恋は出来なくなる。
それでも最終的にどこかでエンディングを考えてしまう。
恋愛中の不安や期待はすべて最終幕に結びつく。

どんな恋愛でも結末はその時にならなければわからない。
あまり先ばかりを考えすぎない事が一番楽しめると思うのだが、そうもいかないのかな。

2007.02.05

人間誰でも欲と言うものがある。
欲の全く無い人間はいないだろうと思う。
その深さと言うか度合いが違うだけだろう。
或いは興味の無いものに限っては欲を示さないと言った、ジャンル限定の欲もあるかもしれない。

恋が始まった時は、相手と会うだけで、或いは話すだけで満足という気持ちになる。
その頃に欲があるとすれば、もっと会いたいという、純粋に気持ちを満喫したいと言うだけのものだろう。
それがやがて、こういう風にしたいと言う願望が強くなり、こうして欲しいという欲に変わっていく。
欲するということが字のごとく「欲」ということになる。
それでも相手が同じ波形で応えてくれていれば何も問題は無い。
しかし、ずっと同じ波形ではありえない。
そこで僅かにズレが現れる。
その時に自分の欲に気付けば制御も出来る。
ただ相手がその気持ちをわかってくれていてくれる事が前提となる。
願望が叶わない事に苛つくのではなく、相手が気付かない事に業を煮やす。
それは相手側の「欲」であるように見えるからだ。
欲とはだんだん増えていくだろうし、大きくなってもいくものだ。
相手とのタイミング次第で通ることもあり、負担にさせることもある。
欲とうまく付き合っていくことは大事な事であると思う。

2007.02.03

後の祭り

女は別れる前に考え、男は別れてから考える生き物と言ってしまうのは極論だろうか。
同じ考えるにしても順序の違いで結果は全く違ってしまう事もある。
あれこれと過去の行動をたどって、理由や原因を探ることは男女どちらにもあることだろうが、それをしても無駄と理解するのは女の方が数倍早い。
次の恋では気を付けようと気持ちにケリをつけたら終了だ。

一方、男の方はそれを何とか終わった恋を戻そうとする方向に向けようとする。
断ち切る度胸は女のほうに備わっている。
一度断ち切ると、感情を元に戻す事はもはや無い。
逆に言えば、断ち切る事が早い女性は次の恋の準備も出来やすいと言う事になる。
学習によって男を見る基本点が上がっていく要素もある。
気持ちを断ち切る事は呪縛を切るということだ。

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