無料ブログはココログ

« november 2006 | Main | januar 2007 »

december 2006 posts

2006.12.30

理解と信頼と絆

きちんと話したつもりでも自分の伝えたい事が完全に相手に理解されているとは限らない。
いいかげんな聞き方をしているわけではなく、きちんと聞いてくれていてもだ。
違った理解の仕方をしても納得している場合も有り得るということだ。
それはそれでいいのだが、何かの拍子にピンポイントでその部分に触れる機会があった時にあの時、理解してくれていたのじゃなかったのか、となる。
その時はこう納得していたのだと説明したところで相手にしたら言い訳にしか聞こえない。
どちらが悪いわけでもなく納得していた事そのものが違っていたに過ぎない。
お互いにわかりあえると言う関係であっても、いやそれだからこそ陥る落とし穴かもしれない。
信頼は成立しているのだ。
信頼できる仲であっても慎重さが必要なのかもしれないが、そればかりに気を付けているとお互いにぎこちなく、息が詰まる。
理解の違いを後からの言い訳と疑われないでいられる関係が『信頼』と言うものならば、それこそ『絆』が築かれていてこそだ。

こういう風に理屈で言うと難しい。
それでも簡単に築ける相手もいるのも事実だ。
すれ違いからの別れはほとんどがこれだと思うのだがいかがか。

2006.12.29

心の目

物を見るのには目を開けていないと見えない。
その形や色や大きさは、まず目で見て確認すると言う順序に慣れてしまっている。
先にそういう視覚で捉えたもので判断して安心したり、また恐れたりする。
どんなものであれ形を確認できない物に対しては不安が先に立つ。
だから心とか気持ちというものには常に不安が付きまとう。
もちろん人の心に対してである。
形や姿がないものは目で捉えられないが故に、自分の感じる感覚を判断材料としなければならない。
しかしそれがあやふやであるから怖いのだろう。
これで間違いないというはっきりした自信は持てない。
心を見るというのには、姿形や目で見える表情などは逆に邪魔になる事さえある。

心で見る。
難しい技ではなく、目で見える相手を一旦遮断して、じっくりと相手の表情、行動、時には言葉さえ思い起こしてみる事で出来なくはない。
人は目で見てしまって惑わされている事に気付かない。
知らず知らずのうちに安心できる方を選択してしまうのだろう。

2006.12.22

目にゴミが入ると涙が出ます。
これは目に入ったゴミを流しだそうとしてくれるんですよね。
目の中にゴミが残っていては目が開けられないですから。
同じように悲しい時に涙が出るのはその悲しみを追い出そうとしているのでしょう。
悲しみや辛さをいつまでも残しておきたくないでしょうから。

一般的に男は女ほど涙を流さない。
これは男の方が強いからではなく、逆に女の方が強いからかもしれません。
さっさと涙を流して気持ちを切り替えようとしている表れだとしたら、きっとそうなのでしょう。
吹っ切れるのは女の方が早い、それはこういう仕組みなのでしょうかね。
嬉しいt時の涙?  さて・・・

2006.12.16

離れた時間の意義

男でも女でも人によっては一人の時間を楽しめる方がいます。
それは性格によるものでしょう。
そう言うのが性に合わない人はそれが理解できないのもまた当然な事なのだと思います。
だから、一人の空間を持ちたいから、という理由で会うのを断られてもそれが本当の理由なのか疑ってしまう事もある。

好きな人とずっと一緒に居たいと思うようになると結婚と言う事になるのだろう。
しかし結婚したからといって四六時中一緒に居るわけではない。
もしそうであったら本当に幸せだろうか。
離れている時間があるからこそ話題ができる。
些細な事でも、たとえ愚痴であっても二人にとっては楽しい話題になる。
四六時中一緒に居ればそういう話題がなくなる。
一通りの話題が尽きてしまったら新鮮味も同時に失われていくことになる。
言葉を交わさなくてもそばに居るだけでいいと言うにも限度があるはずだ。
そういう幻想を思い描いて結婚というものにたどり着くと、最初のうちだけが理想の世界に浸り、それ以降の現実に夢を砕かれる。

別々に離れた時間を持っていることが、実は最も重要なのだと言うことに気付くべきなのだが、それはたやすい事ではない。

2006.12.13

トーンダウン対処

恋愛してる二人の間に少し隙間ができてトーンダウンすることがあるのはいた仕方ない事として、それが深い溝になってしまわないうちに修復できるかどうかがキーポイントとなる。
たいていは終焉を迎えてから、後から考えてみればあの時のあの言葉や態度は少しおかしかったなと振り返る事になる。
しかしおそらくはその時にも薄々は感づいているものだ。
けれどもそれは解決できるとタカをくくっている場合が多い。
解決するためには放っておいては無理である。
何もしないでいると、あたかも元に戻ったように見えても実際には修復できていない。
亀裂が入ったまま勝手に元に戻る事は有り得ないだろうから。
何もしないのは、ぼんやりと隙間を感じてもそれを認めたくない心理が働くのかもしれない。
一過性の不機嫌な状態なのだろうと自分に思い込ませてしまう。
それは相手にとっては、何もしようとしてくれなかったという思いだけが残る。

解決の糸口はもやもやとしている部分について話す事、聞いてみる事しかない。
変化に気付いてくれた事だけでも相手にとっては大きな嬉しさに繋がる。
そして解決の方法はその状況や相手によっても違ってくる。
前にこう切り抜けたから今度もこうだろうと言う思い込みは危険である。
機械を修理するのとは訳が違うのである。

2006.12.08

恋愛依存

恋愛依存症というのは誰かを好きになってないと不安な体質なんでしょう。
もちろん思われていないと寂しくなる。
しかし殆どの人がそれに当てはまりますよ。
不安になるところまでいくかどうかが「○○症」と病気の症状のような扱いをされるかされないかのラインですね。
重度な人はその寂しさに耐える力のほうが弱くて、本当に好きかどうかも定かでない人にまですがってしまう。
恋愛をしていないから寂しくなるのと、寂しいから恋愛をしたいと思うのでは同じようであってもこれは違いますね。
恋愛をしてないから寂しいと言うのは、はっきりと恋愛を目的に定めている上の言葉であり、寂しいから恋愛と言うのは恋愛に逃げ場を求めているように思います。
だから後者の場合は、恋愛したとしても必ずしも寂しさがなくなるとは言い切れないでしょう。
こういうのは恋愛依存から外れると思いますね。
こう考えると、こんがらがってしまいがちですね。

2006.12.03

情熱の点火

赤は情熱を表す色に例えられる。
心の中で燃えたぎる炎から連想されたのだろう。
では情熱を燃やす相手が現れた時、どのように対処すればいいのか。
慌てて近づき過ぎると、相手は炎を避けようとします。
火傷しては大変ですから当然の反応でしょう。
しかし近づかなければ炎を移すことは出来ないわけです。
二人の情熱が燃え上がらないと恋には発展する事は無いのだから。
火をつけるのにいきなり大きな炎を近づける必要はないのです。
小さな火であっても、点火させれば徐々に燃え上がっていきます。
大事なのは相手のどこがその着火点になっているのかを探し出す事でしょう。

« november 2006 | Main | januar 2007 »

Categories

  • 恋愛
oktober 2017
søn man tir ons tor fre lør
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        

Recent Trackbacks