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september 2006 posts

2006.09.30

余裕の下地

余裕と言うのはどこから現れるのだろうか。
経験や訓練なのか、だとしたらそういう体験に基づく自信が余裕を生むのだと言えるかもしれない。
自信とは一歩間違えると過信に繋がる。
思い込む事は大事であるが、これで自分は達観したと勘違いしてしまうと落とし穴にはまってしまう。
余裕の中には謙虚さも必要である。
常にまだ上があるのだと意識しながら自分のレベルを認識rしておく事が出来なければただの天狗になる。

恋愛の世界でも、余裕がなければ疑心暗儀な思考が充満し心を狭くしてしまう。
そして自信とは自分のみならず相手をも安堵させるもので無ければならない。
誰も認めないような自信は独りよがりに過ぎない。
認めてもらって始めて余裕が生まれる。
すべては一人では成し得ない。

2006.09.28

見えない像

自分の顔を直接見る事は出来ない。
鏡を使っても、写真に写しても、カメラとモニターを使ったとしても、直接見るわけではない。
そうやって見た物はほとんど実像に近いとは思うが、他人から見れば違って見えているのかもしれない。

では、心はどうか。
心には実像がない。
それは感情とは違う。
感情も含めて現実に体験した事や、憶えてきた事、考えている事などをすべてを網羅して発生するものだ。
だから、他人には絶対にわからない。
同じような体験や境遇を経験したもの同士なら少しは推察することはできる。
しかしそれは鏡に写った自分の顔と同じように、本物を忠実に見ることは出来ない。
全く逆なのは自分だけが自分の心を見れるということだ。

言葉

男は言葉の意味を、女より深く考える。
漢字のテストの話ではない。
前にも書いたように女は感情の動物だから言葉を発するのに感情をそのまま口にする。
「あっ、これ可愛い~」 などとよく叫んでるでしょう。
プラスの表現は問題になりませんが、しかしマイナスの要素を含む言葉だとどうなるか。
例えば、少し駅から離れた場所にいい感じの隠れ家的な店を見つけたので彼女を誘った時に、少し歩くことになるが
「お店ってどの辺?」
「もうちょと歩いた所」
「うわ、遠い~」

となると、『こんな遠い所、嫌だな~』、『どこまで歩かせるのよ』と言う意味かと考えてしまいがちだ。
実は「思ってたより遠いと感じた」だけのことだったりする。
女は瞬簡の感情に素直なんだね。
まあホントにやだな~と思ってる時もあるだろうけど。

じゃあ反対に男が「遠いな~」とか言った場合は、女はマイナスに考えないのかとなるが、女は自分の感情と一致するからそんな風には考えないのだろうね。

2006.09.27

優勝の座

競争には必ず順位がつく。
中でも1位と2位では遥かな開きがある。
スポーツで言えば優勝と2位では勝ったか負けたかなのである。
オリンピックなら銀メダルにも価値はあるのだろうが、金とはやはり雲泥の差なのだと思う。
ギャンブルになると取るか取られるかの世界だ。

恋の世界の順位はあるのだろうか。
勝った負けたはあるのだが、順位となれば女性の立場によく使われる。
男にとっての2位以下はみんな同じだろう、要するに負けだ。
女性の優勝とは妻の座になるのか。
そして2位なんて座はあるのだろうか。

2006.09.23

甘え方

女に甘えられて嫌な男はいない。

嫌だと言ってる男の本音はこういうことである。
甘えられると、それに乗じてしまったと見られる自分が嫌なのだ。
だから表現の下手な甘え方をする女は損することになる。
いかにも甘えてますよと来られると、甘えればどうにかなると考えてやっているように勘ぐられる。女の方はそういうつもりでなくともだ。
甘えている気持ちそのものは表現力がなくても男に伝わる。
よほど鈍感な男で無い限り。
たとえ突っ張って逆の言葉を投げかけても甘えてる部分は隠しきれない。

男に甘えると言うのはゴロゴロと猫のように懐くことではない。
寂しくて甘えているのか、いとおしくて甘えているのか、それを感じ取ってやるのは男の優しさだろう。
いずれにせよ安心したい事には違いないのだ。

一言の言葉だけでもそれに答えてやる事ができるのだから甘えさせてやるのも男の度量ではあるまいか。

2006.09.22

無法なるもの

倫理や法律などは世の中の規律を乱さないために人が作ったものである。
これを守らないと本能のままやりたい放題の目茶苦茶な世界になる。
しかし決められた事、教えられた事に従う理性とは裏腹に、感情は自然に湧き上がる。
むしろ感情が先であり、それを倫理などに照らし合わせて規制したり抑え込むという順序になる。

恋と言う感情は無法者である、相手の事情などお構いなしに現れるからだ。
彼氏がいようが妻がいようが、年齢の差があろうが恋と言う感情にとっては何も関係が無い。
だから厄介でもある。
順序が逆なら苦しい恋は存在しなかったかもしれない。
つまり、先に相手の諸事情を知ってからでないと恋と言う感情が生まれなかったら。
便利なのかもしれないが、機械的、事務的な恋しか出来なくなったら寂しいではないか。

やはり恋の感情とは、コントロールできないものであるべきなのだろう。

2006.09.21

恋愛天候

天候は毎日が快晴とはいかない。
気温はその日によって変化するし、湿度の高い日もあれば爽やかな日和の時もある。

恋愛をしている場合も感情は日々に変化する。
昨日は好き、今日は嫌いと言うようなことは無いのだが、気持ちの微妙な波はある。
天候と同じように全く同じ条件の日など無いのだ。
土砂降りの雨の日が好きと言う人もいるかもしれないが、ほとんどの人は外へ出る意欲が削がれるだろう。
こういう日に外出すれば気を付けていてもはねが上がる。
しかし家に戻ればそれをそのままにしておく人もいないはずだ、手入れやケアは必須となる。
相手に会う会わないは関係なく、恋愛は気持ちが土砂降りでも継続している。
泥やはねをつけたまま人の家に上がる事はしないのと同じで、気持ちにもケアは大事だ。

2006.09.16

恋のからくり

誰しも全ての事が思い通りに運べば楽しいだろうと考える。
何でも思いが叶い、不自由なく生きることは素晴らしいのだろうか。
極端に言えば、欲しいものはすぐに手に入り、嫌な事は全て回避できる、しかも苦労無しにだ。
最初のうちはいいかもしれない。
しかし、そのうちつまらなくなるはずだ。
頑張ってみることが無くなれば、頑張った結果の楽しみも無くなる。
結果がわかっているドラマやスポーツなど面白くないのとと同じだ。

恋の行方や、駆け引きもどう転ぶかわからないから楽しい。
悲しい時もあるが、楽しかった時もあったはず。
人にはそれぞれ思い描くものがある。
恋が自分の思い描く通りにいかないのは、相手にも思い描くものがあるからなのだ。
全ての理想が一致するはずも無い、だからそこに楽しさも寂しさも混在する。
そして別れもある。
それは一つの単なる結果だ。

2006.09.13

波長の認識

恋をしている場合でもそのテンションには波がある。
波の幅や長さはもちろん一定ではない。
自分のテンションが今どのような状態なのかはある程度わかる。
しかし相手の波には気付きにくいものなのだ。
特に上がっている状態の時、その居心地の良さに、人は頂点がある事を忘れる。
頂点の後はたとえ一瞬でも波は下降する。
そのまま下がり続ける事もありうるわけだ。
逆に下がっている時には、違和感に気付きながらも目をそらしてしまいがちである。
早いうちなら何らかの手を打つ事が出来るかもしれないのに。
一歩遅れると、少しづつタイミングがずれて後手後手に回りだす。
先回りする事が出来ない。
後ろから追っても下がるテンションは食い止められない。

どこかで前に回る事が唯一の手段なのだ。

2006.09.07

追い詰める距離

窮鼠、猫を噛む。

極限に追い詰められれば誰でも向かってくる。
極限の程度が若いうちは浅い、それは自分の許容できる範囲が狭い事でもあるが、経験値、体験値が少ないのであるから仕方が無い事かもしれない。
殆どの場合、自分の立場からの考え方が大部分を占める。
相手の言葉や行動は表面で捉える、その行動の心理は考えない事が多い。
当然、相手に対する自分の言葉や行動の影響などは思い浮かばない。
その結果が、小さなものは喧嘩で済むが、事が大きくなれば深い溝が出来る。

知らず知らずのうちに相手を追い詰める言動を取ってしまう事は誰にでもある事だ。
それでも極限に達するまでに気付けば、ニ、三歩後ろに下がるだけで相手はパニックを回避できる。
逃げ道は空けておいた方が大事には至らない。

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