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august 2006 posts

2006.08.28

夢と未来

未来がもし見えるとすれば、違った行動をとれば変わるだろうか。
或いは回避できたり、失敗を成功に変更する事ができるだろうか。
未来が見えるということは、どうあがいてもその未来は起こると言う事になる。
もし変える事ができたなら、その見えた未来そのものが嘘になってしまうからだ。

自分の恋愛の行く末を見たいと思ってもその結果をどうする事も出来ないなら悪い結果であろうと、たとえ良い場合にせよ知らないほうが良い。
自分の取った行動の結果が未来なのだ。
恋愛の結果など考えないでも良いのだと思う。
夢を見ることは楽しくていい、それは結果が見えないからである。

もし恋が終わっても人生は続く、夢が一旦覚めただけ。
また新たな夢を見ればいいのだ。

断りの種類

女性がその気の無い男からのアプローチから逃れる断り方はほぼ共通している。
日時を指定して誘うと、その日は用事があると断る。
指定しないと、またそのうちにねと曖昧にしておく。
いつが空いてるかと聞かれると、今はずっと忙しいと答える。
さらにメールならば返事などしないで放っておくらしい。
ここまでされたら男も普通は気がつかないといけないのだが。

では、断りたくない相手なのにたまたま用事があったり忙しかったりで断らざるを得ない時はどうするか。
男が諦めたり、悪い方に勘違いしたりしないようにするためにきちんと手は打つのだ。
忙しい理由を説明し、その日はだめだが何日なら空いていると明確にし、次の誘いをし易くする。
要するに断りっぱなしがノーサンキューで、誘い水をかけてくれば脈はあると言う事だ。

ただし、つわものの女はこれを技として使ってくるからご用心。

2006.08.25

無言の威力

浮気の定義は別にして、貴方が浮気と思う事実を見つけたらどうする。
証拠を突きつけて責める、と相手は逃げ場が無いから何か言い訳を考えるか、逆に問題をすり替えて攻撃的になる。
多くは遺恨を残す結果になる。
証拠を前に泣き出す、となると相手は困ったと思うが、それは泣くのを止めさせるために反省や優しさを見せる。
その場しのぎの応急処置的な対応しか得られない。
誰か他の人を介して間接的に責める、と言うのは良いようであって実は良くない。二人の間の事柄をすべて他人に話しているのかと言う懐疑的な憤りしか残らない。
相手には多少の後ろめたさがあり、ばれるのを恐れる気持ちもある。その気持ちを他の方向に触発させない効果的な方法とは。

気付いていますよ、と言う無言だ。
これに勝るものは無し。
もしこれでも相手に何の改善も反省もなければ、そんな相手との未来は無い。

2006.08.23

SEX一般概念

男はビジュアルでSEXができる。
あくまで一般的に男とはという意味だが。
よく、愛のないSEXとか言われるがそもそも男の性欲だけを捉えれば愛はなくても何ら差し支えはない。
好きなタイプであればSEXに及ぶ事は容易いことだ。
好きなタイプ、と言うことだけで愛はなくとも好きであると言う感情は含まれる。都合のいい「好き」ではあるが、そこに「好き」と言う観念はあるわけである。
だから性格が悪かろうが、嫌なやつだと思おうが、ビジュアル的に好きだからと言う意味でSEXはできる。

女は感情で抱かれる。
ビジュアルうんぬんより、好きな男に抱かれるということに喜びを感じる。
SEXは手を繋ぐ、肩を寄せ合う、そういうことの延長にある。
その気持ちの昂るステップを飛ばしてSEXだけを求めない。
だから相手との気持ちの絡みがSEXに重要なのであって、気持ちのない相手では燃えることはない。
男は勝手な言い分であっても「好き」な相手である限り、違う相手と同時進行でSEXに及ぶ事は出来る。
女は心ここにあらずの状態で他の男とSEXをする事が罪の意識となる。
それは複数の女を好きになる事が出来る男と、好きになったらその人だけという女の基本的な違いによるものだろう。

2006.08.21

模写できない自然

心にやましい事があると普段の言動ができない。
自然に振舞おうとしても、すでにそう思う事が自然でないから当然だろう。
いつもなら自分はここでどうするだろう、と考えると意外とわかってるようでわかっていない。
実際にやってみてから果たしてこれでいいのかなと思ったりする。
自然な振る舞いとはそういうものだ。
気付かないから自然ともいえる。
他人から見る視線と自分で認識している動きとは違うのだ。
やましい事がある場合ばかりではない。
疑惑、心配、不安、色んな事が作用して言動に影響する。
逆に言えば、その不自然で作為的な動きに気付かれなかったとすれば、相手はそれほどの関心を持っていないのかもしれない。
やり過ごせたからと言って喜んでばかりはいられない。

2006.08.16

レベルの階段

自分のレベルを知っておくのは大事なことである。
学力などここではどうでもいいのだが、敢えて学力を例に取ると、自分は偉いと触れ回っても本当に学力の上の人から見ると化けの皮が剥がされる。
それでも、レベルを上げようという野心のある者は少し背伸びしてみるのは有効な事でもある。
少し上に目標を持って、そこに到達すべく虚勢を張るのは一つの方法だ。
レベルが1なのに7のごとく振舞っても滑稽なだけである、まさに裸の王様状態となるのが落ちだ。
1なら2を目指せばいい、それには自分のレベルを認識していないとレベルの階段を踏み外す。

恋愛は学力とは違って机上の勉強ではレベルは上がらない。
数学のように決まって答えが出るとは限らないし、歴史や地理のように丸暗記してもそんな問題は出ない。
出される問題には人それぞれに全て違う答えが用意されている。
そして×を出されても、それを理解できないとレベルは上がらないのだ。

2006.08.14

石ころの道

何か行動をする時、人は多少なりとも結果を予期している。
期待である場合も含めて、良い方向に予期する人は前向きだと言われる。
しかし個人的な意見として、わざわざ悪い方向に予期するくらいなら止めればいいのではないかといつも思う。
悪い方向になった場合のことを視野に入れることは不要とは言わない。でもそれは保険でいいのではないか。
全く何の用意もなければパニックになって収拾がつかなくなるのも事態を悪化させるからだ。
だがしかし、予期しうることを超えて起こるのが現実のようである。

恋愛においても、予期しないことなど日常茶万事だ。
人の心が相手だからそうなるのも当然と言えば当然である。
だからといって、悪い事ばかりを予期して恋愛などしていても楽しくない。
たとえノー天気だと思われようが、良い事を予期して進むのは恋愛の基本だ。
それが出来る人は、もし悪い結果が起こっても吸収できる、だが出来ない人は逃避してしまうのだ。
そして、やがて臆病になっていく。
一つ一つの石ころにつまづいていてどうする。

灰色

色の中で白とは光の持つ三原色の重なりの割合で出来る色である。
そして光を完全に遮断するものが存在しないので完全な黒はない。
人工的な絵の具や塗料の場合は単純に白色と黒色がある。
白色に少しでも黒色が加わると灰色になる。
後からどんなにたくさん白色を加えても元の白色には戻らない、肉眼ではわからないほどになっても正確には灰色である。

同じように残念ながら人の心にも完全な純白は存在しないように思う。
一度たりとも黒を混入した事がないという人はおそらくいないだろうから。
いるとすればまだ何もわからない赤ちゃんくらいなものだろう。

人は恋愛になると相手に純白を求める。
汚れているとかいないとかの議論ではなく、優しさや誠実さや自分に対する気持ちを求める時に無意識の中に純白性を求める。
灰色な部分は是が非でも白くしたいのだ。
有り得ないのをわかっていても、せめて自分にとっての純白の天使や騎士を求める。
唯一存在する前述の赤ちゃんにはまだ恋愛に縁がない。

2006.08.08

揺らめく像

水の中で目を開けたことがありますか。
目に良くないとか痛いとか言うのはこの際置いといて、やったことがない人は一度試してみればわかる。
はっきりとクリアーには物が見えないはずだ。
度の合わないメガネをかけたような感覚になる。
どんなに慣れてきてもけっして普段のようには見えない。
水が流れている場合はさらに揺らめいて映る。

恋をしている時に漠然とよぎる不安はこんな感じだろう。
輪郭もどこにいるのかも、相手が近づいたり離れたりしているのもわかる。
しかし焦点がいつもピタッっと合っていないと、何かしら釈然としない感覚が残るものである。
同じものを見ても水の中では形を捉えきれない、相手は何も変わらないのに見る方の状態でそうなってしまう。
恋とはそういう状態に陥りやすい環境にいるということだ。

2006.08.07

心の側面

おそらく全ての人が表の顔と裏の顔を持つ。
何もジキル&ハイドのように善人と悪人とまではいかなくとも、違った顔というのがあると思う。
他人の前では少しばかり背伸びして見せたり、逆に気心が知れた相手には弱い部分をさらけ出したり。
裏とは言わないまでも側面と表現したほうが近いかもしれないが。
仕事とプライベート、親兄弟と他人、このような杓子定規的な使い分けとはまた別の意味で、純粋に「本音」というものがある。
この本音の部分は自分にとっては一番楽な顔であり、無防備な面でもある。
何故この本音の状態でずっと居られないかと言うと、この部分は気に入られるかどうかが不安だからなのだと思う。
本音の部分が拒否されると自分のすべてが否定されるような怖さが心のどこかにあるからである。
しかし、本音とは一つ一つの事柄に対して発生するものだから無数にあるわけで、ここは本音、ここは偽装というように入り混じる。
一つぐらい否定されても当然と言えば当然なのだが、消極的に捉えてしまえばその結果、偽装を増やす事になる。

本音の部分をお互いに数多く出せ合える相手、それを認め合える相手が人生の伴侶として最適なのではないだろうか。
恋愛はその相手を捜し求める旅なのかも。

2006.08.04

時代と共に

一昔前に三高というのがあった。
女性が結婚相手の男性を選ぶ条件に3つの「高」を織り込んだものだ。
高身長・高学歴・高収入がそれだった。
結婚となるとどうしても収入は選考からはずせないのは理解できるところである。
他の2つは何の意味があったのだろうか。
高身長は外見が良くて、高学歴は聞こえがいいというところか。
当時でも色んな議論を呼んだ。
時代の背景や世代の情勢が女性気質に影響するとすれば、この条件は不変ではない。
それに反して、男が望む条件と言うのはいつの時代も殆ど変わらないように思う。
さて現在女性の気質はどう変わったかな。

ご都合主義

もっと前に出会っていればよかった、と言うセリフは究極の自己中である。
自分の都合だけを過去に戻して考えた結果、こういうセリフが出てくる。
過去に戻ると言う事は相手も過去の当人に戻り、過去から今までの経験も人から与えてもらった知識や力もすべて振り出しに戻ってしまう。
つまり、今の自分ではないと言う事なのだ。
もちろん今の自分よりいいと思う事もあるかもしれない。
しかし、相手にとってはどうなのか。
その間に色んな事を培ってきた貴方だから気に入ってくれたのだろう。
もし過去の自分に戻り、そして同じ相手に出会ったなら、相手は貴方に惹かれることはないかもしれない。
おそらくその可能性のほうが高い。
どんな場合でも今の自分で勝負するしかないのだ。

2006.08.02

恋にあって愛に無いもの

時間や期間は違えど、どんな事でも飽きるという時がくる。
同じことの繰り返しならなおさら飽きるのも早い。
しかし毎日、そうそう突飛な変化が起こるわけでもない。
話す事も似たような話題が繰り返される事にもなる。
それでも全く同じことなど起こらないのも事実だ。
その日その時の心境や物事の捉え方は変化している。
同じような繰り返しだとしても微妙な変化はどこかにあるはずなのだ。
そこに気付くより、人は飽きることの方が先に感情として現れる。
一つの恋も相手やその付き合い方に飽きてしまう事は恋に冷める原因となる。

恋にあっても愛には無いもの、それは飽きると言う事だ。

2006.08.01

情熱の比重

言葉が違う人と意思疎通を図るのは容易ではないだろうと想像できる。
一つの言葉を取ってみても単なる単語ではなく色んな思いが含められているからだ。
それでも思いを伝えたい、知りたいと思うなら一生懸命に身振りを添えたりしながら何とかしようと頑張ると思う。
これが情熱ではないか。

言葉が通じる相手であっても、これは同じ事が言える。
思いを全て微細にわたって伝える事は難しい、それゆえ非常にもどかしくなる事もある。
それでも何とかパーフェクトに近づけようとする姿勢に、相手もわかろうとする思いが生じる。
お互いにこれがなければ恋のテンションは維持できない。
もういいやと思ったらそれはその程度の思いなのだ。
しかし「わかって」「わかるでしょ」の連発では相手も嫌気がさす。
その言葉は心の中で思って、伝えたいという情熱の方に比重を於くと良いのではないだろうか。

恋の料理法

料理に欠かせない調味料は素材を引き立てるために使われる、言わばスパイスである。
スパイスと言うのはだいたいが刺激があるもので、それだけを口にすれば毒に近い。
だからと言って全く使わなければ料理は味気ない。
人に例えれば、毒気がなければ魅力は引き立たないとも言えるだろう。
毒の強さや量はそれを間違えると時には命にかかわる。
美味しく魅惑的な味を演出し、時には強い刺激を、時には隠し味に使って惹きつける事が出来れば一流だ。

猛毒か魅力か、うまく使いこなすためには恋の料理法を習得する以外に道はない。

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