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juni 2006 posts

2006.06.30

他愛ない反乱

反乱を起こすのはいつの世でも悪者扱いされがちだが、必ずしもそうとは限らない。

恋愛に於いて反乱とは少々大袈裟だが、時には逆らってみる事も必要だと思う。
いつも従順である必要はない、無理に逆らう必要もないのだが、曖昧にごまかすくらいならNOとはっきり伝えたほうがいい。

ここで大事なのは伝え方なのだと思う。
のらりくらりごまかそうが、曖昧に逃げようが相手には『あまり乗り気でないな』という事は伝わる。
しかしその程度なら押し切れば何とかなるんじゃないかという強引さも生んでしまう。
伝え方を間違えれば二人の間に亀裂が入る事もある。
理由など特に理路整然と組み立てる事も無い。
伝え方とは、理由や言葉よりも態度の事である。
眉間にしわを寄せられたら誰でも気分が悪くなってしまうではないか。
言葉が悪くても愛嬌があれば憎めないものである。
それはNOだけどこれならどう?それは無理だからこれではだめ?というように代替案を提案する事も有効かもしれない。

意思ははっきり、フォローは愛嬌で。

手の中のカード

相手の気を惹こうとすると、頭で考え付く最良の行動をしようとする。
しかし本来の身についている言葉や動きと違うのでスムースさに欠ける。
それを続けていくことはもっと困難なので、やがて鍍金が剥がれる。
さらに言えば、頭で考えた最良の言動はだいたいに於いて相手にとっては大したことが無いのだ。
普段の行動と違った事をしようとすると言う事は期待があるからであり、期待した反応が無ければさらに次の行動を考えようとする。
常に期待が満たされる予想のもとに振舞おうとするから本来の姿を見せられない。
恋愛感情の無い相手には普段どおり素の自分を出せる。
まったく思いもよらなかった相手に告白を受けることがあるのは、作為のない振る舞いが受け入れられたからだろう。
つまり、ありのままの自分で接するのが一番楽であり、その自分を受け入れてくれる相手が一緒にいて一番楽な相手なのだと思う。

相手を口説くのに最初に手の内を何枚か見せてもいいのではないか。
自分をさらけ出して相手を安心させると言う、これが一番簡単な戦法なのである。
しかしここで恋愛相手と親友とにラインが引かれる。
いい人や安心できる人で終わってしまっては本意ではないだろう。
手の内にはまだ見せてない切り札が要る。

2006.06.26

疑惑との戦い

疑惑とは言うまでも無く疑う気持ちのことである。
相手に疑惑の念を抱いた時点で少なからず自分の気持ちにも疑惑が起こっている。
その気持ちをクリアーにしてすっきりしたいと思うから喧嘩したり悩んだりすることになる。
相手に対して全く疑惑の念も起こらないならそれは幸せかもしれないが、逆に何の疑いを持つことも無いほど陶酔しきっているとも言える。
周りからの声も全て疑惑を支持するものであっても自分は信じる、という思いは素晴らしいと思う。
しかしそれは純粋に自分の思いを信じる純粋さの弱点をも備えている。
見えるはずのものが見えていない場合もあると言う怖さだ。

疑惑は自分の経験から来る。
何も知らない幼い子供は疑う事など知らない事を考えればわかると思う。
経験や体験が知識として疑惑という思いをも生み出すのだ。
誰もが好きな相手を疑いたくはないはず、しかし何かのきっかけで疑惑は時おり脳裏をかすめる。
そしてその気持ちに悩むというジレンマに陥る。

疑惑の解消は本人に思いをぶつける事だ。
大事なのはその時の相手の態度である。
その時に相手の器の大きさがわかる。

2006.06.22

読みと駆け引き

相手の心を読むと言うのは、分析していく過程を楽しめる余裕を持っていないと判断を誤る。
たとえ95%の自信があっても5%は確信されていない、この5%に目を瞑ることはできない。
憎しみや妬み、恨みのような感情は分析の時点で少なからず影響を及ぼす。
逆に尊敬や敬愛の感情さえも影響する。
だから好きな相手となると「気持ちがわからない」と言うのもうなずける。
それこそ色んな感情が邪魔をするからだ。
では恋愛の中にいない第三者の読みとは正しいのか、となるとこれも疑問が残る。
第三者には邪魔をする感情が他にある。
実際に会ったことのある相手ならその相手への個人的な感情、会った事が無いなら話を聞いて受けた感情。
いい場合も悪い場合も含めて感情は邪魔になる。
しかし感情の無い人間はいない。
やはりより正確な心を読めるのは相対する当事者である。

「読み」を楽むと言うのは、95%の判定で相手を見下したり疑ったりすることより、残りの5%を4%、3%にしていこうとあれこれ試行錯誤することなのである。
もちろん良い事に対しても同じである、素直に喜んでなおかつもっと確信を得ようと心を読む。
これなら楽しい努力ではないか。
これが恋の駆け引きなのだ。

2006.06.20

女心と高等応用問題

女の気持ちが理解不能というのは、色んな要素を全部ひっくるめて一つの式にして答えを導こうとするからに違いない。
数学の式を思い浮かべればわかりやすいと思う。
微分積分、確率、さらに応用問題までが一つの問題の中に含まれていれば厄介だろう。
それでもそれだけなら数学に強い人は何とか解けるだろうが、物理や化学の数式まで絡まされてはもう手に負えない。
それに対して、男の気持ちや行動なんて、たかだか算数の掛け算割り算程度である。
男の気持ちが理解できないというのはそんな単純なはずがないとわざわざ難しくとらえるからであって、実は本当に単純なのである。
せいぜい掛け算と割り算が何回も並んでいるくらいで順番にやれば誰でも解ける。

女の気持ちと言うのは殆どの女が自分でも説明できないような思考経路をたどってくる。
だから説明を求めても無駄なのだ。
たとえ聞いたとしてもおそらく理解できない。
難しい公式を何故そうなるか説明されても理解できないのと同じで、理屈抜きに憶えるしかないのだ。
そのうち2問や3問くらいは解けることもあるさ。

2006.06.18

ブーメラン論法

Nagareの法則という勝手な論法の一つにブーメラン論法というのがある。
浮気というものの捉え方についての理論である。
あくまで男側の理論であると言う事を最初に伝えておく。

浮気というのは本来、一人の相手がいて、その人は失いたくないが、あっちこっちに目移りして少しばかり楽しもうかなと言う欲深い願望がもたらすものである。
だから、元々いる一人の相手に対しては何の心変わりも無いはずのものとなる。
もし元の相手に嫌気が差しているから他の相手に気がいくなら、それは浮気ではなく気移りであって、浮ついた気を通り越している。
浮気と言うからには大切な誰かがいるにも拘らず、その人に対して浮つく行為をすることであるから、大切ではないなら浮気にはならない。 それこそ他の人に乗り換えてしまうはず。
言い換えれば浮気というのはあくまで大切な人の元に戻ることが前提であるから、どんなにふらついていても必ず戻ってくるブーメランと同じなのだ。

勘違いしないで欲しいのは、これは浮気を推奨するものではない。
浮気だ、浮気をされたと騒ぐ側は、大切な人の側の立場にいると考えれば余裕も出来ると言う事だ。
そのまま相手のほうに行ってしまったら、それは心変わりであって引き止める力が無かっただけのことで、浮気とは別のものである。
浮気そのものの定義から外れるからである。
たとえブーメランであっても下手に投げれば戻って来ないこともあるのだ。

2006.06.16

男選びの真意

女性の中には『好きなタイプ』という男性像が無いという人がたまにいる。
いや意外と多いかもしれない。
根本的に女性は相手を選ぶ基準に容姿は二の次になっているのだろう。
自分を理解してくれる事が最優先となる。
男性もその点は同じであっても、やはり好みというのは外せない。
何とも思っていない相手に惹かれていく事があるのはたいていは女性に多く見られる。
極端な例では、最も嫌いなタイプだったというのに今は彼氏になってると言う、男にとっては信じがたい現実もある。
男にはまず有り得ないだろう。
それだけ女性のほうが本質的なものを求めているということになるのだろうね。
逆に言えば、男性にとっては中身次第でどんな女性に対しても臆せずに口説けるという意味で朗報ではないか。

但し、女性に共通して『絶対嫌なタイプ』と言うのがあってそれだけにはならないように気を付けよう。
それは不潔っぽい人だそうです。

2006.06.07

不安の根源

不安に駆り立てるもの。
それは全て見えないものである。
浮気の心配やメールでのやり取りの相手しかり、未来にしても見えないから不安がよぎる。
しかし不安だから頑張ろうとする。
見えないから少しでも見えるように努力する。
知りたい事が何もかも見えてしまうと安心できるのだろうか。
逆につまらなくなるはず。
占い師が自分のことを占わないのは知ってしまう怖さだろう。
不安に駆り立てるものはいつしか見えてくる。
いつかは未来が現実になっていくからだ。
しかしその時点で新たな未来が行く先にあるのだ。 生きている限り永久不変なのだ。

恋愛にしても先が見えない不安はみんなそれぞれ持っているのだよ。

2006.06.01

自然体

水には囚われた形が無い。
丸い器に入れば丸く、四角い容器に移されれば四角く形を変える。
遮断されるものに逆らわない、しかし水の本質は何も変わる事は無い。
人の心は自分の形にこだわり、それを守ろうとする。
丸いままで四角い容器に入ろうとする、或いは逆に四角のままで丸の中に収まろうとする。
水のように自在であれば楽だろうに。

相手に合わせるというのではない、優柔不断を進めるわけでもない。
本質を変えることなく自然に接すればいいのだ。
寒くて凍ってしまっても、気温が上がればやがて戻る。
そして水と水なら混ざっても一つの水である。

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