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april 2006 posts

2006.04.30

これがルール

ルールというのは一般多数が納得できる事を前提に決められる。
それはたくさんの人達が共存するからである。

恋愛においてのルールは二人だけのものであっていい。
二人の間の気持ちには誰も介在しないからなのだが、それはいちいち書き留めるわけでもないし、保証や契約でもない。
言葉や行動で暗黙に作られていく場合もあるし、時には会話の中で確認する事もある。
そしてそれはその二人のみのルールである事を忘れてはいけない。
もし相手が変わればルールも変わるのだ。
いつも同じルールが誰にでも通用すると思って強要することは許されない。
あたかも万人に通用するものと思い違いをするから、そこに傲慢が生まれる。

一般のルールと違って、恋のルールは相手が変わるとクリアされるものだという事を憶えておきたい。

2006.04.25

二つの要素

過去がなければ現在はない。
嫌な事であってもそれは経験値になってしまう。
しかしそれをプラスにするかマイナスにするかは本人次第となる。

恋を一生涯に一度しかしないのであれば経験値は必要ないのかもしれないが、その保障はどこにもない。
恋をするのに恋以外の経験値は要らないかといえば、そんなことは無いと思う。
その色んな経験値は価値観を生む。
全く同じ環境で同じ人生を歩む人はいないのだから、価値観も全く同じ人はいないはずである。
経験値にも価値観にもズレがあるのはごく当然で、むしろそれを補ったり認め合ったり、時には否定したりしながら影響しあうのだろう。

恋愛においてはこの二つの要素が絶えず流動的に絡み合って、微妙に距離を作り出しているのではないだろうか。
おそらくこのバランスは崩れやすいのだ。

2006.04.17

初心

相手に尽くすということは、その行為によって相手が満足してくれていればそれで嬉しいものである。
決して見返りは求めてはいないが、ただ気付いて欲しいという気持ちはある。
しかし日常の中でそれが当たり前のようになってくると、相手はそのありがたみを忘れてしまう。
自己満足とは言え、やはり相手が気付いてくれている事により幸せな気持ちを味わえる。
ほんの時たまでもいい、感謝や嬉しさを表現してあげることが大事である。
それが無ければ「わかっていたのに」と言っても手遅れになってしまう。
見返りは求めないが、気付いてくれなくてもいいが、そのことに当たり前のようにあぐらをかかれると歪みが生まれるのだ。
初心。
付き合いだした頃は感謝や嬉しさの嵐だったはずだ。

2006.04.13

恋は手品の観客

よく結婚詐欺などのニュースを見たり聞いたりした時、何であんなことを信じるのとか、どう考えても変じゃない?と
呆れるようなことがあると思う。
ところが当事者には違って見える、それは何故か。

恋をすると相手が何をしようが、それは他人に対してであり、自分だけは違うのだと思い込む。
それはそう信じることで自分を弁護することにもなる。
ひょっとしたらという想いがよぎるが、それはすぐに打ち消される。
なぜなら、自分は愛されていると信じていたいからであり、自分に対する愛情をすべて否定するのが怖いからだろう。
これをうまく利用するのがホストでありホステスなのだ。
職業を離れて特別に接してくれているのだと思わせる。

手品は横から見れば簡単に見破れる。
正面から見ている間はきっといつまでもわからないだろう。

真正面から恋するのも一途でいいが、たまには角度を変えて相手を見てみればいかがか。

2006.04.11

偶像の魔力

男は見た目で恋をする。
いや、正確には男だけじゃないのだが、男の方がその傾向が強い。
女は内面を知った上で好きになっていく。
さてどちらがどうなのだろう。

見た目から入るのは偶像を創り上げる。
こんな美女なんだからきっとこうだとか、カッコいい男だからこうに違いないとか。
どっぷりと思い込んでしまうに至らずとも少なからず期待する、そしてイメージが違ったりすると勝手に落胆する。
内面を先に見てから好きになると創り上げるイメージというのは実際の像とそんなにかけ離れてしまわない。
確実性で言えばこちらのほうに軍配が上がりそうである。

しかし、いずれにせよ内面を見る力が備わっていることが条件だね。

2006.04.10

恋にゴールはあるか

政治家が選挙前にいい事ばっかり並べておいて、いざ当選するとえらそうにふんぞり返って天下を取ったようなつもりでいる。
好きな子を口説いて、付き合いだしたらもうオレのもんだとばかり傲慢になる。
どこか似ているように思わないか。
政治家にしても、男にしても全てがそうだとは言わないが、そうなっていく人は多い。
その位置にあぐらをかいてしまうからだろう。
そこからが新たなスタートだということに気づかない。

恋は実れば終わりではない。
結婚にしてもそうだが、そこでゴールと考えるから前を見なくなる。
道は終わりではなくまだ続いている。
達成という意味で考えてみれば、恋に終わりはあってもゴールというのはないのかも知れない。

2006.04.05

もどかしさ

気持ちを伝える事は比較的簡単だが、その大きさを伝えるのは簡単ではない。
言葉や態度で気持ちは伝わる。
意識的にであろうが無意識であろうが、想いを寄せている相手に接すると、どこかに気持ちの片鱗が顔を覗かせる。
しかし「こんなに想っているのに」とか「どんなに想っているかわからないの」となると曖昧にしかわからない。
「こんなに」とかいう尺度が想像でしか測れない。
そして送り側と受け手側とでも違ってくる、そこは感覚の領域なのだ。

考えてみれば気持ちがピークにある時、それは無限大であり、誰であろうと大きさに変りなどないのだろう。
だからこそ伝え切れないのではないだろうか。
そしてもどかしさが残る。
実は確認し合えないだけで伝わっているのかも知れないね。

2006.04.04

あせりは禁物

恋愛している二人に優劣や上下はないが、気持ちの上での立場の強弱はできてしまう。
基本的には男が引っ張る形のほうがうまくいく。
男の立場が弱くなると恋は壊れやすい。
それは、男に「けなげ」とか「可愛い」とかの形容詞はいらないからだろう。

気持ちには大なり小なり必ずウェーブがある。
相手のその波が下がる方向にある時にどう対処するかが大事だ。
下手な言葉や行動は、気持ちをより下方へ向かわせる。
動かざること山の如し。
じっとしている余裕があれば、その余裕にウェーブは引き上げられる。
しかしこれが最も困難な技だ。

2006.04.03

恋の錯覚

相手のことを好きだと感じたら恋だとしたら、好きという気持ちには種類があって「好意」とは違ったものなのだろうか。
それとも成長魚のように「好意」を経由して「恋」に発展していくのか。
だとしたらその境目はどうなっているのだろう。
一瞬ではなく、時間が作用しているのか。

女性のほうが「好意」から「恋」に昇華させるのが上手なように思える。
しかしそこに落とし穴がありそうだ。
女性によく「好きになろうと努力する」という表現を使う人が多い。
もちろんそこから恋や愛に変わっていく場合もあるかもしれない。
                                                               


否定はしないが、「想い」を努力で変えていくということだけを考えてみた場合、それは「恋」とは別のもののように思えてくるのだが、どうだろう。

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