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januar 2006 posts

2006.01.31

浮気予防線

浮気の定義は千差万別で、これがそうだという基準はない。
たいていの場合、女性は身体の関係に重点を置く。
髪に触れるとか、手をつなぐのも浮気の対象となる。
キスなどもちろんNGでSEXとなると論外であろう。

しかし精神的な浮気だとどうなのか。
気持ちが相手に傾いてしまってる方が危険だと思うのだが。
それこそ気持ちが浮ついてしまっているということは自分が浮気の対象に立場が逆転してしまう可能性もあるわけである。
おそらくは、いや当たり前のことなのだが、みんな自分が主役であり脇役に回ることなど想像もしない。
身体の関係を阻止するために予防線を張る。
例えば、お酒を二人きりで飲むなど、それ以上の事になる可能性が高いからダメという。
その理論の根拠は、自分ならそうであるからという裏付けがあるのではあるまいか。

ある意味、自白である。

2006.01.27

暴走

スピードを出しすぎると制動距離は長くなる。
車は急に止まれない、というやつだ。
ヒートアップすると、ついついアクセルを踏んでしまう。
サーキットのようなレース場ならともかく、恋の運転は障害物だらけだ。
もちろん信号や標識もある。
教習所で習った通りの模範運転は確かにつまらない。
しかし、常に360度の角度で周りを見ているくらいの慎重さは要求されている。
ヒヤッとした時はしばらく慎重になるだろう。
喉元過ぎればでは危険なのだ。

恋愛で暴走すると、助手席から降りられてしまう。
一人で事故ってねってわけだ。

2006.01.24

恋の六法全書

反省できる人は後悔することも少ない。
人は経験や体験を自分の判例として記憶に残す。
そこに知識を加えて判断を下す。
その場限りでなく、本当に反省できたなら一つの判例ができることとなる。
まったく同じ現実が起こるとは限らないが、判断材料がひとつ増えるのは悪いことではないはずだ。
それがないと同じようなことで失敗することになる。
何度も同じようなことで失敗する人は経験を生かしてない事になる。
そういう人は後悔ばかりを繰り返す。

恋愛の判例は簡単にはいかない。
そこには相手が存在し、それぞれ違った感情や感受性が介入するからだ。
判例をかき集めると六法全書よりも分厚くなる。
それでも常に決断は求められる。

恋愛をしている人は、常に裁判官よりシビアな判断力が要求されているのかもしれない。

2006.01.18

マイウェイ

何事も100%の力でやる人は、見ていても一生懸命であり真剣な姿勢が伝わってくる。
が、違う角度で見ればいっぱいいっぱいにも見える。
60~70%の力でやる人は余裕があるように見えるが、見方を変えれば手を抜いているように映る。
10の事でも100%の力でやれば時間が短縮できる。
60%の力でやればその分ゆっくりできる。
それが20になった場合、100%でやる人はやはり100%でやる。
その分時間が少しかかることになるだけである。
60%の人は70%でやろうと思う。
時間ばかりかけてられなくなるからだ。

恋愛にしても同じことが言えるのではないか。
常に100%でやる人は真剣味がある印象を受けるだろう。
しかし目一杯の恋はお互いに疲れやすいかもしれない。
70%でやる人はいいかげんなように見られることもあるがいざとなると残りの30%を使ってしのげるかもしれない。
どんな恋のスタイルを持っているかは人によって違うし、どちらが良いも悪いもない。
ただ、色んなスタイルがあることを知っておくのも悪くはないだろう。

2006.01.16

絶望の淵に立たされた時、どん底にいる時、人は何にすがるのか。
金品や物資に頼るとすれば、確かにどん底という限りはその一部は解決するかもしれない。
それでも不安感はぬぐえない。
人は人に頼る。人の心にすがる。
宗教的な物に走るのもその一例と思う。
金品や身体を犠牲にしても、そこに安堵感があるからだ。
同じように結婚詐欺にしてもそうだ。
どちらの場合も、その状況にいない人には理解できない。
藁をもつかむとはそういうことだ。
どう考えても溺れる状況から脱出できなくともつかんでしまう。
手が何かをつかむことで不安から逃れようとする。
怖いのは、そこに大きな丸太が流れてきても気づかないことだ。

人の心は不安に弱い。
だが、人を不安から救ってやれるのも心なのだ。

2006.01.14

恋のスリルとは?

人はスリルを楽しめる。
たいていの人がスリリングな状況を面白いと感じるはず。
しかしアクション映画のように、犯罪に巻き込まれてそれを切り抜けるなんて芸当はできないし、そう言うのは望まない。
命が危険に晒されるような事はお断りだろう。
ちょとしたスリル、それは刺激が欲しいということだ。
毎日がマンネリではつまらない、毎日がスリルの連続でもこれもまた疲れてしまう。

刺激に慣れてしまわない程度のほど良い刺激。
恋愛に求めているのもこれではないだろうか。

2006.01.13

扱い方

お気に入りの物や大切な物はいつも丁寧に大切に扱う。
少しの汚れや傷でも気になるものである。
手入れをして大事に使っていればいつまでも新品のように綺麗だ。
無頓着、ものぐさな人でもやはり汚れているより綺麗な物の方が好きなはず。

「好きな人」は物ではない。が、同じ事が言える。
神経質に扱う必要は無いだろうが、大切に大事に思う気持ちは必ず伝わる。
そうすれば相手はいつも輝いてくれる。
逆に粗雑に扱えばすぐに傷だらけになってしまう。
心に傷を負うと、磨いてもちょとやそっとでは消えない。

恋愛にはいつも丁寧でありたい。

2006.01.11

恋は見えないトリック

マジックはトリックでありタネがある。
種明かしをすると、なんてことはない。意外と単純なものだ。
人の心理的な隙をついたものも多い。

恋はマジックと表現されるのはそういう部分だろう。
タネは知りたいが、知らない方が色々考えて面白い。
全てを知ってしまうことより多少の謎は残っていたほうがいいのだ。
絶対にタネがあると思いつつも、わからない部分に感心したりする。
わかりそうでわからない、このジレンマが楽しい。

人の心はわからない。
誰しも人の心がすべてわかったら面白いなと思った事があるだろう。
しかし実はわからない方がいいはずなのである。
人の心が全て見えると恋などできなくなるだろう。

2006.01.10

伝え方

表情で気持ちを伝えるのと、感情が表情に出るのとでは同じようでも全く違う。
感情が表情に表れるのは自然に出るわけだが、表情で伝えようとすれば意識が加わる。
楽しいとか嬉しいとかのプラスの表情は自然に出ても、伝えようとする意識が加わっても、良い表情だ。
つまらないとか腹が立つとかのマイナスの表情は、自然に出る分には受ける方も相手の感情の状態を汲み取れるが、さらに伝えようとすれば受ける方はうんざりする。

感情は言葉を添えて伝えた方がいい。
嬉しい時などは自然に言葉も添えているはずである。
マイナスの感情を伝えるのは簡単であり難しくもある。

2006.01.07

相性

ひとつのポイントが複数のマイナスに勝ることもある。
この人のここが好きなんだと言う場合、他で多少の欠点が見えても、それを上回る高感度に思えればいいわけだ。

人は完璧ではない。  そもそも完璧って何だ、と思う。
自分の選定基準に照らし合わせて自分が決めればいいことだ。
好きだと思える点が大きな比重を占めているなら、それは相性なのかもしれない。
他人に合わなくても特定の人に合う性質のものなんだろう。
ただし、逆もありうると言う事を忘れてはいけない。

2006.01.06

願望と欲望

願望には希望的な要素がある。
願わくばこうなって欲しい、こうして欲しいという望みだ。

欲望は何としても手にしたい、叶えたいというほど貪欲だ。
恋の相手に伝えたいのは願望であり、欲望はさらに内に秘める。
貪欲な気持ちをさらけ出せるほどの相手に出会う、またはそうなってくれるのは幸運かもしれない。
欲望が理解されることが大事な要素となっていることにあまり気づかないからである。

願望が理解されてもストレスが溜まるのは、その奥で欲望が伝えられずにいるからかもしれない。
そして欲望の種類もひとつではないのだろう。

2006.01.04

たどりつくまで

相手の気持ちにたどり着くまで100段の階段があるとする。
100段も上るのかと考えたら大変だなと感じる。
しかし一段とばしで上れば50段で済む。
その分少し力を消費するが。
上る方法もひとつだけではないということだ。

やっと上りきっても必ずしもハッピーエンドとはならないかも知れない。
それでも挑戦するのが恋なのだろう。
結果ばかりを重要視しがちなのが若さなのだと思う。
恋の経験を積み重ねると、上る過程を楽しめるようになる。
結果も大事だが、その結果を導くための経過を客観的に見ていける。
だから途中で軌道修正もできるわけである。
たとえ100段であろうと、上りきった結果が見えなくても恋を楽しむ自分の姿も見ながら進むこともできる。

恋の楽しみ方はたくさんあるのである。

2006.01.03

自分らしさの基盤

人は連想や想像ができるが、それは経験や知識で知っている事や既存の事実が基礎になる。
だから全く知らない事に遭遇するとパニックに陥る。
その時に人の言う事をすんなり受け入れやすくなる。 宗教や思想の世界に走るのがいい例である。
それが悪い事とは言わないが、今までの自分の経験や生きてきた過程までを否定する必要は無い。
全てにおいて「決定」は人任せにするのは危険だと思う。
パニックになった時に人に頼っても、自分の経験や知識をしっかり整理して、基盤は動かさない事だ。
それが自分らしさであって、後悔しない選択ができる唯一の方法だと思う。

恋愛においても同じで、それが経験値となっていく。
どんな悲しい事も苦しい事でも、経験値というのはプラスされるのだ。
それを生かさないと意味がない。

2006.01.02

「当たり前」の根拠

「常識」とか「当たり前」とか言う言葉はあいまいである。
それ故に都合のいい場面で「逃げ」に使われてしまうことが多い。
なぜ当たり前なのかをわかっていて尚且つ説明できる人だけが使うべきである。
説明に窮して「当たり前だ」「常識だ」と片付けてしまうのは根拠に自信がないからである。

恋愛の場面でもそれはたくさん見られる。
自分の決め付けた常識とはどんな根拠でそう言っているのかを説明できる場合にのみ使っていいのではないかと思う。
根拠があれば「話」になるからであり、相手の考えを聞く余裕もできる。
一方的になると押し付けになり、コミュニケーションの余地が無くなってしまう。
彼女彼氏の間柄では我慢できるということも、相手に合わせるという範囲で可能であり、それ以上に楽しい事があるからである。
我慢の連続では不満が蓄積するだけで、蓄積したものを吐き出すところがなくなってしまう。

今一度、自分の思っている「常識」や「当たり前」の根拠を説明できるかを考えてみよう。

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