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september 2005 posts

2005.09.28

見返り

潜在的な意識の中で、人は相手に見返りを要求する。

恋愛に於いてもそれは有りうる。
見返りという言葉に当てはめたくない場合は、「期待」とかに置き換えているかも知れない。
些細な事で女性側から例を挙げれば、いつも私が予定を決める、準備をする、待ち合わせで待たされる等々。
小さな事でも、裏を返せば不満分子として蓄積する。
見返りに同じ事を欲すると、たまには貴方がしてよとなるのだが、相手からすると、いつもオレが送って行くじゃないか、仕事の不平不満を聞いてやってるぞと違う面で主張できることもある。
見返りというならそれでバランスは取れている。
何も同じ事で返さなくてもいいわけだ。

自分ばかりが相手に尽くしていると思うのは驕りだろう。
もしそうなら恋愛は成立しない。
受けている事の大小をつけられないのだから、見返りを期待しても、与えた事と比べようがないのである。
見返りを期待する気持ちが表面化しだすと危険信号だ。

2005.09.26

好きな相手を前にすると自然に振舞えないと言うのは緊張だけとは限らない。
もちろん最初のうちは気が張っているかもしれないが、それは遠慮とも違う。
自分の「素」が相手にとってどう思われるかを警戒しているだけの事だろう。
要するに、受け入れてもらえるかどうかの不安があるのだが、しかしそれならいつまで様子をうかがうというのだろうか。

最初から性格はストレートに出している方がいいと思う。
どのみちいつか「素」で付き合わなければ疲れてくるのだ。
それなら打ち解けてきてから崩す方がある意味怖いような気もする。
なぜなら、いつも相手が「ホントはこんなキャラだったんだ」とギャップをいいほうに受け止めてくれるとは限らない。
低い方から高い方へのギャップは効果があっても、逆に見えた場合はマイナスになりかねない。

好印象を演出するところまではもちろんいいのだが、良い印象を与えようと、自分でないキャラを作ってしまっては後が大変だ。
「素」で受け入れてくれる相手を探しましょう。

2005.09.24

試したい本音

相手の気持ちを試す、と言うのは良い言葉ではない。
TVの番組でやっているようなブラックメールとかになるといささか罪である、十中八九の男はひっかっかるだろう。

そういう事ではなく、相手の気持ちを再認識しておきたい時など無意識のうちに、気持ちを試すというような事は知らず知らずにやってしまっている。
どちらかと言うと自己満足を得たい、安心したいという気持ちからいたずら心でしてしまうので罪というほどではない。
例えば、他の男の話をして彼氏に少し妬かせてみようかな、妬いてくれるかな、程度の事だ。
何でそう言うことをするんだと怒るほどの事もない。
相手を怒らせるようでは意味がない、墓穴を掘るようなものだ。

逆に茶目っ気のある試し方をされてそれに気づいても、怒るどころか可愛く見えてしまうぐらいの余裕があって欲しい。
試す側の真意を読むのも優しさか。

2005.09.22

慣れと変化

毎日歩く道、通る道の漠然とした景色は憶えている。
微妙に変化した所があれば、何かしら違うなあと思うが、何だっただろうと思いつかない事もある。
そんなはずもないのに一瞬にして違う建物が建っていたら、前は何がそこにあったのかわからない事もある。
毎日の「慣れ」と言う事にマヒしているからだ。
あって当たり前の物、一つ一つを注意して観察する習慣がなければ変化に気づかないものだ。

恋愛における人の心もそういうことだ。
突然景色が変わるまで気づかないのかもしれない。
本当のところは少しづつ違ってきていたはずなのだ。

「慣れ」とは楽な反面、そういう怖い面を持っている。
「慣れ」に流されてはけない。

2005.09.20

プライドの判定

人はよく自分のプライドが許さない、と表現する事がある。
プライドとは何か。普通に訳せば誇りだが。
女から別れを言われるのは男のプライドが許さないとか、そんな訳のわからない事に使う勘違いな人もいる。
そんなこと言ってる方がよほどプライドが低いと思うのだが。
往々にして自分が否定された時に、ただ認めたくないからと言う理由で使っているに過ぎないのではないか。

プライドと言う言葉を適切にどのように使うのが正しいか、それは使ってる人の自由だろうが、ただプライドというのは自分を守る為にあるのではなく、自分を高めるためにあるのだと思う。
つまりわざわざ口にしなくてもいいのだ。

判断するのは実は他の人の目かもしれない。

2005.09.15

癒しの代用

一緒にいて癒される。
この感情は書き表しにくいが、好きとか嫌いとかを認識しないでも感じられるものなのだと思う。
自分の心の状態がどんな時であろうと、そう感じられることができるのが本物だ。
存在が心を癒す。
遠く離れていても思う心が通じる、という遠恋などが成立するのもその証明かもしれない。

不安定な状態の時にホッとしてしまうのはその場だけの感情であり勘違いを誘う。
迷いに入った時は寄りかかるものが欲しいだけで、癒しは満たされていない。
それは「頼る」という動きであって、癒しの代用にしてしまったのに気づかないだけである。
そのことに気づいた時にはまた新たに傷を作る。

雨漏りをバケツで受けた、床を濡らすのは防げた。
しかしそのままではいつか不安が襲う。
雨漏りする箇所を直すしか道はない。

2005.09.12

信頼と躊躇

恋愛には関係のない話をしていても、ふとこれは恋愛にも通ずる所があるなと思う時がある。
この話もそうだった。

二人の人がペアになって立ち、一人が後ろ向きになりもう一人の方へ後ろ向きのまま倒れてくださいと指示する。
もう一人はそれをがっちりと受け止めてやらなければならない。
そうすると大抵は、倒れる方が少しの不安と、申し訳ないという遠慮などがって、ぎこちなく倒れてしまう。
そうされると受ける方も逆に受け止めにくい。
一切を任せてどーんと倒れてきてくれた方が受ける方は楽なのだ。

この話を聞いて、恋愛に関連させるのは難しくない。
相手を信頼したなら何も考えずに身を任せればいい、相手は受け止め易いと言う事だ。
それができない相手ということはすなわち「信頼して寄りかかったはいいが、受け損なったら傷つくじゃない」と言う気持ちが働くからであり、そこまでの信頼をおくのが怖いと言う事になる。
しかし、受ける方からすれば「変なもたれ方をしないで素直に倒れて来いよ、まかせろ!」と言いたいのではないだろうか。
何を迷い、躊躇してるんだという苛立ちも起こってくるかも知れない。

もちろん「いや、よけられそうだし」と言う程度の関係なら止めておいたほうが怪我しなくていいが。

2005.09.09

逃げる心

自分の気持ちがよくわからないという事をよく聞く。
何をしたいのかわからないと言うなら理解できるが、なぜ人を好きかどうかがわからないのだろう。
色んな条件や環境を考えた上で、この人は自分には合わない或いはふさわしくないと言うのはわかる。
しかし、それはあくまで頭で考えた結論であって感情ではない。
たいていの場合はそれをごちゃ混ぜにして迷いに入り込む。
本当に気持ちだけを考えてみてそれでもわからないと言うならば、それは好きではないのだ。

人を好きになる事は容易い。
ずっと好きでいることも簡単な事だ。 ただ辛いだけである。
それが嫌だから逃れようとするのだ。

2005.09.08

演技も必要

嫉妬について、ブログの女性読者からメールをもらいました。
彼女の付き合ってる彼は全く嫉妬しないそうです。
でもそれは余裕なのか、それほど自分に気が無いのかがわからない。
確かめる方法はあるでしょうか、と言う内容です。

男は自分の彼女がいい女だと思うからこそ他の男に見て欲しい反面異性として意識されてしまうことに嫉妬する。
男友達や職場の男性などと行動を共にする事もあるだろうが、そういう事にまで嫉妬するのは「嫉妬深い」のであって程度の問題となる。
携帯の着歴やメールを見るなどはもう論外だ。

余裕があり相手を信頼してはいても嫉妬はある。
余裕とか信頼は培ったものであって感情ではないからだ。
全くないと言うならそれは恋愛対象外の場合、或いはいつ失ってもいいと言う程度にしか思ってない場合だろう。

で、確かめる方法となると、、、ちょっと冒険だが。
左手の薬指に指輪をしてみればどうなるか。
男は意外と女がこの部位につける指輪には敏感だ。
気づいて、どうしたのとなればここからが演技力を問われる。
職場の男性でも飲み会の時の男でもなんでもいい、くれると言うからもらったのだと答える。
この時、まるでボールペンでももらったくらいにしか思ってないという答え方がポイントである。
意味がわかっていてもらったとなれば、嫉妬を通り越して、したたかな女のようなレッテルを貼られかねない。
逃げ道のなくなるようなことは避けたい。
きっと左手の薬指の指輪の意味を説明してくれるだろう。
そこで驚いてはずして見せればいい。
普通はその流れからして指輪をくれた相手の話になるだろう。
その話の中に嫉妬のかけらくらい見て取れるはず。

しかし台本がいるね。
逆に、もらったと言った時点で何も言わなかったら、おそらく愛されてないね。

2005.09.06

嫉妬の対象

男と女では嫉妬の種類が違うようである。
ただ単にやきもちと言う点では同じかもしれない。
しかし女の場合は、自分の好きな男が他の女と仲良くしている時のみならず、男の友達に対しても嫉妬する事がある。

あまりに毎日のように同じ男友達と一緒に遊んでいると、嫉妬の対象はその相手となる。
男の嫉妬ではあまり考えられないことだ。
独占欲の度合いだけでは説明がつかないように思う。
ならば何がそうさせるのか。

おそらく男の嫉妬は、単純に自分の好きな女が他の男と一緒にいるという事のみに向けられ、女の嫉妬は相手が男であろうが女であろうが関係なく、その楽しいであろう時間を過ごしたのが自分でない事実に向けられるのではないか。
逆に言えば、一緒にいる時間と言うのを最も貴重な事として捉えているのが女だと言う事である。
だから母親や兄弟にも嫉妬できる。

反して男はその内容にこだわるものである。
恋愛対象になり得ないものには嫉妬しない。
やはり男は単純でわかりやすい。

2005.09.03

最大のアピール

自分をアピールすることの難しさ。

相手に知ってもらいたい事はたくさんある。
しかし自分の事ばかりしゃべっていては聞く側の相手も疲れる。
黙っていては何もわかってもらえない。
ではどうすべきがベストなのか。

話に出てくる話題に全て自分を絡ませようとすると、相手は最初の興味も薄れてきて、やがてうんざりする。
第三者的な視点で話している方が、聞いてる分には安堵感がある。
アピールは要所だけでいいはずである。
全てに自分が一番である必要などない、あるはずもないからだ。

相手の話を聞いてやる事は相手に安心感を与え、信頼感を生む。
聞く事は簡単なようで意外と難しい。
それができれば聞く事の中で自分をアピールできる。
相手への相槌や返答の中にこそ受け入れられる要素がある。
そこでの対応が最大のアピールになるはずだ。

2005.09.02

恋の注意警報

女心と秋の空。
それほど突然に、前ぶれもなく雲行が悪くなったりカラッと晴れたり。
気まぐれって事でしょうか。

若いうちは気まぐれに見えるだけで、本質的にそういう感情で動くプログラムになってるのかも知れない。
だから年齢は関係ないのだ。
男はそれに戸惑う。
気まぐれで済ましているのは男のギブアップ宣言でしょう。

秋の空は、時として雷を伴う集中豪雨にもなる。
いつでも傘の用意が必要である。
この天気にそんなもの要らないだろ、と思っているとえらい事になる。

女にはいつも注意警報がでている。

2005.09.01

意地

男の意地、女の意地。
意地に男女の違いなどあるのだろうか。

恋愛の中で張り合う意地には相手への甘えや信頼もあってこそできるものがある。
女の場合、素直な気持ちで寄りかかることに満足感と裏腹に不安が生ずる。
男は素直に喜ぶことを照れる。
どちらにしても、「素直」が普通にできない、そういうことか。

表現力の問題ではなく、知識や定義やあやふやな常識などの観念がただ邪魔をしているだけだ。
たとえ二人の時間だけでも子供のように素直な気持ちをそのままぶつけ合う事はできないだろうか。
それは我儘とはまた違った、心の解放になりうるかもしれない。

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