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august 2005 posts

2005.08.30

影響

女は男によって変わると言われるが、確かに女の大半は服装や髪型などを男の好みに合わそうとするところがある。
趣味にしても今まで興味がなかった事でもやってみる子もいる。
女だけなのか、と言うと実はそうでもない。 ただ服装や髪型のように外見に関する事は少ないように思う。
ではどんなところに影響を受けるのか。

愛し方である。
いや、SEXの話ではない。 そんなに重たい話でもない。
自分の好きな女がどうしたら嬉しく思うのかを考える基本的なことである。

例えば何かのプレゼントをする場合に、事前に言って何がいいのかを聞く場合、一緒に買いに行くのがいい場合、黙っていて突然渡すというパターンなど色々ある。
或いは飲みに行ったり食べに行ったりする場所や、道を歩く時の歩き方。
これらは変えてると言った方がいいかもしれないが、そのうちそれが心地よくなると変わったと言えるのではないか。

愛し方と言うにはあまりに些細で馬鹿馬鹿しく思えるかもしれないが、男の不器用な表現力からすればこれが精一杯なのだ。

もちろん本質的な愛し方は変わらないかもしれない。

しかし女によって気持ちが優しくなれたり、おおらかになれたりするプラス作用があることに、男は気付いてやるべきだろう。

2005.08.28

嘘の真実

嘘は吐き通すと真実になる。
実際には真実には成り得ないが、そう信じさせることはできる。
嘘を推奨しているのではない。
吐く限りは墓場まで持っていけと言っているのである。
あれもこれも、何でもかんでも嘘を吐いてしまうと、どこかでボロがでる。
ひとつばれると疑わしいものも全て嘘にされてしまう。

だから吐かないに越した事はないが、どうしてもこれだけはと言う事にだけ全力で吐き通すべきである。
但しそうする限りは、ばれた時には覚悟がいる。
謝ったらいいやと言う中途半端な気持ちでは嘘を吐くべきではない。
嘘を吐き通してまで守るべき事があるなら、それがばれた時には潔さも大事だろう。
そこからの言い訳は何も通じない。

嘘を吐く事の裏側に真実が見えるからだ。

2005.08.26

赤い糸

今も昔も、愛の絆は赤い糸で結ばれていると表現される。

この赤い糸を人は探し出そうとする。
しかし実際には見えない。
だから手繰り寄せた糸が赤なのかどうかはわからない。
真っ白であったっりピンクであったり、真っ黒かもしれない。

しかし、ひょっとして最初から赤ではないのではないかと思う。
恋愛は二人で育て、二人しか知らない世界を築き、心を癒しあう。
その結果、色は染まっていき、愛が通じ合った時に赤になるのではないか。

もちろんそうなるのは1本の糸だけだ。
だから見えもしない赤い糸を捜し求めるのは、ある意味怠慢だとも言えるのじゃないか。
二人で赤に染めていく、その努力が実った時に初めて見えるような気がする。

赤い糸を捜すことより、つながった糸が赤く染まるかどうかの判断をしていく方が賢明で楽しいではないか。

それでも貴方は赤い糸を捜しますか?

2005.08.25

喧嘩の是非

彼氏(彼女)と喧嘩中だと言う話をよく聞く。
たいていの場合は些細な事が原因だとも言う。
喧嘩中だと言う限りは、元に戻る気でいるからそう言うのだ。
重要な事態では人に喧嘩中とは言わないだろう。

喧嘩になるからにはどんなことであっても自分の主張がある。
それが相手の考えと違う場合などがあってもそれは当然だ。
後は感情の問題となる。

同じ事を言っても聞いてもその時の心の状態によって反応が違うこともあるのは仕方ない事かもしれない。
主張の食い違いを論争するのと喧嘩とは大違いである。
そこに「理解」が介在するかどうかなのである。
ただ理解しても納得しない場合もありうる、だからといってそのつど喧嘩になっていてはたまらない。
しかし、時折こう言う根の深くない喧嘩はあってもいいのではないかと、最近思う。

どんな恋愛にしても色んな微細な不満や文句は常に溜まってくる。
それが蓄積し切ってしまわないうちに些細な喧嘩で放出する。
感情は内に溜めない方がいいから、ある意味正解なのかもしれない。
逆に喧嘩にならない、喧嘩できない場合の方がストレスを常に蓄積されるだけに、一気に別れに向かう危険性をはらんでいるかも知れない。

喧嘩もその種類によっては有効なスパイスか。

2005.08.23

残る感覚

言葉を放つ時、ひとつひとつの意味を追いながら組み上げていくと理論になる。
これに対して咄嗟に口から出た言葉は感情だ。
この感情が両刃の危険性を持っている。
受けた方の感情や心の状態によって、それは納得できる言葉になったり、180度反転して相手を傷つけてしまったりする。
理論は訂正できる、受け手側も理論的に考える余裕があるからだ。
だが感情の言葉が突き刺さると、それが正しい伝わり方をしていようがいよまいが、心に傷がつく。
やがて傷跡が薄れても、その痛みの感覚をずっと忘れる事はない。
それが繰り返されると新たな言葉にも過剰に反応し、傷つく前に防御しようとする作用が働いて、受け付けようとしなくなる。
それは相手の言葉を全て否定すると言う事だ。

会話は重要だが、時には毒となる要素も含まれている。
何が毒になるかはわからない、それは相手との関係やそのバランスによって違うから厄介である。
何かと反応して初めて毒になり得ることもあるからだ。

言葉は癒しの材料でもあり、凶器でもあるのだ。

2005.08.20

捉えかた

25歳のMちゃん、女として成熟する年代に入る前の微妙な年頃だ。
彼女も複雑なしがらみのもつれる恋愛をしてきたが、諦めずに前に向かっていった。
そのMちゃんがこんな事を考えた事があると言ってメールをくれた。
好きな人と一緒に過ごした楽しい時間や幸せな時間をもっと感じるべきじゃないかって思うよ。
もちろんそれがあるから傷ついたりするんだけど、傷ついてばかりじゃ、その幸せな日々を否定する事にもなるような気がするなあ。

困難な障害から逃げずに乗り越えていった彼女だからこそ25歳にしてそう思えるのかと感心した。
恋愛は年齢のみではなく、やはり経験値なのだと改めて思う。
人は傷ついたり悲しんだりする事の感情の方が心に強く残るからどうしても悪い事ばかりを拾いだして関連付けていってしまう。
全く別な要因から発生した出来事であってもだ。
逆にいいことの連鎖はあまりない。 単発の喜びに終わるからだろうか。

これは男女の違いと言うより、むしろ本来の性格そのものが大きく影響しているかもしれない。
しかし物事を前向きに考えるようになれば、Mちゃんのように二人の楽しかった時間の共有を大事に思えるようになるはずである。

2005.08.19

断ち方、絶ち方。
意味が少し違ってくるが、絆を断つと言う意味では断ち方となる。

要するに別れ方と言うことだが、恋愛においてその二人の状況がどんなものであって、どのような経過を辿ってきたのかは、いくら話を聞いていようと他人にはわかる由もない。
ただきれいごとを言うなら、お互いの納得があればベストだろう。 が、どんな場合でもどこかに傷を負う。
最低なのは、別れた相手を罵倒することだ。
一方的な感情論と否定材料で愚痴の範疇を超える批判をしたところで、真実は見えない。
少なくとも恋愛をしてきた相手をこき下ろす事は同時に自分の値打ちを下げるだけなのだ。
そしてそれに同調して同じように罵倒している周りの第三者をよく見かけるが、まさに無責任で幼稚に思える。

どんな社会においても一方の情報のみで判断を下すほど危険で愚かな事はない。
恋愛は感情の世界だ。
その時その場の細かく複雑な心の動きを言葉では伝えられない。
ゆえに省略された情報に無責任に同調する事によって、当人を慰めているだけである。
傷を負っても無意味に傷を増やす必要はない。

2005.08.18

つながり

恋を拾っていく方法。

これがその方法だ、と言うのがあればみんなやってるでしょうね。
前向きになれ、と言われて探そうとしすぎると余裕がないからダメなんだと言われ、控えると積極性に欠けると言われる。
恋を探そうとするから自然体で居られなくなるのかも。

しかし外に向かう事は大事だ。
自分の人とのつながりを広げるだけでもずいぶんと違ってくる、それだけ恋に直結する何かがあるかもしれない。
直接恋の相手が現れなくても、誰かが鍵を握っている可能性はある。
たいていがそういうものだ。

一つのつながりを作ればそれが10にも20にもなり得る。
逆に一つのつながりを絶てば10も20も可能性を失う事になる。
網はどこかでつながってるかも知れない。

その時に嫌な絶ち方をしてる縁が絡めば全てが無駄になる。
恋を探すには広がりが大事だが、その前に絶ち方も重要だ。

2005.08.16

飾りつけの言葉

ドラマにはふさわしいかもしれない「愛しているから別れる」というセリフ。
相当な状況でしか使えないと思う。

男がよく使いがちなセリフ。
「君にはもっとふさわしい相手が居る」 「君の幸せを考えたら」
これは言われた方も納得できない気がする。
ふさわしくないってどういう意味?
幸せを考えてくれるなら、貴方がもっと愛してよ。
幸せにするのが愛でしょう!
当然、だんだん語尾が強くなる。
もちろん本心の場合もあるだろう、が稀である。

相手を傷つけまいとする気遣いの言葉と思って使っても、おそらく逆効果かも知れない。
言われた方にしてみれば、うやむやにされた感が残る。
きれいごとは中途半端な感情を植えつけていく。

どんな理由であろうと、傷つこうと男も女も知りたいのは本心だ。

2005.08.15

贅沢な不満

誰にでも優しい、って良いことではないのだろうか?
女が男についてよく言うことなので聞いたことがあるだろう。
よく気を遣ってくれる、優しい言葉をくれる、だけど・・・  と言うから何か不満かと聞けば、冒頭の「誰にでも」という言葉が出てくる。

要するに、私にだけじゃないみたい、と言う事なのだが特定の人にだけじゃないからこそ本性なのではないか。
彼女にだけ優しくて、他の人には鬼のようだと二重人格ではないか。
しかし、そうではない、と言う意味もわかる。
多分、優しさはそのままで、恋愛感情を湧かすような行為は私以外にはしないで、と言ったところだろう。
まあいわゆる嫉妬なのだが、そこのところを男に求めるのはなかなか難しい。
八方美人的に意図的にやっていることなら止めるのは簡単。
だが、無意識にやってることなら、嫌だと言われても疑問にしか感じない。
同じ様な言葉や行為で同じ様に接しているようでも、特定の相手には自分なりに変えているのだ。
男はその点、不器用である。

だから、女が見極めるべき点は一つである。
誰にでも同じ様に接している男の行為や言葉が、本性から無意識に行われているものなのか、それとも意識的にされているのかである。

但し、見極めたとしても女の嫉妬は消し去る事はできない。
それでも不満は消えるだろう。

2005.08.12

発火と消火

火をおこす時、新聞紙などの紙を燃やしても、一気に燃え上がるがすぐに消えてしまう。
それを細い木に移していき、徐々に太い木に点火してしまえば永くゆっくりと燃え続ける。
いわゆる炭火になると、少々踏みつけようが砂をかけようが表面上は炎が見えなくても火種は消えない。

恋の炎もこれと同じことが言える。
芯までじっくり燃えている気持ちは、派手でなくても内側で深々と燃えている。

逆に火を消す時はどうか。
芯までしっかり燃えている火はすぐには消えない。
炎は見えなくても少し風があればすぐに燃え上がる。
炭が完全に燃え尽きるまで、長い時間を使って鎮火していく。
一気に消すにはバケツの水でもぶっ掛けるしかない。
そうするとしばらく熱は持ったままだが、火はつかない。

男はこうやって火を消す事は苦手である。
しかし、女は勇気を持ってそれをやる。
バケツを持つ手が一瞬止まることがあっても、断を下す時、目を瞑ってでも水は放たれる。

2005.08.11

選択基準の違い

男が女を選ぶ基準、女が男を選ぶ基準は何か。

年齢的な差異はあるが、男は本質的にビジュアルを重視しがちである。
好みは違えど第一印象という点で女は優しそうだとか、神経質そうとかを見る。
男はまず綺麗、可愛いの世界だ。
それから、だけど性格はきつそうだなとかいう風に内面を吟味する。
女は実際に話してみての印象をより重要視する。そちらのポイントの方が評価価値が高くなる。
男も同じなのだが、第一印象のポイントを高く取ってしまうために、よほど嫌な性格でもない限り、好みのビジュアル順に選んでしまう。

だからというわけでもないが、男はだまされやすいのだ、単純な理論だ。
逆に言いえば、女は内面の評価が高い分だけ、優しさとかをうわべだけでなく本質的に見抜く力がないとだまされる。
だまされると言うよりむしろ期待を裏切られるんのだ。

最近の若者たちの恋愛のきっかけに元々は友達だったと言うのが多いのは、内面的な性格を既に知っているから楽なのだと思う。
しかしそれでは永久に男、或いは女を見極める力はつかないだろう。

身内ばかりでなく、外に向かって恋をしよう。

2005.08.10

優しさの前提

女性はよく優しい男性がいいと言う。

優しさにも色々あると思うが、それは受け取り側の感じ方であり、与える側が同じ事をしても、相手が変われば評価も変わってくる。
そもそも優しさを言葉で表現する事自体が難しい。

何でも言う事を聞いてくれるのが優しさではない。
女性もそれは心得ていて、叱ってくれる優しさも求める。
しかし叱り方にも、相手を納得させるという前提がある。
自分の気分をすっきりさせるためだけの「叱り」では、相手は何も感じ取れない。むしろ反感を買うだけだ。

叱る側には感情だけではなく、相手を納得させるだけの懐の深さが要求される。
「優しい男がいい」と言う単純に聞こえる言葉の中には、手繰っていけばそこまで要求されている。

優しさなら任せとけと簡単に思いがちだが、女性からすれば「優しさ」のバーゲンセールはいらないってところだろう。

2005.08.09

ネクストラヴ

誰かと恋愛をして別れたとしたら、次に付き合うのは一つでもレベルの高い相手になるのはプライドか。

そうでもないように思う。
他人に判断させるわけではないから、そんな事にプライドなど持ち出せない。
となると、何かにつけて比較してしまうからなのか。
それも合点がいかない、全てに劣っているとか勝っているとかはごくまれだろうし、それが明らかになるのは付き合ってからの話だろうから。
おうおうにし、てそれは男に多い発想のようだ。

過去の男などきれいサッパリ忘却のかなたへと追いやる女もいれば、少数ながらも想い出を抱えたまま次の男と恋愛できる女もいる。
たとえレベル的に下でも、こんなに私のことを好きでいてくれると言う一点で気持ちを受け止めてくれる事もある。
男にはそれは無いに等しい。

結局、男はひきずるのか。
いい意味ではロマンチストかも。

2005.08.08

ジャッジ

人の意見に流されやすい人がいる。

誰の意見を聞いてもそのたびにころころ考えが変わるのは重症だが、そうでない場合でも、気が合う仲間や仲の良い友人が言った意見にはついついうなづいてしまうというのも優柔不断である。
直前までこう思っていたのに、反対のことを言われて同意してしまった、など典型的な意志の弱さである。

恋愛に限らずだが、そういうあいまいな同意は後で後悔してしまうことになる。
ホントはこう思ってたのに、と言ったところで後の祭りなのだ。

恋愛の相談などはよく聞くのだが、どんなに詳しく相手のことを聞き、状況を説明してもらっても、実際に恋愛していた立場にある本人の微妙な感情を全くわかる事は不可能なのである。
だから、相談を受ける側もいい加減な感情論を軽々しく言うべきではない。
一緒になって批判してるだけなら子供のけんかのようなものだ。
どこがどう狂っているのか冷静な判断をしてあげることが、その当人の感情的な行動や言動を正してやれる。

恋愛のジャッジは本人のみ下せるのだ。

2005.08.06

「つなぎ」

なかなか彼氏を見つけられないでいる女性が、二年ほど前に付き合ってと誘われていた人に再会し、当時は断ったのだが、また誘われたから本命を見つけるまでのつなぎにいいかなと思っていると言う。

寂しい気持ちはわかる、紛らわせるための相手もアリかもしれない。
しかし、「つなぎ」に何を求めているのだろう。
何もないよりましだと言う考えなら同意できない。
自分で「つなぎ」と言い切る相手と一緒にいても本命を見つけるまでに自分がレベルアップできるとは思えないからだ。
「彼氏です」と堂々と言えない相手に癒される事などないと思う。
それは酒で紛らすのと同じで、結局時間を引き延ばすだけである。
どうせつなぎなんだからと言う気持ちがどこかにあれば、もっと好かれるためにさらにイイ女になりたいと思う気持ちにも欠けるだろう。
失っても何ともないのだから。

実際、相手には期待もしないし裏切られても傷つかないはずと言っている。
それは恋愛とは言わない。

そこからこの人のことを好きになる可能性もあるの、と言うなら認めよう。
しかし「つなぎ」と最初からはっきり明言して、何の期待も将来もないと決めて、尚且つ本命を探すと言うのなら、相手の期待を誘発してしまう可能性がある分だけ罪ではないか?
もし相手もそれを承知だと言うのなら、単なるボーイフレンドでいい。
付き合う必要性はどこにもないと思う。

繰り返すが、ポイントはその相手に何を求めているのかだ。

2005.08.05

心の目

人の心が読めたらと、ふと考えた事が誰にでもあるだろうが、さてそれは実際どうなのだろうか。
何かの映画でもあったが、最初は面白いかもしれないが、おそらくそれはつまらなくなってくるだろう。
あってるのか間違ってるのかわからないが、自分の力でそれを読むと言うプロセスが楽しいのだ。
推理小説と同じで、最初から何もかもわかってしまえばこんなつまらないことはない。

恋愛においてのプロセスもそういう楽しみを備えている。
手っ取り早く、というのは都合が良すぎる。
相手の気持ちを読みつつ、こちらの気持ちを読ませる。
それをしない恋愛などありえないのではないか。

2005.08.04

気づかない思惑

自己中心的と言うのは、字のごとく自分を中心に考える事だ。
たいていの人はそうである。
何かを考えてみる時、まず自分を基準にしている。
それから客観的な視点に移って見ることができる人とできない人に分かれる。
普段は冷静にそれができても。感情的になっている時にはできない場合もある。
我侭はそれを押し通そうとする事である。
思考の段階で自己中であっても、相手に強要しなければ我儘にはならない。

愛しい人に会いたい、と言う気持ちは思考ではなく、自然に浮かび上がる気持ちだ。
会いたいから会って欲しいと伝えるのは自己中心的であっても我儘ではない、気持ちに素直に動いただけである。
もし会えなくても、会いたいと伝える事で何パーセントかの気持ちは軽くなっているはずである。
その気持ちを伝えたいと言う思惑もあるからだ。
我儘ではそうはならない。会わない限り気が済まないからである。
そうなると相手も負担を感じる。
会いたいという気持ちを伝える事は、あれこれ考えてストレスを溜めるよりずっと楽になれる。
そこまでは自己中でいいのだ。

2005.08.03

口説きの関門

女を口説くと言うことは、二人で話す機会を作らなければならない。
まずは二人で会う事から始まる。
定番のお茶であれ、食事であれ、ゆっくり話してみたいんだと言う姿勢だけでじゅうぶんである。
最初から重々しく誘うと相手は身構えてしまう。 
かと言ってあまりに軽すぎると、相手もプライドという盾で跳ね返す。
ここは、誘われたから行くわ、という口実を作ってやるだけでいい。
この時点でどうやっても、何度誘ってもブロックされるようなら見込みは無い。
女に限らず、興味の全く沸かない相手と時間を共にすることなど無駄でしかないからだ。
営業でお付き合いするのは別だが。

それが突破できたら、次はアルコールが絡む。
お酒が入ると強い人であっても多少の隙はできる、体内のアドレナリンが活発になるのだろう。
女はその事を知っている。
だから二人きりでお酒となると、お茶や食事のようには軽くはいかない。
ここでまた関門があるのだ。

二人きりでお酒を飲むことは、万が一にそこから先の誘いがあった場合、たとえぎりぎりまで断っても誘われ方によってはOKを出してもいいと言う相手として見ているということが多い。
ただし、必ずではないので注意してもらいたい。
しかし、酒が入るとたとえ少しであれど隙ができる事を自覚している女はその覚悟はある。
酒が入っても全く普段と変わらないと言う相手なら、その定義は通用しないかもしれない。

いずれにせよ、この関門で撥ねられたら、自分は食事までの存在と言う事だ。

2005.08.02

先読み

相手が思ってる事を汲み取って少し先回りできると言うのは感心を通り越して感動する。
そろそろコーヒーが飲みたいと感じたら、すっとコーヒーが出てくるのは、自分が飲みたいと思った時に相手も同じことを思ったという以心伝心とはまた違う。
何かのパターンからか仕草からか、表情から読み取ったのか、それともテレパシーのような類なのかはわからない。
いかにもスマートだ。

しかし、先読みするのを勘違いする人も居る。
会話の途中でその時の心理をつくのはあっていても間違っていてもそれは悪い事ではない。
心理戦は楽しい。
ただ、こう思ったでしょうとか言う場合に、タイミングと話の流れというものを考えないとただの横槍になってしまう。
思いついたから口に出すというだけでは、何をわかったような事ばかり言ってるんだ、と辟易してしまう。
その読みが外れてたら尚更だ。

先読みは自慢げに口にするものでもない。 相手にダメージを与えるためのものではないからだ。
先ほどのコーヒーの例の場合、外れていても嫌な気にはならない。
有効に利用したいものだ。

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