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maj 2005 posts

2005.05.30

恋の繰り返し

恋の痛みを沈静させるには恋をするのが最も手っ取り早い。
しかしそれにも終焉があるかもしれない。
痛みを抱えている時、人は「もう恋などしたくない」と思う。
同じ思いを繰り返したくないからだ。
楽しく過ごした時が多ければ多いほど痛みも大きい、だからと言って楽しくない恋など求めるはずもない。
傷はジレンマを引き起こす。
それが「もう恋などしたくない」と思わせる。

しかし、物にすがっても癒されないことを知って人は恋を繰り返していく。

2005.05.28

心の動き

恋愛は恋人も夫婦も信頼のバランスなのである。

物事に対する自分の意見と相手の考えが一致すると「あ、やっぱり~!わかるわぁ~」となる。
もし違っていても「なるほど~そういうのもアリかぁ~」となって納得してしまう。
迷っているときに助言されると、心頭してしまう。

ところが、ひとつバランスが崩れるとどうなるか。
「そんなこと言っても、結局こう言う魂胆じゃないの?」
「あんなこと言ってたけど、所詮こうだったんでしょ!」
と、疑問符がつき始めて、やがては決め付けてしまう。

相手としては何の変わりもなく、これまでと同じ事を言っているだけだ。
過去に言って絶賛されたことまでひっくり返されかねない。

バランスが変わった時に、相手が変わったと感じがちだが、実はたいていの場合、変わったのは自分の方なのである。

2005.05.27

ドキドキ感

今日は私から電話してみようかな。 ドキドキします。

まだ彼氏ともいえない男性に恋する女の子の言葉だ。
こんなピュアな女の子も最近珍しくなった。
いや、みんなそうだったはずだ。
ドキドキ感って言うのは、「慣れ」によってなくなっていくのだろう。
ず~っとその気持ちで居られたら、恋する気持ちは永遠だろうに。

こういう場合に使う言葉ではないかも知れないが、あえて使わせてもらえば「初心忘れるべからず」だね。

2005.05.26

情(じょう)

情が移ると言うのは何だろうか?
好きとか嫌いを通り越したものだろうか。
好きでもない奴に情は移らんだろう。 となると好きだったけど、今は情だけ、とか。

でも「じょう」と読んでも「なさけ」だよ。
「なさけ」をかけてる状態?
多分、好きな性格、嫌な性格もみんな知っていてなおかつ、居ないと寂しいかなって存在なんだろう。

恋とか愛とかではないようだね。

2005.05.24

共感

共感できると言うのは、似通った価値観でものを感じると言うことである。
それはしかし、丸ごと同意できるというのとは違う。
考え方には幾通りもの回路があって、全てが一致するのはごく稀だろう。

恋の維持にはこの共感する部分が多くある事が大切なのである。
大筋で同意し、その中でも微妙に食い違うところを補いあう、ここに大きな意味があるのではないか。
まったく共感する事の無い相手には恋などし続けることは土台無理な話だ。

共感と言うことの中には、考え方などの他に感覚的なもの、いわゆるフィーリングと言われるものがある。
これは理論ではなく体感するものであり、理屈で表せないから恋に不可欠なのだろう。

2005.05.23

暗示

人は本質的に弱ってる時に暗示にかかりやすい。

しかし、弱ってる時だからこそ人に頼る。
頼ってしまえばその時の言葉が暗示として残ってしまう。
こうなるとジレンマだ。

まず一度頭の中に蓄積だけにとどめる。
消化していくのは後でゆっくりすることだ。
納得し、否定し、正直な結論に道びいていく。
しかし、その余裕がないから なかなか出来ない。
言うほど簡単に出来たら苦労はない。

まずは、どの言葉が本物なのかを見極めることからだ。

男は単純

付き合いが長くなると何かをするにしてもしないにしても、言わなくてもわかってるだろうと思い込みがちである。
得てしてそれは男に多いと思うが、それは横柄なのではなく単純なだけなのだ。
前にこうしたからもう知ってるだろう、と言う程度の単純さなのである。
それと同時に、して欲しいこと、思っていること、感じたことは逐一言ってもらわないとわからない。
いや、わかってはいても意思表示されないと意識しないので忘れがちになるのだ。

身勝手なようだが、男は非常に単純なだけなのだよ。

2005.05.21

陽炎Ⅱ

時間は本当に解決してくれるのだろうか?

確かに胸の中の苦しくてどうしようもない、やるせない思いは薄れていくように感じる。
しかし、実際には薄れているのではない。
沸騰していたものが表面上、沈静しているだけで、収まって見えるだけだ。
心の奥では熱い思いは煮えたぎったままだ。
その証拠に、考えまいとしている相手の事を、逆にゆっくりと思い返していけば、また沸々と切なさがぶり返すはず。
薄れているわけではない。

時間が解決とは、時が過ぎていく間に「沈静」するのではなく「鎮静」させるのだ。
自然のように見えて、実は力技だ。
まったく沈静したならば、その時は切なさは消えているはず。
沈静と鎮静は大違いである、

2005.05.20

陽炎Ⅰ

「何しててもおもろないわ~」彼は溜め息をつきながら言った。
「その気持ち、わかるなあ」オレは頷いた。

彼は複雑なしがらみと環境で恋を終らざるを得なかった。
忙しい夜の店の仕事をしている若い男だ。
仕事が終った後もこうして飲みに来ている。
以前からも来ていたが、こんな溜め息はついてなかった。

恋は楽しいものだが、終りを迎えるとそれ以上に切ないものだ。
一人の時間が寂し過ぎるのだろう。

考えまいとしても浮かんでくる恋した相手の陽炎は、何でまぎらわしても所詮消えるわけではない。

時が解決?果たしてそうだろうか?

2005.05.18

男と女の友情

最近、時々話題に出てくるのだが、知る人は知っている鈴木聖美の「タクシー」と言う名曲がある。
歌詞の中で最もうなずける部分は「男と女は恋に燃え尽きた後、友情が残るはず」と言うニュアンスの所だ。
恋した相手と友情?と思うところでもあるが、お互いの良い所も悪い所も知っているからこそだろう。
もちろん、ドロドロの憎悪むき出しの喧嘩別れをしてしまってると論外だ。
そしてこのことには時間が必要である。
別れました、はい明日から友情ね、と言うわけにはいかない。
必要な時間はそれぞれ人によって違うから、二人の足並みがそろわないと友情は始まらない。

2005.05.17

謎のファン?

こう言うブログを書いてると、いきなりわけわからん電話がかかってくる事がある。
と言っても別に知らない相手じゃないのだが。
以下( )内は心の声です。

『もしもし、最近、恋の日記書いてるらしいやん』
    (ブログやけどな)
『ネカフェで読んだよ』
    (相変わらずヒマな奴)
『なかなか鋭い分析してるやん』
    (まあな)
『あれ、私の事とか書いてるやろ』
    (はあ~?)
『あの頃にわかってたらなあ』
    (何やあの頃って?)
『今でも続いてたかもねえ』
    (てか、付き合ったことないし)
『私も若かったからなあ』
    (そやから いつの話やねん)
『どんどん書いてね~読んでるから』
    (いや、お前に関係ないから)
『じゃあね~』
  
  何しに電話してきてん!しかも真夜中に。

2005.05.16

美女と美人 Ⅱ

美女と美人とは違う。

外見的に美しい場合は中身がどうであれ美人だ。
しかし美女とは良い女を指して言う。

良い女とは中身も含めて魅力のある女である。
魅力とは字のごとく「魅せる力」だから、男からすれば「魅せられる」ことになる。
それは個人の感じ方だから一概に言えないが、男からみてたいてい「良い女」は一致する。
美人は三日で飽きると言われるが、良い女はいつまでも飽きない。

としたら、美人な美女がいたら最強かな(嬉)

2005.05.15

美女と美人

美女にはどうも話かけにくい、誘いづらいと大半の男が思うのは何故か?

自分を基準にして女の方がレベルか上だと見てしまうからである。
上から見られていて、自分のペースで事を運べないように感じてしまうと言うわけだ。

これは相手が上にいるのではなく、自分の位置を下げてしまっているのだ。
だから付け入る隙がないように見える。

逆に考えると、モテモテの女、すぐに声を掛けられる女は隙があるからだと言うことになる。
決して美女ではないと言うことではないが。

美女と美人の違いはまた次項に続く。

2005.05.13

オンリーワン

一般的に男は女を見て、あれも好き、これもいいなとなる。
浮気性だからと言うだけではなさそうである。
良く言えば、色んな女の子の良いところを認めてるからとも言える、こじつけに近いが。

しかし、女はオンリーワンを取る。
だから真っ直ぐ周りが見えなくなることもあるが、突然、惹かれてしまう相手が現れたりすると、バチンと気持が切り換わる。
そちらに100%気持が移るのだ。
マルチにどちらもなんてのは、無いとは言えないが、それはどの相手に対しても、その程度の気持しかない時だろう。

男と女、ここも違うところである。

2005.05.12

香り

音楽や曲と同じように、その人をイメージする香りがある。
イメージと言うより、思い出すと言った方が正しいかも知れない。
香水やコロンなら、街で同じ物をつけている人が近くにいると、反射的に探してしまう。
しかし実際には微妙に違っているはずだ。
その人独特の香りが混じっているからだ。

そして恋のアルバムに保存されていくんだろう。

2005.05.11

夢は未来を映すのか、過去の想い出なのか、それとも願望なのか?

夢の中に現実に存在する異性、それも好意を寄せている相手が現れたりすると、この夢は何を意味するのだろうとか思う。
或いは想い出になってしまった相手などが出てくると妙に懐かしい。

もちろんその夢のストーリーや場面にもよるのだが、楽しい夢であっても、それはそれで嬉しいようで切ないね。

2005.05.10

予期

最初から、結ばれないと言う前提をもって付き合うのがいわゆる「不倫」と呼ばれる恋愛だが、この呼び方には抵抗あるんだけどまあいいや、文章の表現上だけ我慢しよう。

そもそも恋愛に確実なゴールはない、あるとすればゴール出来る可能性だ。
結婚がゴールとすれば相手が既婚なら最初からゴールはない。
だが、未婚であってもゼロではないというだけで100%なわけでもない。

理論的には、わざわざ可能性ゼロなものを選択することはないじゃないか、となるのだが、恋愛とは本来そんなものではないのだろうか?
最初から可能性の計算なんてしないでしょう。

予期できないから成り立つのだね。

2005.05.09

ズレ

夜美の番組の中で『なぜ男は別れても、相手に想いを引きずるのか?』と言うコーナーテーマがあった。

『時期のズレがあるからだ』と答えた。

女は答えを出す前に悩み、悲しみ抜いてる時期があり、男は女が答えを出した後からそれが始まる。
この目には見えないズレがあるからだろう。
見えないからやっかいだ。

女が揺れ動いてる間に男は気付くべきなのだ。
但し気付いても修正できるかどうかは保証できないが。

2005.05.08

乗り逃げされる女

ラジオのコーナーで『乗り逃げされる女』と言うのをインタビュー形式でやっているのだが、まあ半分はギャグである。
では酔った勢いで抱かれる女はどうだろう?

お酒の力を借りてってのは可愛い気がする、が泥酔してとなれば話は別である。
酔わせてやっちゃえ、と言うのは男の性欲だけで存在しているから、そこには愛はない。
泥酔して抱かれる女も同じで、判断能力に欠けている状態では相手に対して無防備であると言う分だけ失礼でもある。
それに乗っかる男もまた最低な男だが。

抱く、抱かれるは感情以外に打算や計算はいらないのである。

2005.05.07

「反省」と「後悔」

知らないうちに人を傷つけていたら、本人は反省のしようがない。
何故なら気付いていないのだから。 そして気付いた時には反省ではなく後悔になるんだろう。

恋愛でもそれは言える事だ。
後悔はしたくないけど、反省はしないといけない。
しかし、それが後悔を呼んでしまうものなのかも知れない。
前に向かうにも「反省」は必要だが「後悔」は邪魔な存在となって道を塞ぐ。
ここが気に入らないよ、と早いうちに相手に気付かせてやるのも優しさかもしれない。

内に背負い込んでは解決できない性質のものなんだろうね。
伝える事は大事だ。

2005.05.05

音楽と恋愛

この曲を聴くと、この人を思い出す。
そんな曲が必ず誰にでもあるでしょう。

音楽は意識しなくてもどこかで自然にインプットされてるものですね。
恋愛と重ねて、その時期に流行った曲がわかるってこともあります。
でも必ずしもその時期に流行した曲かと言うと、そうとは限らない。

<ホット・スタッフ> ドナ・サマー
70年代中期から80年代前半、ディスコ世代を代表する曲のひとつ。
この曲を聴くと、ふとある女性が浮かぶ。
とは言え、その時代に付き合った人と言うわけではない。
恋愛中に色んな事がある中、印象に残るひとコマに、この曲が重なったんだろう。

彼女はどうなのかは知らない。
同じ時期の同じ場面が、同じ音楽とともにインプットされてるとは限らないからねえ。

音楽と恋愛、知らず知らずに影響しあってるんですね。

2005.05.03

トラウマ

ある女性が悩みを打ち明けた。
彼女はセックスする事に恐怖や不安が伴うと。
なぜなら、彼女の太股にはこぶしくらいの痣があるからだと言う。
それを見られるのが怖い、いや、それを見た時の男の反応が怖いのだろう。
気まずくならないか、嫌いにならないか、そう考えると好きな相手なのにセックスに誘われても拒否してしまうのだと言う。
どのような痣なのかは知らないが、痣なんて霞んでしまうほどの美人なのにもったいない。
それでもハンディと考えてしまう人にとっては大きな問題なのか?

若い子の間で流行っているタトゥーと変わらないと思うのだが、 いかがなものか?

2005.05.02

遠距離恋愛

久々に遠距離恋愛の話を聞いた。
遠い所に離れていて恋愛ができるのはすごいと思う。
今でこそ携帯電話やメールがあるが、それでも声や文字だけで話をするだけでよく続くものだと思う。
会いたい時に会えないのは寂しいと思うのだが、確かに会いたい時にいつでも会えると馴れ合いになってしまい、新鮮味がなくなると言うこともある。
いつでも会えるとなるとどこかに安心感があって、油断も生じるからだろう。

遠距離恋愛には適性があって、誰にでもできるというものではないのだろうね。

で、遠距離って どのくらいからが遠距離なんだろ?

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