心のタイムカプセル

タイムカプセルと言うものがある。
現在の宝物や想い出の品をカプセルに入れて埋めておき、何年か後に取り出してその当時の気持ちを振り返ると大抵が微笑ましいものだろう。

恋する気持ちを言葉や文章にするなら今ではブログやメールを保存する事が出来る。
それでも人の記憶は時間と共に曖昧になっていくから、当時の気持ちそのものは鮮明、明瞭に思い起こす事はなくなっているのだろう。

それならばこの時の気持ちだけは鮮明に思い出せると言うものを残しておきたいものだ。

この一瞬、この瞬間に感じた事、好きだった想い、嬉しさに感動した言葉。
出来るならそう言った良い事を記憶に留めておきたい。
その想いは恋の経歴の中で同様な気持ちがあったとしてもまったく同じものは無いと思う。

言葉や文章で書き留める以上に、誰にも覗く事の出来ない瞬間の感情はあるはずである。

それはぜひ自分の心の中のタイムカプセルに入れておいて欲しいと思う。

その事は、決して過去を振り返るとか、現在や未来の恋の相手と比べると言うようなものではない。
人生の中で恋をする姿勢や恋に対する取り組み方が変わっていくとしても、恋を感じる気持ちそのものは永久不変だと思うからである。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

居心地

相手に合わせて付き合っていくと言うにもパターンがある。
合わせるのか、合わせられるのか(受身の意味ではなく可能かどうか)だ。

合わせると言うのは多少なりとも自分を抑えてと言う意味を含むとすれば、それは厳密的にはまったく気遣いも無い本来の自分でいるわけではないと思う。
それでも不満や欲求を蓄積すること無しにこれが出来るならば問題はない。

合わせられると言うのは、何の苦もなく出来ると言う意味で表現したのだが、自分のリズムや波長が相手に自然に迎合できると言うことになる。
これには無理な部分が無い。自分としても一番楽な相手となる。

しかし、これは全て自分サイドで見た感じ方であり、相手側からも同じ事が言える。
合わせている事が相手に伝われば、相手側の遠慮や気遣いを呼び起こしてしまう。
合わせられると思っていても、相手側が合わしてくれている場合もズレが生じる。

どちらもが苦も無く自然に合わせられると言う状態がいわゆる「フィーリング」の一致と言う事になる。
この状態は合わせられると言うより「合う」と言った方が適切である。

お互いにそういった状態であっても恋愛の中ではすれ違いや感情の行き違いが必ずある。

その時にどこまで無理なく元に戻せるかが一番の合う合わないの基準になるのではないだろうか。

| | Comments (4) | TrackBack (0)

恋愛であるからこその不安

誰でも今の恋がずっと続くといいな、と思うのはすごく当然の事だ。
しかし一度でも恋が終わった事を経験していたら、終わる事の辛さ、終わった時の悲しさ、苦しさを知っている。
だからこそ今の恋に不安もあり、次の恋が始まる事に迷いも出てくる。
この想いを恋愛に変えてしまってもいいのだろうか、いや恋愛より恋心のまま永く続く方がいいはず、と考えてしまう。

一般的な見方をすれば男より女の方がそれを強く思ってしまうのだろう。
男にはそれが無いのではなく、そう言う風に考える機会が少ないのだ。
なぜなら男は次の恋が始まれば、それが新鮮で一番楽しくなる。そしてよもやその恋が終わることなど頭に無いのである。
恋が終わるかどうかなんて誰にもわかるはずも無い、男はわからない事に自ら予想を立てて進む事が苦手なのだ。

女は恋が終わるかどうかわからないのに、終わった時の事を考えてしまうと、そこに「不安」を感じてしまう。
だから女は恋を恋愛に変えずとも満足できる一面を持っている。
恋心を抱いていても「大好きな友達」と言う関係の方を選択できるのだ。
男がその選択が出来るようになるには相当な恋愛経験や恋愛年月、もしくは学習能力がいるのだと言っても過言ではないのではないか。
何度もここに書いているように、男はいつまで経っても単純でわがままな子供だからだ。

恋することに不安は無くても恋愛になると不安なのは自分ひとりの感情の問題では無くなるからなのだ。
女は恋人である事への選択より、大好きな友達で続いていく事の選択ができる。
それは恋愛するよりもっと永く一緒に居れるから、と言う選択である。
言わばそれは、恋愛になると恋愛であるからこそ「終わりがくる可能性」の不安が消えないからだろう。

| | Comments (5) | TrackBack (0)

好意と負担

恋心を描くのは自由である。
相手に伝わろうが伝わるまいがそういう気持ちを持つ事に制約はない。
しかし、それを押付ける事になると話が違ってくる。

相手も恋心を持ってくれるように努力するのは当然ではあるが、そこにある種の制約が出来てくる。
その想いが相手にとっての負担になるような言動に走ると押付けになる。

相手がまったく寄せ付けてくれない場合、或いは嫌われている場合、向こうは避ける方向に動く事になる。
この状態で追えば精神的な負担を強いる事になってしまう。

相手が好意的に接してくれている場合、避けられる事はないはずだが、好意と恋心は同一ではないから追い方を間違うとやはり負担を感じさせてしまう事になり兼ねない。
かと言って相手の好意を恋心にまで持って行きたいと言うのは誰しも望む事であるから、何もしないままだと悔いも残る。
人は結果を求めてしまうのだろう。

考えてみれば、好意は持ってくれていると言う状態での自分の動き方が一番難しい。
相手にしてみれば好意は壊したくないものであろうから、こちらの動き方次第で悩ませる事にもなる。
恋心を伝えても好意は消えないだろうが、そこからの接し方を間違えれば好意そのものも消しかねないと言う怖さもある。
ただ押せばいいと言うものでもなく、控え目が必ずいい結果を呼ぶわけでもない。
相手との心の距離や相手の性格、タイミング等、どれか一つを外しても崩れてしまいそうなピラミッドパズルである。

| | Comments (3) | TrackBack (0)

どちらに見えますか?

硬貨にも表と裏があるのをご存知でしょう。
よく十円玉や百円玉の10とか100と書いてある方が表だと勘違いしている人も多いのだが、実はそれは裏なのです。
改めて見てみると、やはり表っぽくみえる。
鳳凰堂や桜の絵は裏の柄に使われそうなイメージがあるのだろう。
こうやって人の感覚的なイメージは思い込みを招くことがある。

絵柄やデザインだけでなく人に対してのイメージと言うのも同様、最初の直感でそうだと思い込むと、その固定観念が幅を利かせてしまう。
恋心が絡むとなおさらである。
人は人に対していい顔をしたいと思うものであるから表には印象のいいものを持ってくる。
普段見せない顔に気付いても、それはそういう一面もあるのだなと表の一部にしか見えない。
裏を見ようとする事にばかり気が行くと素直になれないし、自分自身もいい気がしないからそんな必要はないと思う。ここで疑心暗儀を触発しても仕方が無い。
それでもいい印象面ばかりを見せ続けるのは難しいであろうから、一瞬の表情に気付くと言うのは思いのほか大事な事に違いない。

硬貨のように表裏どちらであっても問題はないと言う程度のものなら安心である。
心の表裏はそうは行かないように思う。
怖いのは思い込みである。

| | Comments (5) | TrackBack (0)

欲の違い

その時その時に満足できていた楽しさや嬉しさより、さらに感情が大きくなってくると、もっとこうありたいと言う風に欲が出てくる。

男と女ではその欲のたどり着く先が違ってくる。いや、もし同じであってもそこへ向かう意識の走り方、スピードが違ってくる。
当然ながら女の方が早く意識を向けだしてしまうのだが、そこに可能性と言う数字を計算してしまう。
はじき出した数字が僅かであれば女は欲をしまいこんでしまうか、キッパリその恋を切り捨てるかだろう。
しまいこんでも完全に封印される事はない。
強がってみてもそこは女である限りどこかで顔を出してしまう。
女だから、と言うつもりはこれっぽちも無いのだが、そこは本能として当然なものだと思うのだ。

男の欲の走り方とは、たどり着く先の事より、もっと楽しい事や嬉しい事が起こればいいと言う単純な欲の繰り返しである。
だから男は飽きやすいとも言える。
変化の無さの連続にテンションが下がりやすく、目新しいものに変化を感じて目移りしやすい。
しかし変化の無さを感じる事は男の責任ともいえる、なぜなら女は変化のある楽しさや嬉しさより、一緒にいる時間そのものに喜びを感じられるからなのだ。

欲が出てきた時に、こんな事でさえ楽しかった、あんな些細な事で喜んでいたと思い起こす事が出来れば、気持ちも新鮮に戻れるかもしれない。

恋を持続させるには欲のカウンターを0に戻してみるのもいいと思う。

| | Comments (4) | TrackBack (0)

歯止め

これ以上は進みたくないと言う場合に足を止める、車ならブレーキを掛ける。
そういう意思が次の動作を指示するからに過ぎない。

恋愛では意思そのものに歯止めをかけなければならない。
それは好きな気持ちとは裏腹である事もある。
好きな気持ちは消せないまま、意思は逆の方向に向けなければならないとなると苦痛が伴う。
そうしないとこの先にさらなる苦痛が待っているであろう事を予期する時、女はそれを回避する事を考え、男は今の苦痛の方を回避しようとする。
男にはその先の苦痛はもしかして消え去るかもしれないと言う安易な期待もあるからだ。
今を失う事の怖さ、残念さがそうさせる。

女にももちろん期待や希望の光を見つけたい気持ちは残る。
しかし大抵の場合、こういう意思が芽生え始めた時点で恋は失速する。
歯止めは準備できたと言う事である。

| | Comments (3) | TrackBack (0)

タイミング

ここで押すのか引くのか、この正反対の選択は非常に勇気がいる。
押すべきタイミングで引いてしまうと、相手からすれば「その程度の想いだったの?」と言う拍子抜けな印象を与える事になりかねない。
言い換えると、押すべきタイミングとは相手が今まさに押されると想いを受け入れる方向に向く、と言う貴重なタイミングである。
常に押して押してでは相手が負担を感じることもある。
想いは常に漂わせておいても、直接的な伝え方をするのはそのタイミングが重要なのだと思う。

そして引くタイミングは押す事より難しい。
押すだけなら勢いでも出来ないことはない、しかし引く事によって相手も同時に引いてしまうのを恐れてしまうから簡単には出来ないのだろう。

ゴムのボールを押している間はボールの形が球ではなくなる、押すのを止めるとボールは元の球に戻る。
引くというのは押す手を一旦離すことである。
こちらの想いという重圧からひとまず解放して元に戻すだけのことなのだ。
そのボールが手から離れてどこかへ行ってしまうのではと言う不安が、強く握り続けると言う逆効果な行為をさせてしまう。

相手に何も押す事をしていない状態からの引きはない。
だからこそせっかく押している手を離すと言うタイミングが掴みづらいのだ。
相手が押される事の窮屈さを感じて、そこから逃れようとする言動が見え始めたら引くべきタイミングである。
引くタイミングを間違うと元の形に戻らなくなる。

| | Comments (3) | TrackBack (0)

名女優になる場面

女の嘘はばれにくいと言われる。

男が表面的な設定だけを取り繕うのに対して、女はその状況を作り出した因果関係から登場人物に至るまでの全てのシナリオを描く事が出来るからだ。

俳優で言うと男は台本だけを演じる大根役者。
女はストーリーの全てを現実の世界に置き換えて、こと細かい描写まで再現できる。
いわゆる『なりきる』と言うやつである。

男はそこに至る細部の状況や心理を突かれるとあやふやになる。
しかし女はそのストーリー通りに生きてきているようなものであるから、難なく答える事が出来る。
大根役者に対して名優なのである。

男は一場面をこう演じようとするに過ぎないから、その場面に無い背景や立ち位置について話が及ぶとアドリブが利かなくなる。そこから嘘が露呈してしまう。
女は相手に嘘をつくというよりはむしろ自分に信じ込ませているのだから、自分にも嘘をつくくらいの事が出来るのだろう。

全ての女性が名優たるわけではない。
しかしその素質はほとんどの女性が持っているかもしれない。
人生の中でそういう場面があるかどうかだけだろう。

| | Comments (4) | TrackBack (1)

反発の理由

何かにむきになる、むきになってしまっている、こういう経験はあると思う。
誰かの意見や行動に対して使う場合は反発すると言うことだが、その前に「必要以上に」と言う言葉が付く。
相手に食って掛かると言う状態は相手を認めないわけではなく、実は認めている自分に反発しているのだろうと思う。
それはまさしく相手を意識している証拠である。
まったく意にも介さないような相手が何をしようが何を言おうが、むきになって無駄なエネルギーを使う必要など無いからだ。

例えばある事について相手の言動が納得できない時であっても、その言動は断固として認めないが、まったく違った場面での相手の事を認めているからむきになってしまうと言う事である。
そこには自分の意見や考えを理解して欲しいと言う願望も加わる。

恋愛の相手の場合はなおさら、ここで理解し合えないと、この先も同じ事でぶつかってしまうと言う意識が働くのだろう。
食って掛かられている方にもきちんと思慮する姿勢が無いと、相手がそれを諦めた時には認められなくなった時だと解かってからでは手遅れだね。

| | Comments (4) | TrackBack (1)

存在価値

恋する相手が自分にとって存在価値があることは言うまでも無い。
その存在が自分の生活に影響を与えると言うことだろう。
何をするにしてもその相手は少なからずそこにいる。
たとえ仕事をしていたとしても、その真っ只中はともかく一息ついた時、同じような容姿を持つ人を見かけた時、待ち合わせの時間が迫った時等々、色んな場面で影を見る。
そこに価値を見出すなら、それはその存在が励みや元気、やる気と言ったようなエネルギーを与えてくれるからこそだろう。

存在価値の中には物や財産などの物的なものは排除される、価値ではあっても分類が違う。
なぜならそれはその人の価値ではないからだ。
精神的な領域に於いて影響があるものであり、自分だけが感じられるものである。
もし同じ相手に誰かが恋したとしても、その人が感じる存在価値は違ってくる。

恋愛する限りは自分も相手に何らかの存在価値を与えているはずである。
自分にとっての存在価値と、相手が感じる存在価値。
価値と言う限りは「値」があるのだとすれば、そのバランスは等価かそれに近いものでなければ持続していけないのではないだろうか。

| | Comments (3) | TrackBack (0)

裏読み

好意を持つ相手、それが恋心と言う種類の好意であるなら尚更、相手に対する言葉や行動に制限を設けてしまいがちである。
どういうことかと言うと、同じ事を言っても遠慮がちになったり、遠まわしな表現になるとか上手く言えない等の固くなってしまうことがそれである。
自然なスキンシップを含んだ表現などはもっと出来なくなる。
それらは相手から見て不自然だとか、或いは勘ぐられる事を恐れての結果そうなってしまうのだろう。
そこには自分に対する自信が揺らいでいる。
よく、思ってる事と正反対のことを言ってしまうと言うのは女性に多く見られがちだが、少なからず男性にもそれに近い事はある。
そういう気持ちが無い相手には自然と振舞えるという事の根底には「余裕」があるからである。

この心理を考えると、自分とは異性の相手が自分に接する言動を裏読みする事も出来る。
何でも遠慮なく話してくれて、素直に誉めてくれたりスキンシップを含めて接してくれると、つい好意を持ってくれていると思ってしまうが、好意はあるのだろうがそれは恋心の可能性は少ないかもしれない。
相手に余裕があると言うことだからだ。
逆に遠慮がちだとか、そっけない場合の方が恋心としての好意を抱いてくれているかも知れない。

自分と同じ心理に他人も落ち入るはずと思えば、そう考える事は間違いとは言えない。
ただ、裏読みには勘違いの怖さもある。
楽に話してくれている相手が恋心を持ってくれていたり、そっけない相手や遠慮がちな態度の相手が何とも感じていなかったりする場合も少なくはない。
人の性格も合わせて読まなければ、自分の思い込みになってしまってはその後の行動に危険性が伴う事もある。

ここで言いたいのは、同じ人間である限り自分が陥る心理状態に他の人も陥っても不思議ではないという事を憶えておけば「余裕」と上手く付き合えるだろうという事である。

| | Comments (3) | TrackBack (0)

「なぜ」の思考

物事が上手く行かない時には人は「なぜだろう?」と考える。
しかし上手く行った時には「なぜ?」とはあまり考えない。
恋愛に於いても然り。

「なぜ?」と言う疑問は人を前進させるのに不可欠である。
人と人が付き合うのだから疑問な点は山ほど出てくる。
疑問が完全解決しない場合であっても、その回答を得る事は納得に向かう。
解答ではなく回答が必要なのである。
回答を受けて自分が導く結論が解答となる。

それはその人独自の解答である事に違いはないが、「なぜ」と言う疑問を増長させない為の防波堤の役目を果すように思う。
疑問が疑問のままで先を急いだ所で、その疑問が核となって雪だるま式に新たな疑問を巻き込んでいく。
その状態に陥ってから慌てて解決して行こうとしても、中心にある核を取り払うまでに相当な気力と体力を使う事になるだろう。
おそらく多くの人はその途中に挫折してしまいがちである。

「なぜ?」の疑問は軽微な事であっても軽んじては危険であると思う。
雪も積もり積もれば家の屋根を押しつぶすほどの重みを持つのだ。

| | Comments (4) | TrackBack (1)

不安への対処

一つの事に気持ちが引っ掛かると、それが次々に妄想を駆り立てる。
恋で悩む事の多くは相手の心の領域まで踏み込むからだが、入っていかなければ恋など出来はしない。これもジレンマだ。

仮に何か不安な事象が起こるとする。
その時の相手の行動はどういう気持ちから起こったものだろうと考える。
すぐに相手の口から説明が聞けることができれば、いかなる理由であってもまずは落ち着く。
次の対応に向かえるからだが、それが出来ない時にマイナスの連鎖が広がっていく。

空想や妄想は実際の像としては見えないから、同じ空想や妄想で対処するしかない。
それはしかし現実には何一つ触れてはいない。

心に引っ掛かる事は人を臆病にする。
実像と対峙してマイナスの妄想通りに進んでしまうことを恐れてしまうからである。
しかし引っ掛かった物は外していかないと、それが増えていくほどに前へ進むのに邪魔になる。

結果はどうあれ、相手と向かい合う事が最短の方法だろう。
もし引っ掛かった物を外す時に自分の身を傷つけても、いずれ傷は癒える。
そのまま引きずって行くよりもこの先はずっと楽ではないだろうか。

| | Comments (2) | TrackBack (0)

迫る断崖

恋する相手の表情は自分の心を一喜一憂させる。
人は楽しい時はにこやかな表情をする。自然と微笑みの回数が増えている。
相手のそういう表情を感じ取ると心は癒される。
当然ながらこちらの表情もほころんでくると、それがまた相手の安堵感を生む。
微笑みのキャッチボールである。

辛い事があったり悲しみの中にいると微笑が失われる。
その辛さや悲しみが自分達の恋愛に無関係な事であれば、それは外的要因によって一時的に影を潜めているに過ぎない。

もし自分といる時の相手の表情から微笑みが減っていったならば、その要因に注意がいる。
他の外的要因が無ければその恋愛に起因していると言う事だからだ。
そんな時、人は気付いてもつい目をそむけてしまいがちだが、そむける事は余計に事態を悪化させる。
病気と同じで早い処置で進行を食い止める事が出来るかもしれない。

表情は正直である。
一緒にいて微笑みが消える時、断崖が迫っている。

| | Comments (2) | TrackBack (0)

«臆病の足枷