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2015.09.27

言葉の表皮


気持ちを伝える言葉は、なかなか難しいもので、詳しく説明しながら伝える種類のものならいいけれど、端的に伝えたいと言う場合は注意がいる。

下手な言葉を使うと、誤解も起こる。

恋愛の中では、「愛してる」と言う言葉なんかは、現実の世界で使うのだろうかと思う。

小説やドラマの中では頻繁に使われるが、現実の恋人同士のやり取りや夫婦の会話に出てくるだろうか。
言う方も照れくさいし、言われた方も重い、と感じてしまいそうだ。

「愛してる」と簡単に言う人は、本心も知れないが、その言葉にどれだけの責任が持てているのか。
そんな簡単に「愛」が発生するかー? と思ったりする。

「好きだ」と言う言葉が、気持ちが軽い、と言うわけではない。
好きな気持ちが大きいとか、真剣だ、という場合に、「好きだ」だけだと、伝えたい側が物足りなさを感じてしまうのだと思うが、それは言葉の限界なんだと思う。

それでも日本語なら、大好きとか、メッチャ好き、とか、他にもいろいろと付け加えて表現する方法もある。
ただ、子供っぽいとか、大人な言い方じゃないとか、受け取られ方に気を回してしまうのだ。

英語なら、恋するも愛するも好きだも「LOVE」なのである。
外国人は臆せず「I LOVE YOU」と言う。
それは恋人だけではなく、親や子供に対しても使う。

同じ単語でも、意味や度合いを違えて使えるということになる。
それは、言葉を使う方ではなく、聞いて取る方の受け止め方で伝わると言う事なんだと思う。

要は、言葉に込める感情ですべてが決まる。
感情を正確に読みとめれれば、どんな言葉であってもいいはずなのだ。

表面の言葉だけで惑わされては、ろくな結果にならない。

2015.09.15

恋愛に有利な武器

恋愛に於ける「フィーリングが合う」って、一体何だろうかと考えてみる。
簡単に言ってしまえば、気が合うって事でしょうね。
気→波長に変えれば、波長が合うになる。

説明がつきにくいから、惹き合う力って事でいいんじゃないかとごまかしておく。

その、惹き合うってところを取り上げてみるのだが、最初に「恋愛に於ける」と前置きしたので、その他の場面(たとえば友人とか)は割愛しておく。

惹き合うためには、まずは印象から入ると思う。
印象が悪ければ、どうしても距離を置いてしまい、そこから先に踏み込もうとはしないだろう。

もちろん、最初の印象は悪かったと言う例外もある。
おそらく、その場合も、率先して近づこうとしたわけではなく、流れに巻き込まれて逃げ出せなかったと言う場合が多いと思う。
まあ、それでも後で悪印象を覆すような、良い面を見つけられたのなら良しとしよう。

第一印象なんて言葉も、きれいに包み隠してはいるが、要するに「容姿」が大きいはずである。
早い話が、美人とかイケメンとかの占める割合は大きいに違いない。
そこに「好み」がプラスされる。

それはそれでいいとして、それを取っ掛かりとして、次は「中身」となる。
中身って言っても色々だが、いわゆる「内面」とか「性格」ってことだろう。

外見は年齢と共に衰えるのは仕方ない。
それが理由で別れを切り出されるなら、そんな男(女)は別れて正解でしょ。

しかし、内面が衰えたとなれば、見切られても仕方がない。

内面を重視するというのは、そういう事だろうと思う。
最初に言ってたフィーリングなんてのは、継続してこそなのである。

つまりは、恋愛のきっかけに有利なのは外見かも知れないが、継続は内面が絶対的に有利なはずである。


はい、そういうことで、内面を磨きましょう。

2015.09.03

浮気も不倫も純愛も【恋】


浮気のテーマが続きますな。

浮気の話題になると、たいがいは、主役は妻子ある男をイメージする。
まあ大体が男は浮気性と言う認識ですね。

妻子ある男が独身の女と付き合うとする。
お互いに立場はよくわかっている。

よく女性が『男はそんな勝手なこと言うけど、女の方が本気になったらどうするの?』と言う。

まあ、人間の感情だから それはあり得ます!

だけどその質問は、例えば独身の男女が付き合っている場合に 『気持ちが覚めたらどうするの?』と言うのとなんら変わりはないと思う。
なぜなら、その場合も女は本気だという前提だろうから。

つまりは浮気だろうが不倫だろうが純愛だろうが『別れる事になったらどうするの?』と言う質問と、すべて質が同じだろうと思う。

どうすると言われても、答えられる人はいないんじゃないかな。

むしろ、浮気や不倫は最初から終わりがある、と覚悟できる。
通常の恋愛は、終わるなんて考えもしないだろうから、そっちの方がショックでしょうね。

ただ、ひとつ言えることは、どんな恋をしても、それを自分のレベルアップに生かすことが大事だと言う事ですね。


浮気の自覚

 
 またまた 浮気の定義は置いといて、一般に本命とする彼女や彼氏や妻、亭主がいるのに、他の特定の相手と交友関係を深めたら「浮気」とするならば、と言う前置きで。
 
 好きになる、気に入るという感情が不可抗力である以上、自力で感情に逆らって行動を制御することになる。

 この時点で、感情が発生した事がすでに浮気だ!と言われたらこれはもう防ぎようがないのではないかと思う。

 行動とは、二人きりを避けるとか、連絡を取らないとか、極端に言えば近づかないとかになる。
 そうしないと、どうなるかわからない、つまり気持ちがそっちに行ってしまうのじゃないかと言う疑念が出るからだろう。
 される方は、とられちゃうかも、って事を危惧するわけである。

 しかし、当人にとって、そういう相手は偶像として見ている場合が多いはず。
 なぜなら、お互いに内面外面ともに着飾った[美しい]とか[かっこいい]部分しか見ずに済むからで、本音や本性は、ほとんど隠されていても、知らなければどうってことはない。

 しかし、本命ならばそうはいかない。
 この先、ずっと一緒にいたいなら、本音も本心も知っておかなければやっていけないし、またそれらを知る機会 もあるはずだ。
 それでもなお、好きでいられるのが本命と言うものだろう。

 だとすれば、着飾った偶像を相手していても、いずれは絶対に飽きるのである。
 もしくは偶像が崩れ落ちて失望するとか。

 つまりは本音も本心もさらけ出して、本命に居座っている人は、そんなことで動じなくてもいい。
 
 ただし、偶像を相手にしている自覚の無い人は、偶像が本物だと勘違いして、そっちに行ってしまう事もあるわ けで、本命の立場の人は、そこを恐れるわけなのだね。

 だけど、そんな事もわからん人について行っても、この先不安でないかい?
 
 だから(彼)(彼女)が浮気相手の方に行っちゃったと言う人は、そんな安もん つかまなくてよかったと思うべきな んでしょうね、 うん、まちがいない。

 
 

2015.06.08

一人で登れない階段


恋愛の結果や最終形態が結婚ととらえている人は、まだまだ少なからずいるだろう。

恋愛が「恋と愛」ではなく、「恋から愛へ」と考えると、結婚から先にはまだまだ上るべき階段があるはずである。
ただ、今までの階段とは違うような気がする。
むしろ、上るのはここまでより大変なのではないだろうか。

これまでは、それぞれが一人で登ってこれたものが、ここからは二人でないと登れない。
しかも、ここから先が今までより長いんですよね。

結婚によって「たどり着いた」なんて慢心していると、お互いの悪い所しか見えなくなる。
この先は、欠点をお互いが補いながらじゃないと進めない。

あれがだめ、こんなはずじゃなかった、と言う愚痴は自分に返ってくる。


良きも悪きも新たな「覚悟」がいるもの、それが結婚ですね。

覚悟が自信になって、それが楽しくなったら、幸せを感じられるはず。

Good Luck!


2014.11.13

理不尽だとすることの理不尽

自分が納得のいかない事は「理不尽」だと感じる。 本当のところは理不尽ではなくきちんとした理由や理屈がある場合でもそう感じてしまいがちである。

恋愛でも別れを切り出された時、自分の方にその気持ちがないと理不尽だと思ってしまう。
理由がわからないだけの事なのだが、それゆえ理由を聞きたがる。

色んな言葉で理由を説明してもらってもおそらく納得はできないだろう。
最初からその理由を何とか覆したいと思って聞くからである。

理由のほとんどは飾り言葉に過ぎないと思う。
特別な事情の絡む例外を除けば、理由は単純なものである。

興味がなくなったことに尽きる。

相手に興味があるうちは別れにはならないだろう。
これ以上一緒にいても何も楽しさや嬉しさが見いだせないと感じたら、当然別れると言う選択肢になる。

でもまだ興味が見いだせるかもしれないと言う何かしらの期待があれば猶予期間があると思うのだが、それでも何も変わらなければ期待が無駄になった感が大きくなる。
何度かの期待はずれが続くとジ・エンドとなる。

別れを切り出されて理不尽だと感じているうちは次の恋も危うい。

2014.11.09

幸せに触れる瞬間

 
すべての人の人生が平等に設定されているかと言うと、そうではなさそうに思える。
ではまったく不公平なのだろうか、そう考えてしまうのももったいない気がする。

他人を羨ましいと思う人も、もしかして他人から羨ましがられている部分があるかも知れない。
それは自分にとっては大した事柄ではない場合もある、同時に自分が羨ましがっている事も相手にとっては取るに足らないことであるかも知れない。

すべては自分を基準に於くから上下ができてしまう。

恋愛に於いても、叶わない時や上手くいかない時は落胆したり嘆いたり、また怒りをあらわにしたりと感情が冷静さを上回る。
そのこと自体は当然ではあるのだが、そこからの脱出が大事なところとなる。

すべてが平等であると仮定するならば、そこから先に幸せがあると思うことができるのではないか。
そう思えば、そのどん底の状態で立ち止っていることは非常に損失であることに気付く。

自分にとって最適で最高に思えた相手だが、実際にはそうではなっかたのかもしれない、相手にとってもまた同じくである。自分だけを基準にしてしまうと不満だけが残ってしまうのが怖い。

失敗や失望を経験したのなら、そこで終わってしまったらその経験は無駄になってしまう。
次の展開がなければ平等に戻す機会も失われる。

幸せは後ろには無い。

2013.12.01

何億万通りの発見


恋愛相手に対して「飽きる」と言うのはどういうことなのだろうか?

物であれば、好きだった物に飽きてしまうと言うのは相手に変化がないからだろう。
形であるとか、姿であるとかが物理的には変わらない「物」であるならいつかは飽きることもあり得ることである。

しかし恋愛相手は人である。
毎日違う表情もするし行動もする。 変化はあるはずなのに、である。

付き合い始めのころは、わずかな変化や違いが新鮮で、それを発見すると嬉しく感じたりする。
笑い方や普段の何気ない仕草にさえそれを見つけると楽しく思えてしまう。

長く付き合ってくると、百万通りの表情や仕草を見ているかもしれない。
だから同じような動きや行動をしてもそれが新鮮ではなくなってしまう。
そこに「飽き」がくるのかもしれない。


そこでよく考えたい。
相手が明らかにふてぶてしくなっていたり、ずぼらになっていたり、笑わなくなっているのなら別だが、そうではないなら、劣化しているわけではないのである。

おそらくは寸分違わない全く同じ表情や仕草はないであろうから「同じような」と言うくくりで見てしまうのだろう。
相手をすべて知っているというのは実は勘違いであって、よく見ることをしなくなっているから発見できないだけなのだと思う。

そして片方がそうなると、その気持ちが表情や言葉にでてしまうから、今度はそれに相手が飽きることになるのである。

常に新鮮な気持ちでいたいものだが、なかなかそうもいかないようだ。
しかし何年たっても相手を「観る」と言う気持ちが大事なのだと思う。

2013.08.07

恋愛不信に陥る仕組み

人はみんなそれぞれの人生を送っている。
良い人生、悪い人生というのは基準がない、自分で決めるものなのだと思う。

悪い出来事が続いたとしても、それをいつまでも引きずっていると、気持ちの上向きがないのだから運勢も上向かない。
周りにマイナスのオーラをまとっているようなものであるから、いい運気が近づけないのだろう。

つまり人生を嘆く者はいい人生が送れないジレンマに陥る。
同じように恋愛を嘆く者はいい恋愛が送れないのである。

自分では気付かないうちに人から見て敬遠されるような恋愛マイナスオーラが出てしまっているのかもしれない。
誰もそういう人と恋愛をしてもおそらく楽しいとは思わないだろう。

そうなるとさらに恋愛不信、異性不信、さらには人間不信とエスカレートしてしまう。


恋愛には人それぞれの性格が顕著に表れる。
譲り合ったり我慢したり、頑固に主張したりするのも認め合う存在であるからこそ相手を好きでいられる。

そこをマイナスのオーラで遮断してしまうと誰も近づけなくなるのである。

自分の恋愛を嘆く前にそんなオーラを取っ払う事が先決ではないかと思う。

2013.03.17

恋への執着


恋愛における執着心は相手に対して起こる。

まだやり直せるとか、今度はもっと好かれるように出来るはずとか言う未練が執着へと通ずる。
しかし相手がある限り、それをこちら側サイドで勝手に決めても独りよがりに終わってしまう。

それが叶わなかった時に、もう恋愛はしたくないと言う風な錯覚を起こす。
その相手に対する執着は恋と言う事からの逃避の呪縛となってしまう。

だが、恋に対する執着心は別物である。

一つの恋が終わっても、それを受け止めて新たな恋を探そうとする気持ちは前進であるはずだ。
まだまだ恋をしていきたい、楽しい恋を見つけたいと思うこと自体が「恋』への執着なのである。

それが常に恋愛でないといけないと言うわけではない、しかし恋に対する執着がないと恋愛にもつながらないのも当然ではないだろうか。

恋がしたいと言うのと恋愛がしたいと言うのは同意語ではない。
しかし恋ができない人に恋愛ができるはずもないのである。

恋への執着は持ち続けるべきなのだ。


2012.12.26

恋愛相手への評価

恋愛は恋すると言う事から始まり、恋を維持する過程で混乱する。

誰しも自分の思い描く理想の基準を持っているのだとすれば、それに近い相手を求めるのは当然であり、恋する時点では合格点を越えているはずなのである。

しかし恋愛が始まると、知らずのうちに自分の基準で相手を評価していってしまう。
付き合う事になって初めてわかる事は多々あるのだが、こういうところが思っていた点と違うと言うようなことがマイナス評価されていくのである。

ここが問題なのだが「思っていた点」と言うのは自分の判断であるから、言い換えれば「思い込み」なのである。
そこは見極めきれていなかったと言う事になる。
とは言え相手のすべてを見極めるのはほぼ不可能であると思われるからやっかいなのだ。

評価の角度を今一度変えてみるのも一つの手である。
通常は言うなれば数学的採点の方式をとってしまう。

数学であれば、途中の式を間違っていればマイナスされるし、答えが違えば否応もなしに×である。
ところが芸術ならば「そういうのも有りかな」となる事もある。
もちろん、全く話にならんと言う事もあるのだが。

ただしこれは中身の評価に一考を加えるのも恋愛の維持には役に立つかもと言う事であって、外観が無防備に変貌してきた等と言う点に関しては角度の変えようがないので容赦してもらえないと思う。

2012.09.12

微香性のアピール

香水がほのかに香ると心地よい感覚が脳を刺激する。
つけすぎると逆に刺激が強すぎて拒絶反応を起こす。

一つのアピール手段でもあるが、アピールすることは自然な受け取られ方をしてこそ効果がある。
香水に限らず、自分の存在を引き立たせなければ意味がなく、俺が俺がと言うアピ-ルは本来の効果を失って、ただのでしゃばりになるだけである。

元々何の中身も伴っていないのであれば引き立たせる物もないわけで、一瞬目立ったというだけに終わってしまう。

本来のアピールは相手の心に残ればいいのであるから、前に前に出て目立てばいいと言うものではないはずである。それよりむしろ相手に自ら気付かせることが最強のアピールとなる。

全く何もしなくてもそれは難しいだろうし、でしゃばるとうっとうしく感じさせてしまう

そして気付いてくれた後の自分にがっかりさせてしまっては意味がない。


ほのかに香る香水のごとく心地よいアピールが出来ると言う事は、その中身を十分に磨いておくこともできると言う事である。

2012.08.22

さりげない話題における重要な効果

恋人であっても夫婦であっても会話の重要性は変わらない。
付き合いが長くなるに比例して会話が少なくなることは当たり前であってはいけない。

それはマンネリ化に起因することが多いと思われる。
会話の中身がいつも似たり寄ったりではお互いに飽きてくるからだろう。

基本的に女性は話すことによって安堵感を感じる。
日常の何でもないことを話題にしていてもそれはそれで満足感を得られる。
会話をしている事そのものでストレスを発散できる生き物である。

それに引き換え、男性は飽き性なのである。
だから何気ない会話をいつまでも継続して楽しめない。
聞くことにさえ邪魔臭くなってくるのである。

かといって自分が常に新しい会話のネタを提供できないと言う事にも原因があるとは思わないところに男の身勝手さが見え隠れするように思う。

何気ない会話からでも広がりを見せる女性の想像力は素晴らしいものがある。
だから女性同士のおしゃべりは延々と続くのだろう。

その何気ない話題さえ提供できない男は女性のストレスを助長させる存在でしかなくなっていく。

マンネリとか倦怠とかいう状態を作り出すのはおそらく男の方なのである。

女性はさりげない事でさえ、男が思っている以上に喜んでくれると言う事をもっとうまく活用すべきなのだ。


2012.08.19

潜在的依存

何事であっても誰にも頼らずに一人ですべて解決できると言うスーパーマンでない限り、どんな人でも何かしら人の力を借りる事はある。

もしそれが直接的に解決に導く道でなくとも、そこに助けを求める。
それは解答がわからないと言う理由だけでなく、解答をどう求めていいかわからないからだと思う。

そこには解答よりむしろ精神的な安堵感が欲しいのである。
ある意味で精神安定剤と同様、一時的な処方であるに違いないが、薬と根本的に違うのは人の言葉や行動によって気持ちが安心すると言う事には基本的に依存性がない。

自分で相手の言葉や行動のうちから自分の安心できるものを選択することができるからである。

しかし、恋愛の依存には例外がある。

漠然と相手に依存していなければ心が不安定と言うのがそれである。
専門家ではないので軽々しくは言えないが、おそらくその心の不安の根源は、恋愛とは別のところにある場合も多いと思うのである。

それを本人も知らずのうちに恋愛に置きかえてしまっているのかもしれない。

何かの理由が先だって、その解消に恋愛相手を求めると言う順序を踏むとするなら、それがすでに依存症の始まりなのではないだろうか。

2012.07.28

そよ風アプローチの効力

空気が澱んで停滞している時には風が欲しくなる。

それが勢いのある強い風だと一気に重い空気を吹き飛ばしてくれそうではあるが、ずっと続くと息苦しくなって逆に居づらくなってくる。


恋に病んでいる人にとって、居心地の良い場所を求める気持ちがより強くなってしまう。
頑張って頑張って恋した結果、振り返ってみた時に初めて心身共に歩き疲れた事に気付き、ひとまず安らげる場所に腰を下ろそうとするからだろう。

そんな時に強い風は必要ない、欲しいのはそよ風である。
優しく癒される風が注がれてくる場所に出会えば、そこから動きたくはなくなってしまう。

恋に疲れている人にアプローチするならば、ここぞとばかり勢いのある風を吹き込んでも、その勢いを受け止める気力が無いゆえに顔をそむけられてしまいそうである。

そうであれば顔をこちらに向けたくなるようなそよ風をタイミング良く送り続ける方が良策だろう。


«消したくないイメージ

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